第27話 嵐の前の―― 中編
俺は凜と康寅に促され、そっとその場を離れた。
「ま、そんな事はないと思うけど、もしもの時に備えてあたしはここに居るわ」
そう言って凜はこの場に留まる。
凜は合気道の達人だ。もし何かあったとしても、凜に任せておけば、万に一つの事もないだろう。
そのままフラフラと、宛てもなく歩き出す。
頭の中はぐちゃぐちゃだった。
苛々とした思いが胸に募る。
――あぁ、くそっ!
平折が男性恐怖症だから2人の間に割って入りたい――そんなのただの言い訳だ。
結局のところ、坂口健太と消えていった平折に対する、独占欲から来る嫉妬でしかない。
凜に好意を告げられ返事を待たせているという状態にも関わらず、平折に執着するなんて、我ながら最低だと思ってしまう。
だけど凜と平折を分けて考えることは、どうしたって出来なかった。
平折の事を思えば凜が、凛の事を思えば平折の影がチラついてしまう。
つまりはそういうことなのだろう。
俺はどうしようもない奴で、平折と凜の両方が好きだったんだ。
「あーその、大丈夫か昴?」
「うん?」
「えーとなんていうか、その……変に溜め込むなよっていうか……くそ、上手く言えねぇや」
「……ありがとな、康寅」
俺の事を案じて康寅が気遣ってくれた。
昼も摂らず、ただただ寄り添ってくれた親友が有難くもあり、自分の情けなさも浮き彫りになってしまったようで、複雑な心境だった。
◇◇◇
放課後俺は1人になりたくて、一足先に帰路に着いた。
家の一つ前の駅で降りる。毎朝のランニングで来る駅だ。
「……ふぅ」
一つ、大きなため息を吐く。
もやもやした胸の内を払いたくて、家まで走る。
急ぐ理由も見当たらない夕方に、住宅街を疾走する制服姿の男子高校生は、傍からみれば随分奇妙に映ったに違いない。
だけど、それが払拭されることは無かった。
「ただい――て、カギか」
無人の家は薄暗かった。
しかし電気を点けるのも億劫で、そのまま自分の部屋に戻り、ベッドへ倒れ込む。
「……結局俺はどうしたいんだろうな」
ここまで自分が優柔不断だとは思いもしなかった。
しかし、いつまでもこのままで良い筈がない。
贅沢な悩みだとはわかっている。
だけど、2人とも好きだという自分勝手な己が異常に思え――そしてふと、どうしても話を聞きたい、聞かなければならない人の顔が思い浮かぶ。気付けばスマホを取り出していた。
「……親父、今いいか?」
『昴? もしかして、また何かあったのか?』
「いや、別に何も……ただちょっと聞きたいことがあってさ」
『珍しいね。一体何だい?』
「その、だな……親父はどうして弥詠子さんと結婚したんだ?」
『うぇっ?! い、いきなりだね……それは……ははっ、困ったな。なんて言っていいか……』
最近の親父と弥詠子さんは仲睦まじい。
それこそ新婚そのものと言っていい。
息子としては見ていてむず痒いところだが、別に文句を言いたいわけじゃない。
しかしだからこそ、気になっていた事があった。
「なぁ、お袋――俺の産みの母の事はどう思ってるんだ?」
『もちろん、今でも愛しているよ――弥詠子さんと同じくらいね』
「っ、親父!」
それは意外な返事だった。
俺の質問に間髪入れず返ってきたそれに、思わず声を荒げてしまう。
「…………ごめん」
しかし同時に大声を出してしまった事によって、少しだけ冷静さを取り戻す。
そもそも俺と親父では前提条件が違う。
勝手に自分と状況を重ねて聞いただけだ。八つ当たりも良い所だろう。
だというのに返す言葉の声色は、どこか諭すかのような優しいもので、親父自身にも言い聞かせるかのようなものだった。
『そうだね……もし、目の前に彼女と弥詠子さんがいてどちらか選べと言われたら、僕は選べないだろうね。それくらい、2人とも大切な人なんだ。こんなことを言うとおかしいのかもしれないけれど――僕はある意味で恵まれているのかもしれない』
