第31話 *凛の想い


 今まであたしはあたしを、こうあるべきだと定義して生きてきた。


 アカツキグループ継嗣、経営者一族の一人娘、南條凜。

 その立場と責任は、大きく重い。


 彼女・・ならば勉強は出来て当然だ。

 彼女・・ならば武術もスポーツも一流であるに違いない。

 彼女・・ならば歌も絵も芸術分野ですら涼しい顔で結果を出さなければならない。


 周囲からも、そういう期待があった。


 だけど最初からそれら全てが出来たわけではない。

 どれも結構な修練を重ねてきたと思う。

 幸いにしてと言うべきか、あたしはそれらが別に苦では無かった。


 勉強で新しい知識を蓄えるのは面白かったし、運動や武術で自分の身体を思い通り動かせるようになっていくのは得も言われぬ爽快感があった。

 手芸や音楽などの芸術分野も同じで、先達たちの積み上げた技術に触れて獲得していくのは、興味深くさえある。


 まるでゲームで実績を作るかのような感覚で楽しんでいたのだと思う。


「南條のお嬢様は天才だ」

「アカツキの将来も安泰か」

「一体この子は、次に何を見せてくれるのだろう?」

「よくやったぞ、凜!」

「まぁ! 凜、あなたはえらい子だわ!」


 父も母も周囲の大人たちも、何かを為す度に褒めてくれた。喜んでくれた。それが誇らしく嬉しかった。

 だからあたしは次々と色んな事に挑戦し、何でも出来るようになって、そして――


 いつからだろうか?

 勉強も運動も芸術も、ただの義務の様にこなすようになってしまっていた。

 だというのにあたしは、それをこなす自分に疑問を持つことなく、南條凛を演じて・・・いく。

 あたしはただ父や母、周囲にいる皆に、喜んで欲しかっただけだというのに、彼らのあたしを見る目はどんどんと遠のいて行った。


「南條のお嬢様は神童、いや化け物だ」

「あの方に出来ないことがあるなら教えてほしい」

「高嶺の花と言うが、確かに美しいが棘があり過ぎる。見てるだけが一番だな」

「よくやった、凜。次も上手くやるように」

「凜、今度の事なのだけれど――」


 いつの間にかあたしは何でも出来て当然となり、1人ポツンと取り残されたかのような感覚に陥ってしまっていた。


 こんなはずじゃなかった。

 ただ、皆に喜んで欲しかった。


 だというのにあたしは、南條凛・・・を演じる事を止めることは出来なかった。



『高校では独り暮らしをしてみたいの』



 思えばそれは親の気を惹こうとした、精一杯の我儘だったと思う。



『そうか、凜、お前の事は信頼している。それが自分に必要と思ったのなら、やってみると良い』



 だけど返ってきたのは、まるであたしの事などもうどうでも良いと思えるかのような言葉だった。


 それでも、高校生活は何か変わるかもしれないという期待感があった。

 誰もあたしが南條家のお嬢様だという事を知らないからだ。

 何かの変化を期待するのはいけない事なのだろうか?


 そんな希望を胸に高校生活を始める。何人か中学からの顔見知りもいたけれど、大丈夫、あたしの素性はバレていない。

 誰とも表面上揉めることなく付き合い、成績は常に1位をキープ。お洒落にもちょっと気を配ったりなんかして、輝かしい高校生活と言えるかもしれない。


 だけどそれは、結局アカツキグループ継嗣・南條凛ならこうするだろうということをしていただけの結果でしかなかった。

 結局あたしは、それ以外のあたしを知らなかったのだ。

 今までと変わった事はと言えば、嫉妬による陰口の存在を明確に知ったことくらいじゃないだろうか?


