第30話 *陽乃の想い


 思えば主体性とは無縁で生きてきた。

 特にこれといった目標もやりたいもなく、言われるがまま流される。

 それは何も考えなくてもよくて、楽と言えば楽だった。


 モデルの仕事もそうだ。特に思い入れも無い。

 ただ父の指示に従っただけのこと。

 幸か不幸か私には、それを難なくこなせるだけの才覚と容姿、根回しするだけのコネと財力があった。


 きっと、本気で目指している人達からして見れば、とんでもない事だと思う。


 難しく厳しい世界だというのは、頭ではわかっている。

 私は恵まれた環境に居たのだろう。

 自分が成功していく途中で、散々夢を叶えられなかった人達を遠巻きに見てきた。


 ――あぁ、あの子達は悔しくて悲しいんだろうなぁ。


 だけど感情として、彼女達を理解することは出来なかった。


 苦労とも無縁だった。

 挫折も壁に当たることも無く順風満帆。

 いくつかのどうしようのない事を除けば、たいていの事は思う通りに事が運ぶ。


 だから、私は大きな間違いを犯した。


『ひぃちゃん、いや陽乃・・。好きだよ。だけどその好きは恋じゃない』


 最初、その言葉の意味を理解するまでに結構な時間を要した。


 それは何度目かの、昴君へ冗談交じりに付き合おうと言って返された言葉だった。

 全てが本気だったわけではないが、全てが冗談だったわけでもない。


 なんとなく――それこそ何の根拠もなかったのだけれど、私が望めば仮に彼と付き合ったとしても、それでも姉とその親友は上手くいって、誰もが笑顔でいられる……そんな起こりうるはずの無い、妄想じみた願望を抱いていた。


 ――何てバカだったんだろう。


 もうどうしようもないという現実を突き付けられて初めて、私は彼女達の涙の意味を知ったのだ。


 胸を一面に塗りつぶしたのは後悔だった。


 あの時あんな風に言わなければ、冗談交じりでもそんな事をしなかったら……そんな「たられば」の想像ばかりが、今も私の脳裏を過ぎり胸を蝕む。


 だけどそれは、いくら望んだところで決して叶わぬ願いになってしまっていた。

 せめて自分の気持ちを素直に届けていたら、たとえ身を引き裂かれるような哀しい想いをしたとしても、この胸に残るしこりのようなモノは産まれなかったに違いない。


 きっとこれは私の生涯にわたって残るものだ。

 決して消えない傷だ。


 だから私は、自分と同じ過ちを犯そうとしているお姉ちゃんを、見ていられなかった。



「勝手に泣いて、諦めてんじゃない、このバカ姉!」

「……っ?!」


 見ているだけのつもりだった。

 だけど、気付けば手が出てしまい、自分でも驚いてしまう。

 それだけ感情が爆発していたのだ。


 ――こんなところ、姉妹で似なくていいのに!


「お姉ちゃん! まだちゃんと好きって伝えてない! 勝手に逃げ出して悲劇のヒロインぶるな、この卑怯者!」

「陽乃、さん……」


 かつての自分を見せられている様で、無性にイライラしてしまう。

 お姉ちゃんにどう思われるかとか、嫌われたらどうしようかとか、そんなことはもう関係なくて、同じ傷を抱えられて堪るかとばかりに思いをぶつけていく。


「ねぇ、お姉ちゃん。確認だけど、一度でもちゃんと好きだって伝えたことある?」

「それ、は……」

「言ってないでしょ? どこか誤魔化しながらとか、間接的にとかでしか言ってないんじゃない? それって、まだ本気でぶつかってないってことでしょ?」

「…………」

「ちゃんと言わないと絶対後悔するんだから! 全てが終わってからだと、どうしようもないんだから! 後になって、あの時ちゃんと伝えられてさえいれば、今と違った未来があったとか……そんなこと、思わなくてもいいんだから……」


