第26話 嵐の前の―― 前編
それから数日が経った。
暦の上では春を迎えているものの、まだまだ寒い日が続いている。
しかし近隣ではちらほらと梅の花が咲き始め、緩やかに、けど確かに季節が移り変わっていくのを伝えていた。
「……」
「……」
平日朝のダイニング、そこで俺と平折は朝食を摂っている。
穏やかな朝の光景に、一見今までと同じ日常が戻って来たかのように錯覚してしまう。
だけど移り変わる季節同様、俺達は確かに変化を続けていた。
何となく無言に気まずさを感じた俺は、テレビをつけてチャンネルを回す。
『梅に鶯と言いますが、今年は例年以上に――』
『バレンタインに向けて、街を上げてチョコレートフェアを――』
『にゃんにゃんにゃん、2月22日は猫の日と――』
画面からはのんびりとするような話題ばかりが流れてくる。
――何だか不気味だな。
数日前、ネット上で騒がれていたアカツキの動向を伝えるモノはなにもなく、誰かが流した質の悪いただの噂話として処理されたかのようだった。
しかし俺は、それがただの噂話じゃない事を知っている。
「いってきます」
「…………ます」
平折と共に家を出る。
手を伸ばせば触れられるけれど、その息遣いを感じるには遠いほどの間隔を空けて通学路を歩む。
まるで互いに遠慮をしているかのような微妙な距離だった。
「……」
「……っ」
途中気になって平折の方を見てみるも、そっと俯かれて目を合わそうとしない。
事実平折は遠慮をしているのだろう。
『あのね、あたし昴の事が好き』
それは先日凜が昴に告げた言葉だ。
凜は冗談でもそんな事を言うような相手じゃない。それだけ真剣な想いなのだ。
だから平折は、必要以上に俺に近付こうとしないのだろう。
それが何だか余計に、胸をモヤモヤとさせた。
「……ふぅ」
空を仰ぎ、ため息を吐く。
零れた白い吐息が、澄んだ2月の空に消えていった。
◇◇◇
「あ、おはよ……」
「おーっす!」
「やぁ、おはよう」
「……はよ」
「……おはよぅ、ございます」
改札では皆が待っていた。
あれからというものの妙に凜を意識してしまい、ぎこちない空気が生まれてしまう。
それを誤魔化すように、久しぶりに見た顔へと話しかける。
「今日も陽乃はいないのか……それと珍しいな、坂口」
「主要な大会も全部終わって、引継ぎとかも色々済んだしね。倉井君の方は、随分大変だったみたいじゃないか」
「……まぁな」
「いや……やはり大変なのは現在進行形みたいだね」
「……っ」
坂口健太は俺と平折と凜の顔を見渡し、そんな事を呟いた。
思わずギクリとしてしまい、口を噤んでしまう。
彼はそんな俺を、神妙な顔で観察する。
その視線に居心地の悪さを感じるとともに、苛立ちにも似た想いが胸に沸く。
――そもそもこいつ坂口健太は平折を怖がらせたり、イジメに合わせた原因でもあるんだよな。
もはや過ぎ去り解決した事なのだが、自分でも女々しいと思いながらも、どうしたわけかその事を思い出し――平折の方へと視線を移す。
「……ぁ」
俺の視線に気付いた平折は、困った顔をしてすぐさまそっと目を逸らし、凜の方を見る。
「……あ」
凜はと言えば俺の方を見ていたようで、平折の視線を追いかけた俺と目が合い、顔を赤くして目を逸らす。
その可愛らしい反応が先日の告白を鮮明に思い出され、胸が跳ねあがってしまう。
「……あぁ、そういうこ――」
「――ったく昴、辛気臭い顔をしてんじゃねぇよ!」
「康寅!」
何かを言いかけた坂口健太の言葉を遮るように、康寅がいつものヘラっとした笑顔を浮かべて気安く肩に抱き付いてくる。
「最近そんな顔ばっかだぜ? 見ている方が滅入っちまうよ」
「それは……」
「うんうん、男には悩める時があるよな……てわけで、はいこれ。励みたまえ」
「っておい、これは!」
カラフルな薄い本だった。自費出版で作られるそれが10冊ほど。本来俺達の年齢では買ってはいけない描写がなされたものである。
「へへ、ちゃんと昴の好みに合わせてるぜ? といってもお前、ストライクゾーン広いからな……あっ?!」
「あ、おいっ!」
康寅は無理矢理に俺にそれを押し付けようとして、地面へとぶちまけてしまった。
それは平折や凜の目の前にまでおよび、嫌でも表紙からどういった類のものかということが、彼女達に知れ渡ってしまう。
「『合法のじゃロリ妖狐さんのもふもふ尻尾大回転』……はぅぅ」
「へぇ……『ゴスロリ男の娘と巨乳メイドの雄峰いただき偽百合パラダイス』、昴ってこういうの好きなんだ?」
「あ、あの『小さくて可愛いお姉さんに悪戯されるボク』……昴さん?」
「『お嬢様の家庭教師になったので色々調教しようと思います』……あんた節操ないの?」
