第29話 *平折の想い


 私は自分が嫌いです。


 暗くて地味で人見知り。

 勉強もそこそこで、運動神経も並以下。

 何か人に誇れる特技があるわけでもない。


 こんな自分に価値があるのでしょうか?

 そんな事を何度考えたかわかりません。


 だから、こんな自分を変えたかった。

 だけど、それはとても難しいことです。


 ゲームの中では自分を変えることができました。

 偶然を装い、仮初の世界で昴さんと友達になって、演じるのは憧れた娘を真似た理想の自分。


 それはとても楽しい日々でした。

 弱くて臆病で卑怯な私は、それで満足すべきでした。

 だけど、欲を出してしまったんです。



『なんだよ、家近くなのか。ならさ、週末一緒に行かない?』



 切っ掛けは彼のそんな言葉です。

 いつかこんなことを言われるかもという予測はしていました。



『あはは、そんな暇があるならゲームで狩りに行きたいな』



 フィーリアという私が作り上げた虚構の彼女は、きっとこう言って断るはずです。

 そんな台詞も、ずっと前から用意していました。


 なのに――


『いやぁ、なんて言いますかですね。私ってゲームとリアルじゃ印象全然違うんだ』


 頭の冷静な部分とは裏腹に、気付けばそんなチャットを打ち込んでいました。


 いつだって昴さんは私を見守ってくれていて、さりげなく手を差し伸べてくれている。

 そんな事はよくわかっています。


 私は変わりたかった。

 変わろうとする自分を見て欲しかった。

 だから、その手が差し伸べられることを期待して、掴もうとしました。


 きっと私はこの時には既に、昴さんにどうしようもないくらいに惹かれていたのでしょう。


『へ、吉田さん、すぱーっとイメチェンしたいって?! え、あぁ、うん、任せといて! とびっきり可愛くしてあげるから!』


 意を決して相談した凜さんはやっぱり素敵な女の子で、こんな地味で暗くてオドオドしている当時の私を馬鹿にすることも笑う事もなく、話を聞いてくれて、私もああなりたいと願わずにはいられません。


 それから色々ありました。


 ちょっぴりだけど勇気を出してみました。

 自分なりにですけど、頑張ってもみました。

 少しは手ごたえを感じています。


 私は昴さんや凜さんに近付けたでしょうか?



「吉田さんは変わってないね」



 だからその坂口さんの言葉は、頭を殴られたような衝撃でした。

 あまりに衝撃的過ぎて、それまで感じていた男性と2人きりという恐怖すら吹き飛んでしまったくらいです。


「どうして、ですか……?」


 ――どうして私の努力を否定するのですか?


「僕はずっと委員会で吉田さんを見て来てたんだ……どんなことも真面目に取り組んで、努力して……写真集だってそうだ。僕はそんな吉田さんがずっと好――

「私は嫌いです! 嫌です……今までの私と同じじゃイヤ……っ!」

「吉田さんっ!」


 自分の中の不安を吐き出すように叫び、その場を飛び出してしまいました。

 坂口さんが何か言っていますが、聞きたくありません。


 変わらない私だと――変われない私だと、ダメなんです!


 だってそれだと、私と昴さんは――


「平折ちゃんっ?!」

「凜、さん……っ!」

「どうしたの、何かされた?!」


 飛び出してすぐのところに、凜さんがいました。

 私を見守ってくれていたのでしょうか?

 心配そうな瞳で覗いてきます。

 そこに他意は無く、ただただ私の事を気遣ってくれていて――だからこそ彼女は眩しい。


 だけど今は、その眩しさこそが昴さんに相応しいのだと――かつての私が思い認めたことこそが正しいのだと見せつけられたようで、胸が痛い……


「何でも……なんでも、ない、です……っ!」

「平折ちゃん!」


 そして私は逃げ出しました。

 自分の思い描いていた絵を見たくなくて、凜さんの顔を見ていられなくて……



 この日の授業は何も頭に残りませんでした。


 家に帰ると、既に昴さんが帰って来ていました。

 不安な心を紛らわせたくて、卑怯だと自覚していても、彼の顔を見たくて、そして――


「……それでも、どちらか選択しなきゃいけないとしたら、どうすればいい?」


 ――胸が暴れ出し、痛いなんてものじゃありません。


 電話の相手が誰だかはわかりません。だけど、確かに昴さんは今、選ぼうとしていました。


 私は弱いです。

 私は臆病です。

 私は……卑怯です。


 昴さんの事がとっくに好きだったというのに、今の関係が心地よくて、そのままにして置きたくて、自分の気持ちを騙し続けて……その癖、誰か凜さんに取られそうになっている土壇場になって、焦っている。


