それぞれの選択

第25話 *凛の覚悟


 主のいないアカツキ本社ビルの専務室。

 そこで6人の男女がにらみ合っていた。


「昴、もう一度言ってくれないかしら?」

「……この方が、灰電の御曹司に捨てられた彼女だってさ」

「へぇ……」


 凜はその切れ長な瞳を細める。

 容姿に優れた凜がそんな表情をすれば、この場の空気も相まって、やたらと迫力が出てしまう。

 そんな彼女に睨まれる形になってしまったスラリとした女性は、その雰囲気にのまれて一瞬たじろぐも、すぐにその意志の強さを感じさせる瞳で凜を見返す。


「岩尾万里ともうします。南條凛さん……ですよね?」

「えぇそうよ、はじめまして」

「……」

「……」


 挨拶を交わすもしかし、そこで会話は途切れてしまった。

 お互い観察するかのように視線を動かし、話の取っ掛かりを探している。

 そんな2人を昴と平折、その両親が見守っていた。


(……これは一体どういう状況なのかしら?)


 はっきり言って異様な光景だった。

 目の前の女性や昴達からほんのり酒とたばこの匂いが漂ってくるのも、凛の理解を苦しめている。


「昴?」


 説明しろと言わんばかりに、この状況を作り出した相手に視線を移す。

 その当の本人はと言えば、苦々しい表情で凜を見返した。


「……岩尾さんに聞いたけど、結婚というか婚約の話、本当なのか?」

「えぇ、本当よ。有瀬直樹の一件で株と信用が揺らいだアカツキを灰電が補い、その代わり管理職や中堅どころの人手が圧倒的に足りないという灰電の穴をアカツキが埋める。どちらにとっても益のある、良い取引であり契約ね。」

「その代わりトップ同士が本人の意思にかかわらず婚姻を結ぶ……まるで生贄だな」

「……その通りよ。アカツキ灰電に関わる数十万の人の生活を守るためには、必要なことなの」


 ――そんな事わかっているでしょう? という言葉を飲み込んだ。いや、飲み込まされた。

 それほどまでに岩尾万里は真剣な、そして凜が今までに見たことの無い類の強さがにじみ出る目をしていた。


「そんなことは百も承知です」

「じゃ、じゃあどうしてここへ……」


 不思議な目だった。

 どこかで見たことがあり、そして強烈に憧れたものを想い起こさせる目だった。


『ぁ、ぁの、南條さん……わた、私、自分を変えたくて……っ!』


 脳裏に浮かぶのは1人の女の子。

 クラスでも地味で目立たずいつも誰かの影に隠れている、そんな子が勇気を振り絞って初めて自分に話しかけてきた時の瞳と重なる。


「南條凛さん、私は彼を――前廣裕史を愛しています」

「……っ!」


 真っ直ぐに思いを込めて凜を見つめる瞳は、まるで責め立てるかのように感じてしまう。

 しかし同時に、どこまでも羨ましいという気持ちが湧いてきてしまい、困惑してしまう。


「そ、それをあたしに言って、どうしたいわけ?!」


 そんな感情に振り回されながら返す言葉はどこか八つ当たりじみており、されど期待の込められた熱を帯びている。


「どうもしません。ただ、言わずにいられなかっただけです」

「……へ?」


 凜は思わず間抜けな声を出してしまう。

 だけど岩尾万里は真剣な表情のまま凜へと言葉を向ける。


「言ったところで何かが変わるとは思っていません。大企業の経営統合ですよ? ただの1社員の私が口を出したところで、どうにかなるはずがない。それでも……あぁ私、そうだったんだ……『諦めたくない』って聞いて欲しかったんです」


 そう言いきった彼女はどこかすっきりとした顔をしていた。

 この状況を理解してなお、そんな事を言える彼女が、凜は眩しくて仕方がない。

 それはかつて平折が、自分を変えたいと言って来た時に感じた想いと、同じものが胸に生まれていた。


(……あぁそうか、あたし羨ましかったんだ)


