第33話 *決心


 平日午前中の住宅街は閑散としている。


「え、あのっ、陽乃さん……っ!」

「いいからっ!」


 陽乃に手を引かれ学校を飛び出した平折は、引っ張られるままにされていた。

 どこか不敵な笑みを浮かべる陽乃に対し、平折の顔は困惑に彩られている。

 2人とも制服姿にもかかわらず、鞄も何もない手ぶらの状態だ。

 彼女達のそんな姿は色んな意味でよく目立つ。


 平折はただただ、目まぐるしい状況の変化に戸惑っていた。


「私ね、お姉ちゃんが好き」

「ふぇっ?!」


 赤信号で立ち止まった陽乃は、不意に振り返って、息を弾ませながらそんな事を言う。

 またも突然の言葉に、平折は驚きの鳴き声を上げてしまう。


「ううん、大好きになっちゃったって言ったほうがいいのかな? だからね、何かもう色々取り繕ったり難しい事は考えないことにしたの。素のままの私を知ってもらってね、その上でお姉ちゃんにも大好きになってもらうの!」

「ぁのっ、そのっ……」


 そして陽乃は平折の両手を取って、その姉の面影のある顔をぐぐいと近付ける。

 平折は今までに経験の無い他人・・との距離感に驚き、たじろいでしまう。


「私ね、ずっと自分というものが無かった。誰かに言われるまま、流されて生きてきた。それは楽な生き方だけど、本当に欲しいものは手に入らないの……手に入らなかったの……」

「陽乃さん……」


 陽乃は打って変わって真剣な表情で見つめてくる。

 彼女が誰の事を言ってるかなんて、わからないはずがない。

 だからそのどこか泣きそうにも見える顔を、平折は目を逸らせない。


「お姉ちゃんはさ、きっと自分で思ってる以上に昴君の事が好きだよ。それは今の私から見てもよくわかる。もうね、心の深い所で昴君が根差しちゃっててさ、それを無理矢理どうこうしたりすると、お姉ちゃんはダメになっちゃう。どこかで自分でちゃんと区切りを付けなきゃ、歪な傷が残って一生昴君に囚われちゃうよ」

「それ、は……」


 ――私のように、ね。


 なんて言葉が聞こえた気がした。

 陽乃の言葉はズキリと平折の胸の、非常に弱い所を突き刺す。耳どころか心までもが痛い。


 まさにその通りだった。

 平折は昴に依存しているとも言える想いがあるのを、自覚していた。

 だからこそ嫌われないように、どんな形であれ傍に居られるように、無意識のうちにそんな行動を取ってきたと言える。


 ――何より、自分が傷つかぬように……


 だからこそ平折は自分の中の好きという感情に自信が持てず、不純であるとさえ思っていた。


「私はお姉ちゃんが、そんな風になっちゃうのがイヤだ。だから引っ張ってでも昴君や凜さんの所へ連れていくの」


 陽乃は「文句ある?」と言いたげな、とびっきりの笑顔を見せる。

 そのあまりに堂々としていて魅力的な笑顔に、平折は思わず息を飲んで吸い寄せられてしまう。

 呆けていたのも一瞬、ぐいっと再び手が引っ張られた。信号は青になっていた。


「行こっ、お姉ちゃん!」

「…………ぁ」


 不意に手を引く妹が、幼い頃の彼女と重なる。



『わたし、ひの! いっしょにあそぼ、おねぇちゃん!』



 それはかつての記憶だった。

 忘れることのできない記憶だった。


 当時の平折にとって陽乃は、知ってはいたけど遠い存在である。

 自分とは違う綺麗な服、比べ物にならない大きな屋敷、多くの人に囲まれ持て囃される様はまるでお姫様のよう。


 事情はよく分からなかったが、周囲の大人達はあからさまに平折と陽乃を区別・・する。

 だから彼女は、自分が触れてはいけない存在だと思っていた。


 そんな彼女が屈託のない笑みを浮かべ平折を誘う。


 戸惑いはあった。

 だけどその手を掴んだのは何故なのか?


