第38話 そして、ここから始める

 俺は平折の手を取ったまま、電車に揺られていた。

 窓からは普段は決して見ることはない山や木々が見え、随分と遠くへやって来ていることを示している。


「……」

「……」


 だけど俺達の間に会話はなかった。

 凜への気掛かりが無いと言えば嘘になる。

 それは平折も同じだろう。

 お互い神妙な顔で、先程の出来事を思いめぐらせている。


 だからこそ、俺には平折に伝えるべき言葉と、そして行くべき場所があった。


『――温泉郷駅、――温泉郷駅』


 いくつかの乗り継ぎを繰り返すこと2時間半、たどり着いたのは古風な街並みが映える温泉地だった。


「こっちだ、平折」

「ここ、は……」


 そこはかつて、親父と弥詠子さんの再婚してすぐの時に訪れた場所と、同じところだった。


 奇しくも、あの時と同じ様に雨が降っており、なんだか運命じみたものを感じてしまう。

 街の方ではなく山の方へと足を向け、平折もどこへ向かっているのか察したのか、会話は無いが迷うことなく着いて来ている。


 おそらくそこは今の俺と平折の始まりの場所でもあり、そして新しい関係を始める為には打って付けの場所とも言えた。


「この辺だっけ?」

「そうですね。この大きな樹の下で雨を凌いでたのを覚えています」


 当時と同じ場所で平折と向かい合う。


 あの時から、色んな事が随分と変わったと思う。

 しかし同じ家で同じ時間を重ねてきた俺達には、あまりに実感がなくて、今日の事もどこか日常の延長のようなモノとして捉えてしまっていた。


 だからこそ、区切りとなるような儀式が必要だった。


「どうして、ですか?」


 向かい合って最初に飛び出したのは、平折の疑問の声だった。


「どうして、私なんですか……?」

「それは……」

「私と違って凜さんの方が綺麗だし、頭も良いし、お金持ちだし、何でも出来て私が勝てるところなんてありません……なのにどうして私、なんですか……?」


 平折の言葉からは戸惑いが感じられた。

 いや、不安と言ったほうがいい。

 平折にとって凜は憧れの対象であり、目標であり、そして生まれ持った資質とは真逆と言える女の子だ。


 だからこそ、この状況に納得していないのだろう。

 迷いもなく平折の手を取った俺を、非難しているとさえ錯覚してしまう。


 俺は確かに平折を選んだ。

 ごく自然に手が伸びて、本能だとか魂に突き動かされたと言っていい。


 しかし、どうして平折だったかなんて、その時の俺自身もわかってはいなかった。

 それは目の前の平折も同じなのだろう。

 だから俺は、もう一度自分の心の奥底に問いかけるようにして、その想いを言葉へと変えていく。


「俺、凛のことが好きだった。さっき公園で言った通り、素の彼女自身に触れていって、何でも出来る天才なんかじゃなくて、俺たちと同じ悩んで頑張る普通の女の子だとわかって――」

「――そうですね。だから私も、憧れや目標から一緒に肩を並べて歩けたらと思うようになって頑張りました。凜さんは決して強い女の子じゃなくて、私たちとそんなに変わらない、悩みを抱える女の子で……」


 なのにどうして? という平折の揺れる瞳が俺を捉える。


「なぁ平折、ここに来た時の事を覚えてるか?」

「それは……はい、覚えていますけど……」


 突然の話題変更に、一瞬平折が困ったような顔をする。


「子供の頃の俺はずっと、寂しかったんだ。家ではずっと1人で、訳もなく全ての部屋の電気を点けたりしちゃってさ、見てもいないのにテレビも付けっぱなしで、俺が寝た後、親父が消すのが日課だって言ってたっけ。今思い出しても、自分でなにやってんだーって思う」

「昴さん……」

「結局さ、俺が平折じゃないとダメなんだよ」

「……………………ぇ?」


 平折は驚き目を見開く。

 そう、考えれば単純な事だった。


「俺さ、気付いたんだ。平折が家族になって仲良くなろうとして、でも上手くいかなくて……ロクに会話もしなくなっちゃってさ、それでも何とかしないとって思ってるけど何もできなくて……」

「それはっ……それは、私も……」

「あぁ、今考えるとお互いダメダメだったな。そして半年前、平折がフィーリアさんとして俺の前に現れて、色々目まぐるしく変わっていって……それでさ、ふと思ったんだ」

「どういう……」

「いつから俺は、あの子供の頃に幾度となく感じた寂しい気持ちはどこに行ってしまったんだって。ずっと考えてみたんだ。そうしたらさ、平折とも会話もしていなかった時期でさえも、とっくに俺の心は平折の事を考えていてさ、とっくに住み着いていちゃってたんだ。だからもう俺は、とっくに平折がいなきゃダメになってしまってたんだ」

「昴、さん……」


 そう、俺の人生はとっくに平折が居るのが当然になっていて、それを喪うのは半身が引き裂かれるのと同じことになってしまっていた。

 土壇場のギリギリの状態になって、それに気付かされてしまったというだけの事で――俺はもはや、呆れるくらい平折に救われていたんだ。


「俺はどうしたって平折が魂に刻まれているレベルで好きで、これからの人生平折がいないと考えられなくて……だから、平折のこれからの人生を、俺にください」

「……」

「……」

「……………………信じられません」

「平折?」

「昴さんの気持ちはわかりました。嘘を言っていないのもわかります。だけど……だけど、信じられないんです! 不安なんです……私は今まで欲しかったものは全て、手のひらからするりと抜け落ちていきました。昨日だって……私、怖いんです……」


 それは平折の心の奥底に根差してしまっているものだった。

 平折という存在を、命を望まれず、疎まれ、否定された過去があるが故の、根深く大きな、きっと一生消える事が無い傷だった。

 だけど俺は、そんな平折に救われた。だからこそ、今度は俺が平折を支えて行きたいと思ってしまっている。しかし、どうすればいいかわからない。


「昴さんのその気持ちは、家族としてのものですか? 同情からですか? 私がたまたま妹になったからこそ生まれたものですか? もしそう言ったものが無ければ、私なんて……なんだかズルをしているような気がするんです」

「じゃあどうすれば……俺に、何ができるだろう?」

「抱いてください」

「……え?」

「兄妹じゃ決して付けることが出来ない傷を、証拠を、私に刻んでください……」

「平折……」


 潤んだ瞳で俺を見上げる。

 それはいつも何かを踏み出そうとするときの意志の強い瞳で、俺の大好きな瞳で――だからその申し出に、どれだけの決意が込められているかわかってしまった。平折はもう、とっくに覚悟が出来てしまっているということが、わかってしまった。そして、今の俺にそれを逆らう術は持たなかった。


「……わかった」

「ぁ……」


 俺はギュッと平折を抱きしめると、その手を引いてある場所を目指す。


「ぁ、ぁの、お金とか大丈夫なんですか?」

「バイト代入ったばかりだからな。放課後2時間程度なのに、日給5000円も貰ってて、まぁ心配するな」


 そこはかつて、俺達家族・・で泊まった温泉宿だった。


 未成年でここでは見慣れない制服姿の俺達は、生徒手帳で兄妹だと証明しても随分と訝しまれてしまい、結局は家へと連絡を入れられてしまう。


 そんなすんなりいかない様も何だか俺達らしくて、思わず平折と2人笑ってしまい、緊張がほぐれる。

 だけど、俺達の想いは真剣で――


「……いいんだな、平折」

「はぃ……」


 そして俺達は、兄妹としての一線を越えた。

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