第32話 そういうことだな?
飛び出したはいいけれど、完全に勢いだけだった。
平日午前中のガラガラの電車に揺られながら、1人頭を抱える。
冷静に考えれば、高級料亭に制服姿の高校生というのも、場違い甚だしい。
俺は時々、自分でも考え無しの行動をしてしまうことがある。
だけど確かに、あの時は飛び出さずにはいられなかった。
「本能に任せる選択、か……」
親父が言ってた事を思い出す。
土壇場になればこそ、分かることがあるのだと。
俺はこの見合いが気に入らない。
確かに凜が自分の意志で受けると言ってはいるのだが、どうしても胸がもやもやとしてしまう。
それに、凛の思う通りに事が運ばないかもしれないという不安もあった。
だからといって、自分に何が出来るのだろうか?
スマホを取り出し、凜へと掛ける。
電車の中でマナー違反とは思うが、幸いにして周囲には誰もいない。
『お掛けになった電話番号は――』
しかし今日何度目かの呼び出しも、それまでと同じように繋がらなかった。
「くっ、だめか…………ん?」
焦りを落ち着かせようと息を吐き出そうとしたとき、手に持つスマホが震えだした。
「……え?」
凜からかと思って反射的に出ようとすると、画面には全く知らない番号が表示されていた。
予想外の事態に一瞬頭が空白になってしまう。ガタゴトと揺れる電車が身体を揺さぶる。
間違い電話ならそれまでと割り切り、通話を押す。
『倉井昴君、だね……?』
「凜の親父さ――いや、南條専務?! どうしてこの番号を……?」
『芸能広報部でバイトしてたときの簡易履歴書から……ともかく、今は
「そう、ですか」
意外な相手だった。
面識があるとはいえ同級生の父親から、それも大企業の役員からの直接の電話など、どうして予想が出来るだろうか?
しかし、何の用件で掛けてきたかというのは、明確に予測が付いた。
「凜の事ですか?」
『あぁ、そうだ。今学校だと思うが、大丈夫だろうか?』
「はい、電車の中なので」
『電車……なら、アカツキ本社へ来てもらってもいいか?』
「わかりました」
通話を切った俺は、通い慣れつつあった駅で降りた。
◇◇◇
「すまないね」
「いえ……」
驚いた事に凜の親父さんは、本社ビルの入り口まで出迎えていてくれていた。
確かにセキュリティ上の問題を考えると、こうすることが一番手っ取り早いのはわかるのだが、何せ自社の専務が高校生を出迎えているという構図だ。如何せん非常によく目立つ。
俺は肩を縮こませながら、足早に進むその背中を、ほんの少し恨めしく思いながら追う。
案内されたのは専務室だった。
「掛けてくれ」
「はぁ」
何度か入る機会はあったのだが、さすがに部屋の主と2人だと緊張してしまう。
奇妙とも言える状況だった。
同級生の父親と大企業の役員の部屋で顔を突き合わている。
来客用の皮張りのソファーは、想像以上に身体が沈む。
それらの事があまり気にならないほど、喫緊の課題が俺達の間には存在していた。
「君に、凛の級友である倉井君に、情けない事を言うのだが聞いて欲しい事がある。あぁ、こんなの愚痴だと聞き流してくれてもかまわない。私は――凜の見合いが気に入らない」
「……奇遇ですね、俺もです」
「凜にも嫌ならそう言ってくれればと言ったのだが、どうしても出ると言ってな」
「あいつのことだから、もし親父さんから強引に止めさせようとしても強引に出ただろうし、きっと自分の口でハッキリと断ってやりたいからですかね?」
「…………」
「……親父さん?」
「それは随分お転婆というか子供っぽいというか、私の知る凜と……いや、今まで知ろうとさえしてなかっただけか……」
どこか沈痛な面持ちで押し黙ったかと思えば、やおら立ち上がり、自分の机の上から書類を取り出し俺の前に置く。
「これは……っ!?」
それは様々な数字やグラフが描かれた報告書のようなものだった。
生憎とあちらこちらで専門的な単語が多く、内容を理解するのは困難である。
しかしその中に1つ、見過ごすことのできない言葉が書かれていた。
「有瀬直樹勾留後……」
「あぁ、奴は今、脱税の件で留置場だ。見ての通りその日から急速に事態は収束し、数字も回復している。楽観視は出来んが、アカツキの危機は去ったと言える状況だ」
「凜はこの事を?」
「もちろん知っている。だからこそ、自分でと息巻いているのかもしれない」
どうやらいつの間にかアカツキは持ち直していたらしい。
だというのに凜の親父さんはますます眉間に皺を寄せる。
だがその顔はどうしても心配を拭えないと言ったものだ。
俺にはその表情の意味がわからない。
――アカツキの問題が無くなったというのに、いったい何が気に……な……って……!
