第36話 決断


 馬鳥亭を抜け出した俺達は、都市部から離れ、住宅街にある公園へとやって来て一息を吐く。

 いくつかの遊具も設置されており、放課後ともなれば子供もいるだろうが、今は無人だ。


「まったく、ビックリしたんだから!」


 凜は腰に手を当てて怒った顔を作りながらそんな事を言う。

 だがその目元や口元は緩み切っており、その安心からくる嬉しさを隠せないでいる。


 どうやら見合いは俺達が想像していた以上に、悪い方向に転がっていたようだった。


 気丈な凜が、これほどまでに安心した顔をするのを見て、そんな事を思う。

 あぁ、色々と間に合って良かった。


「俺も自分で見合いの場に乗り込んでしまって、ビックリしているところだ」

「わ、私もまだ胸がドキドキしています」

「ホントに、昴だけじゃなく平折ちゃんまで、もう……」

「り、凜っ?!」

「ふぇっ?!」


 感極まった凜は目尻に涙を浮かべながら、俺と平折を両手にかかえるようにして抱き付いてきた。

 突然のことに平折もろとも密着する形になってしまい、2人のそれぞれの香りとか平折の身体の小ささ、凜との柔らかさの違いなどを感じさせられてしまい、少し不謹慎ながらもドキドキしてしまう。


 だが凜は俺の心の内など知った事かと、その溢れ出した思いを紡いでいく。


「あたしね、甘かった。思い上がってた。ちゃんとしっかり話が出来れば何とかなるって思ってて、実は全然そんな事無くて……怖かった……世の中にはどうしたって抗えない事が、自分の力が及ばないことがあるって初めて知った……」

「凜……」

「凜、さん……」


 それは凜の弱音だった。

 初めて俺達の前にさらけ出した本音だった。

 よく見れば肩が小刻みに震えており、見合いの席でどれだけ翻弄されてきたのかを伝えてくる。


 また、それだけ凜が俺と平折に心を開いているということであり、この何につけても優秀な女の子が対等だと認めている証拠とも言えた。


 やがて泣いて笑って忙しない表情を作っていた凜は離れ、真っ直ぐに目線を同じにして、俺と平折に向かい合う。


「あたしは昴が好き。大好き。あんなピンチのとこに駆けつけちゃってさ、これ以上惚れさせてどうするのってーの、バカ!」

「……俺はその、迷ってたんだ。だけどどうしても凜が見合いをするのが嫌で、万が一とか考えると飛び出してしまっただけの、ただの自分勝手に動いただけなんだ」

「普通はそうは思っても出来る事じゃないよ。そんな考え無しのバカで、でも大切な人にはトコトン無茶をする……だからあたしはそんな昴に惚れた。好きになっちゃった」

「俺は……俺もこうやって思わず動いてしまうほど、凜の事が好きになってしまってた。何でも出来て頑張って、そのくせ寂しがり屋で意固地なところがある凜が、放って置けなくなるくらい好きだ」

「昴……う、嬉しい……っ! うれし……あれ、あたしちょっと変だ……あはは、涙が止まらないや……」


 それは偽らざる俺の本音だった。

 もはや凜が好きだということは、どうやっても否定する事なんて出来ない。

 真正面から思いをぶつけてきた凜に対し、同じく真正面から受け止め返すのが礼儀とさえ思えた。


 凛と見つめ合う。


「わ、私もっ! 私も、昴さんが、好き、です!」

「平折」

「平折ちゃん……」


 俺と凜が見つめ合う間に、割って入る影があった。

 自分を見ろと、その小さな体を精一杯大きく見せようと背伸びして、ぐぐいと俺へと迫る。

 その顔は鬼気迫っており、どうしても言わずにいられないという、真剣な目で俺を見つめてくる――いつだって何かへと立ち向かおうとする時の、俺の大好きな瞳だった。


「私はきっと、気付かないうちに昴さんの事が好きになっていました。だからその気持ちに自信が持てなくて、気付こうともしなくて……そもそも私は自分も自信がありませんでした……」


 恥じるように目を伏せるも一瞬、向き直った瞳はどこまでも駆け出しそうな色をしていて、それがとても平折らしいと思ってしまう。目が離せない。


「私は昴さんや凜さんみたいになりたいと願いました。憧れました。これからもずっと傍に居たくて、変わりたくて、変われなくて、でも自分なりに努力して……えっとその、あの、いっぱいいっぱい好きなんです……っ!」

「待ってくれ平折、俺こそ平折に憧れた。それまで目立ちもせずオドオドしていたのに、それでも自分を変えようと踏み出して……一緒に住んでいるからこそ、置いていかれるんじゃないかと焦ったりもした。だからこそ俺も、自分を変えようと思ったんだ……っ!」

「ふぇっ?! わ、私はそんな大層な人間じゃないです! ……本当の私はちっぽけで、ここに居るのは凜さんへの嫉妬とやきもちからなんです。私だって昴さんが好きなのに、お見合いに乗り込んで攫いに来るとかズルいとか、そんな下らない理由なんです……っ!」

「平折……」

「平折ちゃん……」


 自分の心の内を吐き出した平折は、止まらない。

 ふんすと鼻息荒く、胸の前で拳を作る。


「私は……そう、私は喧嘩をしにきたんです! 喧嘩です! 家族とかお母さんの事とかどうでもよくなるくらい昴さんの事が好きで、やっぱり凜さんの事も好きで、でも2人が付き合うのは嫌で……だから私を見て、選んでって、邪魔しに来たんです! 私はそんな悪いやつなんです……っ!」


 魂からの叫びだった。

 だけど俺と凜は、目を見開くも一瞬、どうしようもない笑いが心の奥底から溢れてくるのを感じてしまった。


「俺はそんな奴だから、やっぱり平折が好きなんだ」

「ふぇえぇっ?!」


 予想外の返事だったのか、平折は素っ頓狂な鳴き声を上げた。事態を処理しきれないのか、あぅあぅと口をパクパクとさせている。


 ――あぁ、思えば平折に面と向かって好きと言うのはこれが初めてだな。


 これもまた、俺の本音だった。

 もはや、いつからの事かはわからない。

 だけど俺はとっくに平折に惹かれており、好きなってしまっていた。

 だからこそ、平折が自らを変えようと一歩を踏み出した時、俺は追いかけてしまったんだ。


「平折……」

「昴さん、本当に……?」


 平折と目を合わせ、大きく頷く。

 俺が本気で平折が好きだという事が伝わったのか、頭から湯気が出そうなほどに顔を真っ赤にさせて、はぅぅと鳴いた。


 俺達は今ここに、それぞれに気持ちをぶつけ合った。

 互いにどこかすっきりとした顔を突き合わせている。


 だけどこれは、思えば最低の状況にもなってしまっていた。


「……俺さ、平折のことも凜のことも、同じくらい好きなんだ。我ながら最低なことを言っているのは分かっている。でもこれは、間違いなく俺の本当の気持ちなんだ」


 どうしても、この気持ちを2人に伝えなければと思った。 

 それでもどちらも選ぶとか、どちらも選ばないとか、そんな中途半端な答えを出すつもりはない。本気でぶつかってきた彼女達への礼儀だからだ。


 随分と自分勝手な事を言っていると思う。

 怒られたり呆れられたりするかもしれない――しかし俺の言葉を聞いていた彼女達は、笑みさえ浮かべていた。


「うん、わかってた。だって平折ちゃんはこのあたしが認めた女の子だもん。しかも今や巷を騒がす新進気鋭の人気モデル。そりゃあ昴だけじゃなくて、どんなやつだって選べないって。むしろそんな子と天秤にかけられるあたしの方が光栄なほどだよ」

「り、凜さん」

「凜……」


 しばらく俺を見つめていた凜は、1つ大きなため息をつく。

 少し嬉しそうな顔をしつつも、複雑そうな表情で俺と、そして平折を見る。

 そして何かを観念するかのように、言葉を紡ぐ。


「あたしもね、昴のことが好きなのと同じくらいに平折ちゃんのことが好き。大好き」

「わ、私も! 私も凜さんの事が好きです! 大好きです! 憧れるだけじゃなくて、隣に立ちたい! だからえっと、その……っ」

「ええ、わかってる。何があってもあたし達は親友だよ」

「……はいっ!」


 目の前の親友同士の少女2人は、互いに手を取り合い、そして手を繋いだまま空いてる方の手を俺へと伸ばす。


 どちらかを選ぶということは、どちらかを選ばないということだ。

 俺の中で、明確に差をつけるということだ。彼女達の何かが崩れるかもしれない。


 しかしどんな結果になろうとも、平折と凜の絆は揺るがないと――彼女達の繋がれた手が、そのことを雄弁に語っている。


 ここに至って、彼女達はどこまでも俺に優しかった。


「昴さん、好きです。妹として、家族として、女の子としてあなたのことが好きです」

「昴、好きだよ。南條家の娘でもなく、何でも無く、ただの女の子としてあなたのことが好きなの」


 ――あぁ、本当に。平折も凜も……


 その4つの瞳は緊張と共に不安にも彩られているが、俺に対する信頼と期待の光も存在している。2人とも見たことの無い目をしていた。


「俺は――」


 もはや逃れることが出来ない状況だった。

 ここで答えを出さないという選択肢は無いだろう。


 正直、今の今まで迷っていた。答えは出ていなかった。


 だけど俺はこの数か月、目の前で散々重大な決断をしてきた人達を見てきた。


『土壇場になれば、本能が選択してくれるよ』


 正に親父のその言葉通り、自分でも驚くほどあっさりと、そして自然と彼女の手を取った――

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