(何かが変わると思ったから……)


 思えばあの時からずっと変わりたいと思っていた。

 自分でも頑張ってみたつもりだった。


 だというのに、このかつてと同じ状況はどういうことだろうか?


(私は……ここぞという時は、いつも誰かに手を引かれていますね……)


 目の前の陽乃に昴と凜、いつだって彼らに助けられてばかり。


 そんな平折の心なんて知ったことかと、前を行く陽乃が己の胸の内の大事な言葉を告げる。


「お姉ちゃん、私ね、目標が出来たんだ」

「……え?」

「ファッションのデザインとかコーディネートをする会社を立ち上げたいんだ。もうね、アカツキの専務――凜さんのお父さんとも色々話も着いてるの」


 陽乃は前を向いたまま言葉を繋げる。


「モデルなんていつまでやれるかわかんないしさ。だから色んな自分に挑戦して、磨き上げて、それでもし失敗したらお姉ちゃんに慰めて貰って、そしてとびっきりいい女になってやるんだ! 昴君にね、逃した魚は大きいんだぞって思わせてやりたいの!」

「陽乃さん……」


 陽乃は平折へと振り返る事は無かった。前を見据え続けていた。

 真実、彼女は前を向いて、目標に向かって歩み続けているのだろう。

 その事実が、随分と平折の胸をざわつかせる。


 つい先日、想い破れ傷付いていたの姿はどこにもなかった。

 否、傷付いていたけれど、立ち上がったのだ。


 再び前を向いて歩き出した彼女は、今までと比べ物にならないほど輝いている。


 それは平折が憧れた女の子――凜にも似た輝きだった。


 思い出すのは「ふざけるな!」と言われ頬を叩かれ泣かれた記憶。

 あの時の自分の言葉がどれだけ凜を傷付けたのか、今ならよくわかっている。


 だけど彼女も立ち上がった。いつもより輝いて見えた。だからこそ、昴も彼女に惹かれないハズが無いと思い、あんな行動を取ってしまった。


 その輝きこそ、平折が憧れた強さでもあり、自分もそうありたいと願ったものではなかったのか?


 平折は目を細めて陽乃を見つめる。

 前を行くの手から思いが伝わってくる。


 傷付くことがなんだ!

 そんな事を恐れてたら何も手に入らないんだぞ!

 もしお姉ちゃんが倒れちゃっても、私が何度だって引っ張り上げてやるんだから!


 それは確かな姉妹の絆だった。

 生涯にわたって切れることの無い、確かなものだ。

 それが平折の心に勇気を灯す。


(私、変わらないと!)


 恐らくここが転機なのだろう。


 どうして凜が、昴に思いを告げる前に自分に胸の内を打ち明けてくれたのか――それを思うと、ここで変わらなければ昴だけじゃなく、親友であるはずの凜にも顔向けできなくなってしまう。隣に立つ資格が無くなってしまう。


 そう思うと、平折は居ても立っても居られなくなり、身体は自然と駆け出してしまった。

 平折と陽乃の身体の位置が入れ替わる。

 今度は平折が引っ張る番だった。


 きっと、屋上で陽乃も平折の頬を叩いたから――本気でぶつかってきたから、自分もそうであろうと思うに至ったのだろう。


「行きましょう、陽乃さん! 兄妹喧嘩をしに!」

「お、お姉ちゃん?! え、ちょっ、方向が!」

「どうしても幸せにならないとダメな人がいるんです! その人の所に行かないと!」

「ど、どういう事?!」


 全てに向き合う覚悟が出来た平折には、どうしても無視できない顔が思い浮かんだ。

 凜が行動するきっかけにもなった相手でもあり、そして昴も決して無視はしないという人物の顔だ。


 彼らと肩を並べるためにも、彼女・・のことも、どうにかしないと! そんな気持ちになっていた。


「岩尾万里さん――凜さんの見合い相手の恋人です!」

「えぇ……えええぇえぇぇぇえぇぇっ?!?!」

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