第35話 *決着


 南條豊和、そして前廣裕史の発言に、凜と南條前廣の両老人たちは狼狽えていた。


 両老人のそれぞれの息子に対する認識は、自分たちと同じく組織と家の事を考え、また己とは違った観点からそれらを発展させる手腕を持つ、非常に良い後継者である。

 だから彼らにとって跡継ぎたちの行動はまさに翻意を促されたに等しく、裏切りによるショックから抜け出せない。


「今後の話をしようか、前廣君・・・

「そうですね、南條さん・・・・


 そして2人は席の中央に陣取り、自分達こそが南條と前廣の、アカツキと灰電の代表であると振舞い、老人たちを余所に話を始める。

 こうした彼らの意識の変化には理由があった。


 話は少し前まで遡る。




◇◇◇




 ――アカツキ本社ビル専務室。


 そこで前廣裕史は狼狽していた。

 先日別れを切り出した岩尾万里のお腹に自分の子がいる――それにどう反応していいのかわからない。


「こ、困ったなぁ……それは本当なのかい?」

「あぁ、病院でも検査してもらったみたいで、確かな事だ。性別はまだ分からない時期らしいが……身に覚えが無いのか?」

「そんなことは! はは……ははは……そっかぁ、困ったなぁ……」


 彼はまるで壊れたスピーカーのように「困ったなぁ」という言葉を繰り返す。いっそ哀れな道化師のようにも見える。

 それだけ岩尾万里の妊娠は、身に覚えがあるとしても予想外であり、受け止めるには多大な労力が必要とされることなのだろう。


 だがそれは、昴と南條豊和からは現実逃避に見えた。

 心中穏やかならざるのは、前廣裕史だけではなかった。


「しっかりせんか、バカ者が!」

「っ?! 痛ぅ……」

「親父さん?!」


 突如、南條豊和の拳が飛ぶ。

 それをモロに顔面で受け止めた前廣裕史は、その場に倒れうずくまり、鼻をおさえる。


 さすがの展開に昴は驚き、どういう事かと目の前の2人の顔を交互に見やる。


「い、いきなり何を……」

「何を、じゃないだろう」


 背筋がビクリとしてしまうほどの、底冷えするかのような声だった。

 それだけ南條豊和の怒りを察するに余りあるものだ。


(もし凜が彼女のように切り捨てられたら?

 もし凜がお腹に子を抱えたまま愛するものと引き裂かれたら?

 もし凜が周囲のせいで自分の子供を諦めざるを得ない状況に追い込まれたら?)


 この話を聞いて南條豊和は、完全に娘の凛と岩尾万里の境遇を重ねてしまっていた。

 それらの事は何一つとして、認められるものではない。


 良い父親だったかと問われると、正直なところわからない。

 だけど娘への愛情は本物だという事は、胸を張って言える。


 それは倉井昴を通じ、教えられたことでもあった。


(娘は、凜は変わった。良い方に変わった。それを父親である私が、ダメにして良いのか?)


 この見合いが、いったいどうして娘の幸せに繋がるというのだろうか?


 偶然か必然か、先程娘が着ていた振袖は、いつだったか昴に諭され、撮影スタジオで見せてくれたものと同じものだった。

 娘の成長を、今を、本当の自分を見せられた時と同じものだった。


 あの時確かに、娘の心からの笑顔を見た。


 何故この話を強引にでも破却しなかったのかと、自己嫌悪にすら陥る。

 そして同時に、南條豊和は娘を投影してしまった岩尾万里が不幸になることも、到底許容できるモノではなくなっていた。


「倉井君、彼の交際相手――岩尾万里さんだったか、連絡を取ることはできるか?」

「え? それはまぁ……ん、平折? 今どこに……って、えぇ?! あ、あぁ、わかった。こちらも今から現地に向かう」

「電話? 何かあったのか?」

「その、平折が既に彼女を連れて馬鳥亭へ向かっていると」

「ふむ、それは好都合。聞いていたか、前廣のせがれ?」


 南條豊和は地べたで放心したままの前廣裕史を引っ張り上げると、引きずるかのように出口へと向かう。


「そ、そんな……僕は一体どうすれば……」

「自分で考えろ。彼女の顔を見れば自然と言葉が出てくるだろう。それで何も出てこないというのなら、お前はただのクズだ。ますます凜をくれてやるわけにはいかん」

「…………」


 連れだって見合い会場に向かう。

 その途中の前廣裕史の顔色は、蒼白とも言えるモノだった。


 馬鳥亭に着いた時、既に入口には平折と岩尾万里が居た。


 まるで出迎えるかのように待っていた彼女を見た瞬間、前廣裕史は先程までの態度から考えられない行動に出て、昴と南條豊和の度肝を抜く。


「すまなかった、万里。僕は前廣の家を出るよ。灰電を辞めてもいい。結婚しよう。そうだ、君の家へ婿養子に入るのもいいね。あぁ、名前どうしようか? 男の子か女の子かまだわからないんだよね? 新しい仕事の事も考えないと……あぁ、困ったなぁ!」

「ちょ、ちょっと裕史くん?!」


 土下座からの抱擁をしたかと思えば、矢継ぎ早にとんでもない言葉を紡ぎ始めた。

 その顔を見れば、どれも真剣に言っているのはわかる。

 困惑したのは岩尾万里だけでなく、その場にいた全員が彼の急変に戸惑っている。


 前廣裕史はそんな周囲の目に気付いたのか、説明するかのように自分の気持ちを言葉にする。


「困ったなぁ、万里の顔を見て、そしてお腹に僕たちの子供がいると想ったら、それ以外の何もかもが些細な事に思えてきたんだ。僕は万里と子供を守る。他に大切なものなんてありやしない。それを邪魔するというのなら、灰電なんて潰れてしまえばいい」

