第28話 嵐の前の―― 後半


 その日は朝から落ち着かなかった。


 何をするにしても上の空で、授業も耳を右から左。

 ぐるぐると厭な想像ばかりが頭を過ぎり、気付けば非常階段を上った先にある、屋上へと入り込んでいた。


「お見合い、か……」


 見合いという体裁を取ってはいるものの、それは企業と企業の行く末を決める契約の話し合いであり戦場だ。

 いくら凜が優秀でしっかりしているとはいえ、まだ俺と同じ17歳の女の子でしかない。


 アカツキと灰電は互いに大きな問題を抱えている。

 それが解消されない事には、凛の立場は揺るがない。

 もしかしたら、そのまま何もできず婚約となるかもれしない。


 気になって仕方がなかった。


 だけど俺には待つことしか出来ない。

 それが歯がゆくて仕方がなく、落ち着かない気持ちにさせている。


「はぁ……」


 寝転びながら吐いた白いため息は、そのまま目前の青い空へと溶けていく。

 それと同時に、俺を頭上から覗き込む顔が現れた。


「よ、こんなところで何を黄昏てんだ?」

「……康寅?」

「ほれっ」

「っと!」


 康寅だった。

 いきなり頭上から顔面目掛けて缶コーヒーを落とされ、慌てて両手でキャッチする。

 身体を起こし抗議のつもりで睨みつければ、にへらといつもの緩い笑顔を返された。


「ブラックかよ……」

「昴は甘党だからな」

「で、どうしてここに? 今はまだ授業中だろう?」

「ははっ、なんていうか――お前を殴りに来たんだよ」

「……そうか」

「でもま、その必要は無さそうなツラしてるけどな」

「……」

「……」


 そう言って康寅は俺の横に座り、何をするでもなく缶を開けて空を眺める。

 俺もそれに倣い、親友と2人、ただただ空を眺める。

 春の兆しはあれど、2月の屋上はまだまだ寒い。


「なぁ昴、中学の時もこんな事があったっけ」

「……あまり面識の無い康寅が問答無用で殴り掛かってきた後の事か?」

「ははっ、あの時の昴は、なんていうか見ていられなくてさ」


 あの時というは中学の頃、康寅とつかみ合いの大ゲンカをした時の事だ。


 当時の俺は新しく出来た家族――平折とどう接していいかわからず、いつもしかめっ面をしていた。


 今だからこそわかる。

 それまでずっと1人だった家に、誰かが――義妹が来て一緒に住むようになり、凄く嬉しかったんだ。

 だというのに、俺は平折を怯えさせてばかり。

 上手くいかないその状況と、巧く出来ない自分に苛立ち、自分が不幸で仕方がないという空気を撒き散らし、孤高を気取っていた。


 康寅が殴りたくなっても当然だ。


「あのさ、昴……あの時はごめん」

「……え?」


 だというのに、康寅から出たのは、想像だにしなかった謝罪の言葉だった。


「あの時は……ていうか今もだけどさ、家で色々あって、その八つ当たりだったんだ」

「康寅……?」

「切っ掛けは親父の会社が倒産してさ、それも突然の事だっていうのに、お袋は親父の事を一方的に責めたて、兄貴は入るはずだった私立の大学に行けず就職して荒れて……親父本人はそれまでの無理がたたって入院して……色々あったんだ。見事なまでの家庭崩壊ってのを目の当たりにしてたんだ」

「そう、か……」


 それは初めて聞く康寅の家庭事情だった。


「自分より不幸な奴いないだろうとか思ってる時にさ、この世で我こそが最も不幸だって空気を振りまいてる昴が許せなくて……」

「康寅……」


 きっと普段から笑顔を絶やさないように振舞っているのも、敢えて馬鹿みたいに騒ぐのも――そして、人一倍周囲の空気に気を配っているのも、そうした背景があるからなのだろう。


 ――あぁ、こいつ凄いな……


 いつもウジウジしている俺よりも、よっぽど強くて、そして前を向いてるやつだったのだ。

 その差を見せつけられた感じがして、恥ずかしくなってしまう。

 俯いてしまった俺をよそに康寅は立ち上がり、ぐぐーっと晴れ晴れとした顔で伸びをする。


「けど、まぁ、何だ。昴とつるむようになって、俺は救われたんだ」

「……え?」

「寂しいとかそういうのがなくなってさ、特にこの数か月は格別だった。お前も、吉田も、皆も……その気になればどこまでも変われるんだって、見てるこっちが嬉しかった。だから……さ!」