「……それでも、どちらか選択しなきゃいけないとしたら、どうすればいい?」
『うーん、多分僕は優柔不断だから……でも土壇場になって、最後の最後でどちらかを選ぶよ。僕もね、弥詠子さんとの結婚を決めたのも、そんな瀬戸際の状況が切っ掛けだったんだ。だからきっと昴もそういう状況になったら、心の奥底にある本能とも言うべきものが教えてくれるよ』
「本能、か……」
それは親父の経験則からの言葉だった。
きっと過去に、有瀬直樹絡みで弥詠子さんと何かあったのだろう。その時親父は、本能に従って結婚を選択した。
土壇場の極限状態で、余計な事を考えられなくなった時の心に従え……そう言いたいのだろう。
――ったく、見透かされちまってるなぁ。
アドバイスは有難かったが、同時に気恥ずかしさも込み上げてくる。
『後悔だけはしないようにね』
「……あぁ、ありがと」
そう言って通話を切る。
特に俺の心が定まったわけではない。
だけど、平折と凜の両方が好きでも異常でもなんでもない――そう言ってもらえた気がして、少しだけ心が軽くなった気がした。
「土壇場、か……」
親父の言う事には一理ある。
しかし――
「昴さん、いますか?」
「……っ、平折!」
その時、ノックの音と共に声を掛けられた。
丁度2人の事を考えていたということもあって、心臓が跳ねあがってしまう。
どうにか冷静を装いつつも、もしや坂口健太と何かあったのかという嫉妬からくる嫌な想像が脳裏に過ぎり、それを必死に打ち消しながら扉を開けて――全てが吹き飛んだ。
「あの、話が……あります……」
「………………あ」
それは平折が初めて俺と、
ハイウェストでしぼられたノースリーブの桜色のワンピースに白のカーディガン。
夏の終わりに見た、可愛らしさと清楚さが同居したその薄手の恰好は、季節違いで寒々しく見えるもしかし、平折の勝負服でもあった。
「私、実はずっと――
「…………え?」
そして突然の告白に、またも思考が停止する。
平折はどこかぎこちなく、しかしそれでも精一杯の笑顔を必死に作りながら、俺に抱き付いてきた。
「わ、私は……っ! 私はずっと昴さんと仲良くなりたかった……! もっと甘えたり、そばに居たりして……
どこか悲壮感にも似た色を声に滲ませながら、その小さくやわらかな身体を押し付けてくる。
こんな時に不謹慎ながらも、とっくに平折を異性として認識してしまっている俺にとって、それは甘美で抗いがたい誘惑でもあった。
「もし、昴さんが望むのなら私は、何をしても――」
「――平折」
平折のその服が、覚悟のほどを表していた。
言葉通り、俺が何をしても受け入れるつもりなのだろう。それだけの思いが伝わってくる。
そして、依然として俺の中では、ぐるぐると煮え切らない想いが渦巻いていた。
いっそこのまま、好きにしていいという平折の身体に、このどうしようもない想いを最奥にぶつけ、全てを吐き出し汚したくなってしまう。
――このまま平折に溺れたら、踏ん切りがつくんじゃ……
「平折」
「…………ぁ」
そうやって平折の肩に手を置いて――気付いてしまった。
震える肩を見て逡巡するも、ゆっくりと平折を俺から引きはがす。
「ぁ、ぁの……」
「平折、これ以上は、その……」
「……そうですね……」
不安そうに揺れる瞳が凜と重なる。
『私ね、南條さんみたいになりたかった』
それはかつて、平折がゲーム内で告げた言葉だ。
そもそも平折と凜が重なるのは当然だった。
何せ平折は凜に憧れ、彼女の様になりたいと願っていたのだ。
――あぁ、そうか。
俺は平折を通じて凜を、凜を通じて平折を見ていたのだ。
だから俺は――
「……昴、さん」
悲しそうに呟く平折の声を、この時の俺は気付くことが出来なかった。
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