「え、裕史君、本気なの?!」

「はっ! いい顔をする。そうだな、私も同じだ。娘が不幸にしなければどうにもならないというのなら、アカツキなんて無くて結構――さぁ話をつけにいこうか、前廣君・・・

「親父さん……!」


 南條豊和は不敵な笑みを浮かべ、馬鳥亭へと皆を促す。

 それを受けた前廣裕史は、自信に満ちた顔で返す。


 彼らは今まさに、人としての殻を破った瞬間だった。

 目の当たりにしたその場にいた誰もが高揚していた。


「行こう!」

「す、昴さんっ!」




◇◇◇




 そして今に至る。


 もはや何の迷いもなくなった次代の代表者たちは、互いの問題を解決しようと話し合いを始める。


「さて、色々と解決せねばなるまいな」

「そうですね、灰電の人材不足は深刻だ。アカツキがダメとなると、ターゲットが他に移るだけ。同じことの繰り返しになるだけでなく、場合によっては共存関係とも言えたアカツキとの関係にも水を差す」

「あの、それに関してはこれを見てください」


 そう言って岩尾万里が2人の前に差し出したのは、かなりボリュームのあるレポートの束だった。

 どういうことだと目を通していくと、みるみるうちに彼らの顔色が驚愕へと変わっていく。


「人事対応のマニュアルか……? 凄いな、現場責任者が急に抜けたとしても回せるようになっている。見事なものだ。これは是非アカツキにも導入したいところだ」

「それだけじゃなく、新人育成にも役に立つ。今の灰電には喉から手が出る程に欲しいものだ。万里、これは一体どうしたんだい? 1日や2日で用意できるものじゃないだろう?」

「出向先でお世話になった倉井主任が、長年かけて作り上げたものが元になっていて、その――」


 岩尾万里は、2人に気圧されたどたどしくなりながらも説明していく。


 これは昴の父、倉井晴也が不慮の状況に置いて自分が抜けても支障ないようにと組み上げていたものを、どの部署でも対応できるように汎用性を持たせて再構築したマニュアルだった。

 先日の凛との邂逅以来、岩尾万里は自分でも何か出来る事がないかと思い、倉井晴也、弥詠子夫妻と共にまとめたものである。

 その内容は彼らの反応を見るに、大成功と言えるだろう。彼女はホッと安堵のため息を漏らす。


「倉井主任、有瀬直樹にも一泡吹かせていた彼か……まったく、親子揃って面白い奴らだ」

「困ったなぁ、南條さん、彼はうちのグループの人間だ。あげませんよ? 引き抜かないでくださいね?」

「だが、息子の方は渡す気はないぞ?」

「いやいや、選ぶのは本人ですよ?」

「ははっ、言いおるわ!」


 南條豊和は笑う。

 君子豹変すという言葉が脳裏を過ぎる。

 中々どうして、目の前の覚悟を決めた青年は、その器を急速に開花させており、愉快で仕方がない気持ちにさせられる。


「お、お父さん?! 昴は渡さないってどういうこと?!」

「そのままの意味だ。こんな面白い人材、是非ともアカツキに欲しい。大学の学費の面倒を見るから卒業後はうちに来てほしいな……どうかね、昴君?」

「えっ?! そのいや、俺は……」


 突如話題を振られ、昴は慌てふためく。

 その様子をみて南條豊和は、今まで何度か彼にしてやられた事の意趣返しになったと、ますます笑いをこらえきれなくなる。

 多少意地悪のつもりもあったが、それは本音を多分に含んでいた。

 色々と百面相になる娘を見ていると、微笑ましい気分にもなってくる。


「凜、見合いは白紙になった。今から私たちは仕事の話をする。ここはお前のいるべき場所じゃない。そうだろう?」

「……え?」


 そう言って南條豊和は、視線を凜から昴と平折の方へと移す。

 視線を受けた昴と平折は、一瞬目をパチクリとさせたものの、笑顔で頷き、凜へと手を差し伸べる。

 凜にも、父の気持ちが伝わっていく。


 どうして娘が変わったかのか、色々頑張るようになったかなんて、考えれば直ぐにわかることだった。

 父親としては正直なところ内心複雑だ。


「行こう、凜」

「凜さん」

「……ありがと、お父さん」


 しかし娘が嬉しさ隠せない顔をして、2人の手を取るところを見れば、父としてこれに勝る幸せ何てものは考えられなかった。

 アカツキと灰電の両老人が凜の背中に向かって何か言っているが、この場にはもはや彼らの言葉に耳を貸す者はいない。誰の心にも響きはしない。


 娘の姿が見えなくなったのを見計らい、南條豊和は笑みを浮かべたまま前廣裕史と再度向かい合う。


「さて、灰電も問題が解決しそうだが……それを迅速に行うには、1から育てるよりもある程度経験を積んだ人材の方が効率が良いと思わないかね?」

「困ったなぁ、そうやって送り込んだ人材に、人事のシステムを覚えさせるつもりですか? 抜け目のない人だ」

「はは、こちらとしても手伝いの見返りが欲しくてね。前廣君、我々の未来の話をしよう」

「えぇ、お互いよりよい幸せを掴むための話をしましょうか」


 この日、アカツキと灰電に新しい指導者が誕生した。

 数か月後、この2社の社長が交代すると共に経営統合を発表し、世間を騒がすと共に世界的な大企業へと発展していくのは別の話である。

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