 最後の語尾はほとんど声になっていなかった。

 そこで初めて、自分の頬に熱いものが伝っているのに気付く。


「……そんな事、わかっています」

「お姉――」

「そんなのっ! 今まで散々経験してきてるもんっ!」

「――っ!」


 それは予想外の反応だった。

 元々、限界が近かったのだろうか? 感情の堰を切ったかのように、その胸の中の激情をぶつけてくる。


「だって、今までどうしようもない事ばかりだったもん! 言っても! 泣いても! どうにもならなくて……わたし、これでも頑張ったんだよ……でもやっぱりわたしじゃ……わたしじゃだめなの……」

「それは……でも……なら、諦めるって言うの?!」

「そんなの、出来るわけないよぉ! 他と違って、これだけは……どうしたらいいの……うぐぅ……」

「おねえ、ちゃん……」


 そう言ってお姉ちゃんは、まるで幼子の様に地べたに座り込んで泣き出した。

 今まで必死に強がっていた虚勢が、崩れ落ちていくのを感じる。


 自慢の姉のことだ。

 きっと、不器用ながらも、自分なりに出来る事はやったのだろう。

 だからこそと言うべきか、その心はとっくに疲弊しきっている。

 具体的に何があったかはわからない。だけど、再び立ち上がるには、あまりにもボロボロだ。見ていて痛ましく、自分の中の何かがごりごりと削られていくのがわかる。


 だけど、確かに不思議な感覚もあった。


 今まさに行われているのは、本音をぶつけ合う姉妹喧嘩だ。

 たとえ見た目が似ていたとしても、互いの心に抱えているモノが違うと言う事を、急速に理解していく。

 互いの心を傷付け合っているのがわかる。だけど同時に、相手の事が急速にわかっていくのを感じていた。


 そう、自分と姉は、あらゆる意味で違う人間なのだ。


 ――あぁ、だから昴君は、私とお姉ちゃんを間違えることがなかったんだね。


 いくら仲良くなっても、己の気持ちを真正面からぶつけないと、わからない事が多い。

 だからこそ、この本当は弱くて泣き虫で……でもちゃんと勇気も持ち合わているこの姉に、自分の気持ちを伝えてほしいと思う。


 それは、生まれて初めて感じた使命だった。


兄妹喧嘩・・・・、しに行こうよ」

「…………ぇ?」


 自分でも何を言ってるのか、わからない。

 まずは自分の想いをお姉ちゃんに伝えるのだ。

 そうすればきっと、想いを伝えることの重要さを分かってくれるに違いない。


「うん、喧嘩。喧嘩をするの。真正面からさ、昴君の事を好きだって言ってやるの。もうね、家族だとか妹だとか、考えずに言っちゃうの。きっと昴君もそういうところ意識してると思うんだ。だけどね、妹からそう言ってやるの。妹から全身全霊で好きだって言われるんだよ? 気にしないはずないし、言われたことは何があっても・・・・・・絶対一生その事は忘れないよ」


 我ながら無茶苦茶な理屈だと思う。

 だけど気持ちは、どうしようもなく昂っていた。


「だからさ、昴君にそんな忘れられない傷跡残しに行こっ!」

「ひ、陽乃さん……っ?!」


 そう言って、強引にお姉ちゃんの手を取って走り出す。

 相手の都合とか、そんなこと知った事じゃない。


 これは奇しくも、初めて姉を外に連れ出し、崖から落ちた時と同じだと思ってしまった。


 だからこれはきっと、私の我儘だ。

 お姉ちゃんに、昴君の事で後悔して欲しくないという、自分勝手な願望だ。

 本人としては堪ったものじゃないだろう。


 それでも私は、この自分の殻に閉じこもってしまった姉を、連れ出したくて仕方がなかったのだ。


 根底にある思いは当時と同じく1つ。


「私ね、お姉ちゃんには笑っていて欲しいんだ!」

「ふぇえ?!」


 なんてことはない。


 昔から私は自分で思っている以上に、お姉ちゃんが大好きなだけだったのだ。


 かつては子供故にミスを犯した。

 あの時の傷も、昴君と同じく心に残っているままだ。

 だけど、もし姉が想いを告げてくれたら――きっと、どちらの傷も和らぐに違いない。


 ――あぁ、なんていう身勝手だ!


 それゆえに、これは失敗出来ない。


 目を回しながら必死についてくるお姉ちゃんを傍目に、息も整わぬままにスマホを取り出した。


「南條、専務、ですか? 実は――」

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