 虚しかった。せんない気持ちになった。何よりどこも変わる事の出来ない自分に、絶望すら感じていた。

 きっとあの時のあたしは、結構ぎりぎりの状態だったのかもしれない。


 そんな時だ。


『ぁ、ぁの、南條さん……わた、私、自分を変えたくて……っ!』


 それはあたしが初めて見る瞳だった。

 畏れ、戸惑い、不安……そして、あたしを飲み込まんばかりの強い意志を秘めた色。


 もしかしたら、クラスでも地味で目立たないこの子が変われるのだとすると、あたしも変われるのかもしれない。


 ――きっと、知らないうちにあたしは平折ちゃんに自分を重ねていたのだと思う。


 だからこの親友となった、気弱だけど確かに勇気を持っている女の子が、皆に認められて行くのが、我がことのように誇らしかった。

 それはとても充実した日々だったと思う。

 彼女ために手助けするのは、ごく自然の事だった。


 唯一誤算とも言えるのは、同じ人を好きになってしまったことだ。


 昴はあたしから見ても初めて見る――いや、変わった奴だった。


 あたしが金持ちだとかアカツキのお嬢様だとかバレても態度が一切変わらなかったばかりか、八つ当たりや試すかのように誘惑しても、手を出す素振りもなく、あたしが魅力的だからこそ困ると言う。初めて男の子にそんな事を言われて、ドキリとしたっけ。

 そして昴は、平折ちゃんを追いかけるかのように、努力して変わっていった。


 平折ちゃんも、昴も一緒だった。

 誰かの為に動いて頑張って、その姿がとても眩しくて――だからあたしは、どうしようもなく2人に惹かれたんだ。


 あたしは今のままじゃ嫌だ。

 あたしは平折ちゃんとギクシャクしたままじゃ嫌だ。

 あたしは昴と友人なままの関係が嫌だ。


 2人はあたしにとって太陽みたいな存在で、どちらかを諦めるだなんて、とてもじゃないけど耐えられない。

 しかしそんな願いが都合のいい事だなんてのも分かっている。


 だけど平折ちゃんが、昴がそうしたように、あたしはこの状況を変えられるあたしになりたい。


 きっとあたしは、自分で思っている以上に馬鹿で欲張りなんだと思う。



「よしっ!」



 パチン、と自分の頬を叩いて気合を入れる。

 これからあたしは、なりたいあたしになるための我儘を通す。


 戦場お見合いへと向かう自分の武装衣装をチェックする為に、目の前の姿見でくるりと回る。うん、なかなかいい感じ。


 目の前に写るのは、雪と桜をあしらった振袖姿の自分。髪はアップで纏めてあって、いつもよりちょっぴり大人っぽい。


「凜様、これで本当にいいんですか?」

「これが良いのよ」


 不安そうに尋ねるのは、顔なじみのアカツキ芸能広報部のメイクとスタイリストさん。

 あたしは今、アカツキ本社ビルの芸能部に居た。


 この衣装はいつだったか昴が選んで父へ見せたり、正月の初詣にも着たものだ。

 確かにこれは一級品ではあるものの、超一流品とは程遠い。南條本家に行けば、これより価格が一桁違うものがゴロゴロしている。


 だけどあたしは、昴や平折ちゃんとの想いが感じられる、この衣装が良かったのだ。


 訝しむスタッフさん達に対し、まかせろと言わんばかりの会心の笑みを返す。


 その時、部屋に慌ただしく入ってくる人物がいた。


「凜!」

「お父さ――専務」

「いや、今は父として会いに来た!」

「え、うん……」


 父だった。


 いつもの泰然とした態度ではなく、どこか焦りのようなモノが感じられる。

 だというのに、その瞳には強い意志が――平折ちゃんや昴と同じ色を放つものがあり、あたしをたじろがせてしまう。


「凜、お見合いが気に入らないなら、断っていいんだぞ?」

「お父、さん?」


 それはあたしにとって、意外過ぎる言葉だった。


 ――南條凛は何であれ出来て当然、嫌ならやめていいだなんて言われたことがない。

 だからその父の言葉に動揺してしまい、なんて反応していいかわからない。心が少し、掻き乱されてしまう。


「凜、私はその……お前を、自分の娘の幸せを願っているんだ。私は凜の味方だ。だから、嫌だと言うなら私が――」

「――あはは、もう何言ってるの、お父さん!」


 だからそれらを吹き飛ばすかのように、笑い声を上げる。

 確か先日も同じような事があった。

 最近父が、あたしの予想と遥かに違う事を言って困ってしまう。


 だけど、それでも、あたしがすべきことは一つだ。


「大丈夫だよ、お父さん。あたしは自分で納得して見合いに行くんだし、お父さんはいつものように・・・・・・・ドンと構えて見ててよ」

「…………凜」

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