「って、おい!」


 無理やり康寅に引き起こされたと思ったら、そのまま思いっきり突き飛ばされた。

 地面を見ながら体勢を崩した俺はたたらを踏み、そして見上げた目前には意外な人物の姿があった。


「いきなり何す――平折?」

「昴、さん……」

「ははっ、オレの出番はここまで、だな」


 そう言って、自分の役目はここまでだと言わんばかりに康寅は去り、屋上には俺と平折が取り残される。


「……」

「……」


 何を言っていいかわからなかった。

 平折が授業をサボってまでここに来るだなんて思いもよらなかったし、昨日の平折の身体の熱や柔らかさを思い出しては、少し気まずい空気を流してしまう。


 そんな中、平折は躊躇いながらも口を開く。


「凜、さん……お見合い、ですよね」

「昼前からって話だから、そろそろだな」

「上手くいくと思いますか?」

「それは……」

「わ、私は……私は、自分の想いだけではどうにもならないことを……時に理不尽なまでに翻弄されるしかないことを知っています……だから……」

「平折……」


 それは平折のかつての過去の事だった。

 実の父に疎まれ、虐待され、その胸の内に消えぬ傷を負った。そんな平折だからこそ凛の事が――親友の事がひと際心配しているのだろう。

 だからこそ、その時の自分の無力さを、何もできない絶望感を、それでも足掻いてしまうという気持ちを、誰よりも知っている。


「私じゃ何もできません。何もできなかった……だから、昴さん――」

「俺だって何も出来ねぇよ!」

「――っ!」


 思わず声を上げてしまった。

 それはここの所、俺の胸の内にわだかまっていた感情の発露だった。

 あまりの声の大きさに、平折の肩がビクリと跳ねる。


「……悪ぃ。だけど、俺だって無力なんだよ。相手は国内有数の大企業同士の契約会議だ。一体どうして、ただの高校生の俺に口出しすることが出来るっていうんだ? 俺がその場所に行ったとして、何が出来るというんだ? もし俺に何かできることがあったら、教えてくれよ……」


 最後の方は消えいるような声になっていた。

 こんなのただの愚痴だ。弱音を吐き出しただけだ。


 お見合いの後に全ての決着を付ける――そう決心を固めていたとしても、それが出来ないかもしれない。


「そうですね、何も出来ないかもしれません。もし昴さんがお見合いの席に飛び込んだとしても、ただの乱入者として処理されるのがオチだと思います」

「……ならっ!」

「けど、凜さんにとっては違います」

「……平折?」


 一瞬俯き大きなため息を吐いた平折は、どこまでも包み込むような慈愛に満ちた顔を――今まで俺には見せたことのない笑顔を向けた。


「女の子はですね、好きな人が目の前にいると、どこまでも強くなれちゃうんですよ……っ!」

「……っ」


 そう言って胸の前で拳を作り、目を細める平折に吸い寄せられてしまう。

 確信に満ちた意志の強さを感じさせる瞳は、俺の好きな――俺自身も変わろうと思わせる、幾度となく見てきたのと、同じ瞳だった。


 あぁ、だから俺は――


「だから昴さん、行ってください――凜さんを、私の親友を、大事な大事な女の子を、どうか助けて下さい」

「…………そう、か」


 不思議な感覚だった。

 平折にそう言われると、俺が行くべき意味があるとさえ思えてくる。


 俺は今ここに、平折に圧倒されていた。


 平折は立ち尽くす俺の背後に回り、そっと背中を押す。



「私はね、こういう時に、誰かの為に飛び出して行っちゃう昴さんが好きなんです――だから……」

「あぁ、行ってくる……っ!」


 それを合図に、俺は弾かれたかのように駆け出した。

 胸につかえていた迷いなんてものは、最早どこにもない。


「っと、陽乃?!」

「昴君!」


 だが出鼻をくじかれるかのように、屋上を出たところで陽乃とぶつかりかけてしまった。

 この距離なら、先程までの会話も全て聞こえていたに違いない。

 陽乃は「はぁ」と、これ見よがしにため息を吐き、呆れたような顔で俺を見る。


「……馬鳥亭よ。都心部にある高級料亭」

「え……あ、ありがとう」

「ったく、行くなら早く行きなさい」

「あぁ!」


 飛び出したはいいが、目的地について知らなかった事に赤面してしまう。

 呆れる陽乃を後にして、上履きのまま校舎を飛び出した。


 あぁ、そうだ。

 このもやもやとした胸の内を凜にぶつけなければ、俺はどこにも進めやしない。


 平折と康寅に背中を押され、俺は自分の為に走り出した。

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