その意味を考えて、ふと、凛の親父さんが懸念していることに気付いてしまった。
目を見張る俺を認めた凜の親父さんは、その考えを肯定するかのように頷き返す。
――RuRuRuRuRuRuRuRu
それと同時に専務室の内線が鳴った。
これからが本題かとばかりのところで中座させられ、凛の親父さんは不機嫌さを隠そうともせず電話を取る。
「いったい何だ、今大事な話をし――それは本当か? あぁ、構わない。こちらの部屋に来てもらいなさい」
しかしその顔は通話すると共に、どんどんと困惑と苛立ちが混じったものへと変化していく。
どうやら余程の人物が訪ねてきたようだ。
電話を切った後も腕を組んで、そのまま難しい顔で佇んでいた。
「あの、俺、席を外したほうが……」
「いや、そのままで構わない。何せ訪ねてきたのは――」
「――失礼、よろしいでしょうか?」
ノックと共に、若い男の声が聞こえてきた。
凜の親父さんの「あぁ」という許可する声と共に入ってきたのは、いつだったか販促イベントで凜を訪ねてきた男性と同じ人だった。
爽やかな好青年に見えるがしかし、彼を見据える凜の親父さんの目は険しさを増していく。
「おや、来客中でしたか? よろしかったんですか?」
「構わん。しかし見合いの直前にいったい何の用だ、前廣裕史?」
俺はハッと息を飲む。
どうやら目の前のこの人物こそが、凛の見合い相手の灰電の御曹司のようだ。
なるほど、見た目や身に付けているもの、ちょっとした所作からも品の良さが感じられる。
「はは、困ったなぁ……用向きなんて見合いの件しかないでしょう? もし上手くまとまらなかった時の話をしておこうかと思いまして」
「ほう?」
「なんてことはない話です。弱っているアカツキと比べて灰電は資金的な余裕がある。
「……脅しか?」
「困ったなぁ、これはただのもしかしたらの話ですよ。お互いに為すべき役目を果たしましょうという確認ですよ」
前廣裕史は少し困った顔をしつつも、爽やかな笑みを浮かべる。
対する凜の親父さんは、苦虫を噛み潰したような顔だ。
これが一番の懸念事項だった。
確かにアカツキの危機は去ったと言えるかもしれない。
しかし灰電としては依然として人材不足という問題が横たわっている。
灰電としては是が非でもこの縁談を纏めたいはずだ。
強引に話を進めたいがために強硬手段にでてアカツキの敵になってしまう――これが考えうる最悪のパターンだった。
現状会社グループとしてのアカツキと灰電に、資金的な体力の差が開いてしまっているのも問題だ。
だが、わからないこともある。
「何故だ? 私としても灰電の現状は理解している。だがどうしてそこまで南條との婚姻にこだわる? 人材の都合をつけるのなら、アカツキでなくても他にもあるだろう?」
「それは人材もだけれど、それよりも南條凛、彼女が欲しいんですよ。考えても見てください。それまでも彼女は様々な分野で優秀なのは有名だった。そんな彼女が今回指揮を取って仕掛けた写真集がどれだけの金を生み出しました? ざっと数十億円規模ですよ、高校生にもかかわらず! もはや商売や人の上に立つ者として彼女の才覚を疑う人はいませんよ」
「凜が目当て、だと……?」
「正確には彼女の血、ですね。今回の婚姻で2人以上の子供を作って、前廣家に1人養子に欲しいんですよ、あの老人方は。あなた方にとっても悪い話ではないはずだ、何せ同じ血族になるんだから。差し詰め僕に求められているのは種馬の役目です。彼女の子が前廣に来るなら、何も僕でなくても代わりにそこにいる彼が
「貴様……っ!」
前廣裕史は自嘲気味に言いつつも、それは彼も凜も、唯の駒として見なすかのように貶める言葉だった。
我が娘を侮辱された凜の親父さんは激昂するも、彼は涼しい顔でそれを受け流すだけ。
その姿に凜の親父さんは、ますます怒りを募らせていく。
そしてそれは、俺も同じだった。
「そんな奴にうちの――」
「――聞きたいことがある」
「……はい?」
今にも掴み掛からんばかりの凛の親父さんを押し退け、前廣裕史の前に立つ。
「つまりあんたは、灰電が凜の子を欲しいという理由で、岩尾万里とそのお腹にいる自分の子を切り捨てるんだな?」
「………………………………は?」
彼の顔に能面の様に張り付いている笑顔が、音を立てて砕け散るのを聞いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます