第39話 私、変われました!
まどろむ意識の中、俺は懐かしい声を聞いた。
『昴はもう、寂しくないみたいね』
誰だろうと思って声の方へと
「かあ、さん……」
周囲が柔らかな空気に変わるのがわかる。
夢の中と思しき幼い姿の俺は、母に手を引かれて歩いていた。
道しるべもなにもない、ただただ真っ白な世界。
とても穏やかな場所だけど、どこに向かって歩いているか分からず、迷子になってしまいそうになる。
「どこへ向かってるの?」
『さぁ、どこだろうね? 昴はどこへ行きたい?』
「……わからない。そもそも、ここはどこ?」
『人生、かしら?』
どこへともなく歩き続ける母に尋ねてみるも、まるで禅問答のような答えが返ってくるだけ。
不安になってしまった幼い俺が、繋いだ手に力を籠めると、大丈夫よと言いたげに握り返してきてくれる。
そして、目の前に1人の女の子が現れた。
「……平折」
『平折っていうの? いい名前ね』
平折は一糸まとわぬ姿のままで、自分の身をまるで守るかのように丸まって眠っていた。
どうしてここに? と首を傾げたら、母さんは繋いでいた手をゆっくりと離していく。
『はい、私の役目はここでおしまい。道はここで途切れちゃってるしね。でもこれからの昴にはこの娘が、平折ちゃんがいるよ。きっと一緒にどこまでも行けるし、帰る場所にもなるわ』
そう言って、ただでさえおぼろげだった母さんの輪郭が、薄ぼんやりとなっていく。
慌てて手を伸ばすも、すり抜けてしまう。
そして気付けば、俺は元の姿に戻っていた。
「いって、しまうのか?」
『心残りも無くなっちゃったからね。でもね、また近いうちに会えるような気がするわ』
「……え?」
そして母さんはくすくすと笑って世界へと溶け消えていき――俺は目を覚ました。
「……………………あ」
目頭が熱くなっていた。どうやら泣いていたらしい。夢を見ていたはずだけど、なんだかあやふやだ。
よくは分からない。
だけど、何かが変わった。終わったような気がした。そして新しい何かが、確かに始まっていた。
「ん……んぅ……」
隣に目をやれば、俺に抱き付き身を丸めて眠る平折がいる。
小さくも規則正しい寝息を立て、長い髪が素肌をくすぐり、こそばゆくも心地よい。彼女と接している部分からは直接熱を感じられ、ふと昨夜の出来事を思い出して頭がのぼせてしまいそうになる。
俺達は昨夜、心と共に身体も重ねた。
それは本当の兄妹ならば決して交わることのない行為で、もはや後戻り出来ない場所へと踏み込んでしまった事を意味していた。
そのことに対する不安も後悔も無い。
ただただ今まで以上に平折の存在が愛おしくてたまらなくて――ゾッと恐怖すら感じてしまうほどだった。
――もし平折が居なくなってしまったら、俺はどうしたらいいんだろうか?
そんなあり得るはずがないと思う事を想像するだけで、どうにかなってしまいそうになる。
一体、お袋を亡くした時の親父は、どれだけの想いを味わってしまったのだろうか?
だから決して離しはすまいと、絶対に守ってみせるという想いを籠めて、ギュッと平折を抱きしめた。
「ん……んぁ……?」
「悪ぃ、起こしてしまったか?」
「ぇ……ぉ、ぉはよう、ございます……」
「あぁ、おはよう」
力が入り過ぎたのか、その拍子に平折が目を覚ましてしまう。
見つめ合う形となり、互いの視線が絡み合い、こそばゆい空気が流れる。やがて頬を上気させた平折は、顔を隠すように、そして甘えるかのように俺の肩へと額をこすり付ける。
「ぁ、ぁの、寝起きの私、髪とかあれだし、ブスだから、あまり見ないで、ください……」
「別にそんな事」
そのくせ、俺から離れようとはせず、抱き付く腕に力が籠る平折に、どこまでも愛しく温かい気持ちが湧いてくる。
――困ったな。
実に俺は単純な奴だった。
先ほどまでの恐怖や不安はすっかり吹き飛んでしまい、平折一色に塗りつぶされてしまった頭で彼女を抱きしめる。
「昴、さん……」
「平折……」
「その、男の人って、これは、ええっと……わ、私は大丈夫ですので! え、遠慮なんてしなくていいです、よ……?」
「ひ、平折……?」
昨日の今日で色々大変だというのに、平折は変な所で気を回したりもするのだった。
◇◇◇
見慣れない街並みを背景に、ゆっくりと歩く。
鞄も持たず、駅に向かう制服姿の男女という姿なんていうのは、異様な物だろう。
色々と勢いに任せてここまで来てしまったけれど、家に帰らなければならない。
幸いにして平日朝の温泉街は、どこもかしこもシャッターが下りており、閑散としていて目立つ心配はなかった。
時々温泉が「わたしはここに在るよー!」と言いたげに、湯けむりを上げている。
「……ぁ」
「っと、大丈夫か、平折?」
「ぃえその、……な、なんでも……っ!」
「そうか……」
平折は明らかに、歩きにくそうにしていた。
だというのに、その反応はそっけない。
何か俺が不手際をしてしまったのだろうか? 平折の気を損ねるような事をしていないだろうか?