顔も真っ赤にしながらも、平折と凜がジト目で睨みつけてくる。
「だよなー? 昴ってばむっつりでさー」
「誰がむっつりだ、康寅! おい、坂口も何か……って、鼻血っ?!」
「ぼ、僕には刺激が、その……」
なんとも混沌とした状況だった。
しかし確かに、皆が笑っていた。
いつまでもこの時間が続けばいい――そう願わずにはいられない。
だけど――
「あ、そうだ。例の日、明日に決まったから」
「……ぁ」
「……そうか」
凜が俺と平折にだけぼそりと呟く。
例の日――お見合いの日。
それはこの時間の終わりを意味していた。
◇◇◇
昼休みになった。
いつもなら皆と一緒に昼食を摂るところなのだが、今日は食欲が無い。
それと――凜とどんな顔をして会えばいいかわからなかった。
あてもなく校舎を彷徨い歩く。
いたるところからお昼の喧騒が聞こえてくる。
その中には平折と陽乃に関する話題もある。
一時に比べれば落ち着いたが、写真集の売れ行きは好調で、次作や今後の活動の展開に関するうわさ話は後を絶たない。
どうしてもその話を聞いてると、平折だけでなく凜までも思い起こされてしまう。
俺はその話を今は聞きたくないとばかりに、校舎の外へと足を向けた。
きっと――俺は凜の事が好きだ。
今までの彼女との出来事を思い出す。
最初はどこか近寄りがたかったが、交流を重ねるにつれて、何事にも真剣に向き合ってぶつかって、そして悩んで頑張って結果を出して――そんな所に強く惹かれてしまっているのは、もはやごまかしようがない。
面と向かって好きと想いをぶつけられたのなら、尚更だ。
だけど、どうしてもその姿が平折の姿とも重なってしまい――素直にその言葉を告げる事が出来ない。
そんな自分に嫌気が差していた時の事だった。
「……え?」
平折と坂口健太の後ろ姿が見えた。
思わず変な声が漏れる。
2人はいつぞやに、平折が坂口健太に詰め寄られていた校舎裏へと消えていくところだった。
今は特に平折がイジメられているという話は聞かない。
むしろ友好的な人が多く、情報の拡散など手伝ってくれる人が多い。
もしそんな事をしようものなら、周囲が黙ってはいないだろう。
だからこそ、この2人が人気のない所で何をしようとしているのか分からなかった。
――やたらと、胸がざわついた。
平折が男性恐怖症というのは、一部の人しか知らない。
あぁそうだ、だから2人っきりにしてはいけない。そう自分に言い聞かせながら追いかけようとして――
「おいおい、それは野暮ってもんだぜ、昴」
「康寅!」
――肩を掴まれ、その場に押し留められた。
苛々しげに振り返り文句を言おうとするも、その顔を見て言葉が引っ込んでしまう。
いつもの笑顔は顔になく、剣呑とさえ言える真剣な瞳で俺を射抜く。
「なぁ昴、どうして坂口が俺達と一緒に居ようとして……そしてまた距離を置いたか、わからないか?」
「それって……そういうことなのか?」
「ま、見ての通りだろうな」
康寅はやれやれと言って肩をすくめる。
普段こそおちゃらけている事が多い康寅だが、心の機微には敏感な奴だ。
俺はいつもそれに助けられてきた。思えば今朝のこともそうなのだろう。
坂口健太の事は、考えた事が無かったわけじゃない。
明確に口にしていたわけじゃなかったが、あからさま態度もあって、薄々と勘づいていた事だった。
「だがその、平折は……」
「昴」
「康寅は知らないかもしれないが、平折は」
「昴!」
康寅は何度も俺を嗜めてくれる。
――平折が他の男と2人でいる……だけどその事実に、俺の胸のざわつきは抑えられそうになかった。
「落ち着きなさい、昴。平折ちゃんなら大丈夫よ」
「凜……っ!」
それでもと、康寅の手を払いのけようとした時、俺を引き留めたのは凜の声だった。
「行きましょう……ここはあたしたちが居ていい場所じゃないわ」
「そうだぜ、昴」
「……あぁ、わかった」
凜には有無を言わせぬ迫力があった。
いや、想いを告げて平折の事も知っている、凜だからこそ、と言うべきか。
それだけでなく、確かに平折に対する信頼感が言葉からも分かり――それが俺の中の矮小さや卑怯さが引きずり出されるかのように感じてしまう。
「平折ちゃんは強いわ」
「……」
短く呟く凜の言葉に、俺は何も答えることが出来なかった。
あやふやで中途半端な自分の心が、嫌で仕方がない。
――俺は、最低だ……
「……昴もね」
「…………ぇ?」
振り返った凜は、真っ直ぐに俺を見つめる。
「そうかな?」
「そうよ」
きっと今の俺の顔は、色んな事を考え過ぎてぐちゃぐちゃだろう。
それでも俺を信じると言いたげなその瞳に、俺は――
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