 私はきっと、嫌な子です。


 居ても立ってもいられず、部屋に戻り着替えをします。

 それはフィーリアとして、変わろうとした私として、昴さんの前に立とうとした時の衣装。

 この姿なら、何かを変えられるという思いがありました。


「昴さん、いますか?」

「……っ、平折!」


 必死でした。

 今しかないと思いました。

 別に遊びのつもりでも構いません。


 せめて自分の心を知って欲しくて、その証を欲しくて、抱き付いて、誰とも凜さんと付き合っていない今ならばと……だけど――


「平折、これ以上は、その……」

「……そうですね……」


 私がチビだからでしょうか?

 胸も小さくて愛嬌も足りません。

 だから、遊びのつもりでも抱いてくれないのでしょうか?


「……昴、さん」




◇◇◇




 薄暗い部屋、ベッドの上。

 自身にほのかに残る昴さんの香りを抱いて、自分を慰めて――気付けば朝でした。

 頬には涙に濡れた跡。


「そこで、女の子に手を出すような人じゃないってわかってたのに……」


 冷静さを取り戻した私は独り言ちながら思いを馳せます。

 ぼんやりした目の前にあるのは、まだ半分ほどコップに残っている麦茶。

 脳裏に浮かぶのは、私の肩をそっと押して離した昴さんの瞳。


「……………………ぁ」


 それは今まで私が、散々見てきた瞳と同じものだったというのに、今になって気が付きました。


『……平折も飲むか?』


 思い返せば、私がフィーリアとして昴さんと初めて出会う前日にも見せてくれたものと同じです。


 ……そうです。

 誰よりも真剣に相手を思いやり、その人の為には時に大胆なことをしでかしてしまう……私はそんな昴さんの事が大好きなんです。

 きっと焦っていた私は、昴さんが手を出さなかったことによって、最後の最後で自分自身を裏切らずに済みました。


 私は私の事ばかりで、昴さんの事を何も考えていなかった事にも気付かされます。


 ――変わってないと、坂口さんに言われる筈です。


 きっと昴さんは今も色々な悩みを抱えているに違いありません。凜さんだってそう。

 お見合いの件が気にならない筈がありません。


 ……


 昴さんが屋上にいるという情報をくれたのは祖堅さんでした。


 今の私に出来る事が、すべきことがある筈です。

 だとえそれが、私が望まない結果を招くことになるとしても、それでも――



「私はね、こういう時に、誰かの為に飛び出して行っちゃう昴さんが好きなんです――だから……」

「あぁ、行ってくる……っ!」



 駆け出した背中が遠くなっていきます。

 私でなく、凜さんのもとへと走り出した背中が……

 私はちゃんと変われたでしょうか?


 これできっと、昴さんは決断を下せるはずです。

 これできっと、良かったはずです。

 これできっと……私の、恋は、ちゃんと……


「ふぅ……うぅ……うぁ……ぐ、ぁぁぅぁ……」


 どうしよう、困りました。


 これで良い筈なのに涙が止まりません。

 胸の痛みが増すばかりです。


 私は弱いです。

 私は臆病です。

 だけど私の臆病な部分は、少しだけ変わってくれたでしょうか?


「ぁぁ、ぅあああぁあぁ、昴さぁあぁあぁ」


 私、は――



































「勝手に泣いて、諦めてんじゃない、このバカ姉!」

「……っ?!」


 パァン、という乾いた音と共に、右頬が焼かれたような熱を感じました。

 嫌でも意識がそちらの方に引き寄せられてしまいます。


「お姉ちゃん! まだちゃんと好きって伝えてない! 勝手に逃げ出して悲劇のヒロインぶるな、この卑怯者!」

「陽乃、さん……」


 そこには目に涙を浮かべた私のいもうと・・・・がいました。

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