やたらとそういうことが気になってしまい、不安になってしまう。
文字通り傷物にしてしまったという事もあり、罪悪感に似た思いもある。
再度平折の顔を覗き込めば、はにかむ姿を返された。
ドキリと胸が跳ねあがってしまう。見慣れたはずの顔なのに、どこまでも俺の心を揺さぶってしまう。
別に歩くのとか大丈夫なんだよなと、内心オロオロとしてしまい、逆に平折はどっしりと構えているかのようだった。
これではどちらが年上かわかったもんじゃない。もっとも、3カ月しか誕生日は変わらないわけなのだが。
「次は……8時45分か。30分以上も先だな」
「1時間に1本しかありませんし、しょうがないですね」
辺鄙なところにあるためか、電車の本数はかなり少なかった。
駅は無人で、改札のある所には温泉街らしく足湯もあって、ストーブも置かれている。
春が近いとはいえまだまだ寒い。電車が来るまでここで待っておけということなのだろう。
腰を落ち着けて待とうとした時、どちらからともなく、くぅ、とお腹の音が鳴った。
「……ぁ」
「そういや昨晩から何も食べてないな」
素泊まりだったので夕食も朝食も摂っていない。
その、宿の人と顔を合わせ辛いという事情もあった。
「あー、向こうの方にコンビニの看板が見えてたっけ。ちょっと何か買ってくるから平折はここで待っててくれ」
そう言って、俺は飛び出した。
宿からはやってきた方向とは逆に数百メートルも行けば、見慣れたコンビニチェーン店の看板を掲げているのが見える。
結構な距離があり、歩きにくそうにしている平折を連れてくるには躊躇してしまうほどの遠さだ。
田舎特有のやたらと広い駐車場を見ながら、温かいお茶とパン、サンドウィッチを選んでいく。
「762円です」
「あ……待ってください、から揚げも1カップ、お願いします」
「会計変わって、978円になります」
レジの横では、かつてネトゲのコラボで嫌というほど食べたから揚げが売っていた。
ついつい懐かしい気分になってしまい、買ってしまう。
これを見た平折は何ていうだろうか? そんなことを考えながら平折のもとへと小走りで戻る。
――あまり待たせると冷めちゃうしな。
そして平折の姿が見えた瞬間、駆け出してしまった。
「平折っ!」
「あ、昴さん」
「おや、彼氏さんかい?」
平折の目の前には、今から登山をするかのような恰好をした男性がおり、俺は慌てて彼との間に割って入る。
身体が強張るのを感じる。平折はトラウマから、男性と2人になってしまうと、どうしようもない状態になってしまうからだ。
「はい、そのまま道なりに行けば看板もあるし、分かると思いますよ」
「なるほど、ショートカットしようとしたのが仇となったなぁ。はは、ありがと。彼氏さんと仲良くね」
「ふぇっ?! か、か、彼氏……は、はぃっ!」
「……平折?」
だというのに、平折は特に何でもないという様子で道を教えていた。
俺は何だか狐につままれるような気分になって平折を見る。
平折はそんな俺を見て小首を傾げた。
「あの、昴さん……?」
「いやその、トラウマとか大丈夫なのかって……」
「ぇ…………あ……っ!」
平折はそんな俺の言葉を聞いて初めて気付いたとばかりに、驚きの声を上げた。
今の今まで、トラウマのことなど気付いていない様子だった。
そして俺の顔をまじまじと見つめたかと思うと、いきなりコンビニの袋を抱えていない方の手に抱き付く。
「きっと昴さんのおかげです!」
「俺の?」
「そうです! 昴さんが私をか、か、彼女にしてくれたから……愛してくれたから、怖いとかそういうのが無くなったんです!」
「平折?」
そして平折は ふわりと花咲くようでいて力強い――自身にあふれた笑顔を浮かべて俺に言う。
「私、昴さんのお陰で変われました!」
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