 凜は先程とは違った意味で目を細める。

 そして凜の感慨とは裏腹に、岩尾万里はとんでもない事を呟いた。


「お腹の子を諦めない為にも、私が頑張らないとね」


 ――――。


 一瞬、部屋から音が消えた。

 皆がその言葉を理解するには時間が掛かり、そしてどういうことか分かるや否や、己の感情を制御出来なくなる者がいた。


「岩尾さん、何があってもその子は私が育てます。何ならうちに住んでください、面倒は全部見ます。だから――その子を堕ろすとか絶対にダメです……!」

「「「「弥詠子さん(お母さん)(おばさま)?!」」」」


 何かのスイッチが入った弥詠子は、そわそわと心配そうに岩尾万里の周囲を巡る。


「いつからですか? 彼はこの事を?」

「3か月……まだ分かったばかりなので……」

「どうしてちゃんと……」

「その、適齢期だし、出来れば結婚という話だったので……」

「……そんな。もっと私たちを頼ってください。食欲は? あぁ、それよりも大事な時期です、今すぐ帰りましょう。大丈夫です、全ての責任は私が持ちます」

「え、いや、その……っ」


 彼女の夫の倉井晴也は暴走状態の彼女を諫めようとするが、上手くいかない。


「落ち着いて、弥詠子さん。彼女の両親は健在でしかも若い。僕たちが手出ししなくても――」

「わ、私! この子のお姉さんになります!」

「まぁ! いい心掛けね、平折!」

「「「平折っ(ちゃんっ)?!」」」


 自分の境遇に近いものを感じたのか、平折までもが暴走に加わる。

 母娘2人で岩尾万里の周囲を心配そうにぐるぐる回り、それを夫と義兄が必死になって押しとどめるという、訳の分からない光景が広がっていた。


「あ、あの、私大丈夫ですから!」

「「大声をだしたらお腹の子に障ります!」」


 この事態が落ち着くまで、しばらくの時間が必要となった。




◇◇◇




「すいません、はしたない真似をしてしまって……」

「ご、ごめんなさぃ……」

「あ、あはは、私を慮ってのことですからその、気にしてませんよ」


 正気に戻った平折と弥詠子は、先程の自分たちの行動を恥じ入るように俯いている。

 先ほどまでの緊迫した空気は霧散しており、岩尾万里もどこか居心地悪そうにしていた。


(まったく……)


 呆れつつも毒気を抜かれてしまった凜は、大きなため息を吐いた。

 視界の端には、バツの悪そうな顔をした昴がいる。

 彼を見る目が、ついついジト目になってしまうのを自覚する。


「で、昴はどういうつもりで彼女を連れてきたの?」

「それ、は……」


 いくらなんでも突飛な行動すぎる。

 凜は昴が無茶をするところがあることを知っているが、それはいつだって近しい人――親友の平折が絡むことばかりだ。

 昴や平折と岩尾万里には接点はない。ましてや、いきなり夜中に捨てられた恋人の婚約者の――凜に引き合わせようと押しかける非常識さは持ち合わせていない。……はずだ。


 口ごもっていた昴は、歯を食いしばりながらガシガシと髪を掻き乱し、凜から微妙に目を逸らしながら、参ったと言いたげな表情で呟いた。


「俺も嫌だって感じてしまったんだ」

「……は?」

「だから、俺も岩尾さんと同じで、この結婚だか婚約が嫌だったんだ。何だか胸もざわざわ落ち着かない。まだ自分でもよくわからないけれど、そう嫉妬してまうほどには凜の事が好きらしい」

「え……あ……へっ?!」


 突然の昴の言葉に、凜の頭は一瞬にして沸騰してしまった。

 それは告白とは到底言い難い、彼の中にあるぐちゃぐちゃなままの感情をそのまま吐き出しただけのもの。

 だけど今まで散々見てきた彼の様子から、凜にはそれが、確かに昴の本心の側面の1つだとわかってしまう。


 それでも凜にとっては青天の霹靂だった。

 平折にとっても同じなのか、そちらの方に目を向ければ、動揺を隠そうともせず目をパチクリと忙しなく瞬きを繰り返している。


「いや、その、そうだけどそうじゃないというか……ああ、くそっ!」


 昴はそんな平折の視線に気付いたのか、言い訳するように言葉を紡ごうとして――うまく出てはこない。


 自らの気持ちに戸惑っている――凜自身もその経験があるので、その状態が手に取るようにわかった。

 そしてきっと、平折も同じ気持ちなのだろう。


「……ふふっ」

「くすくすっ」

「……笑うんじゃねぇよ」


 思わず2人で笑ってしまった。

 昴が無茶をする相手――平折と同じくらい、自分が思われている。

 その事実は、凜の心に決意を促すには、十分なことであった。

 身体は自然と胸ごと熱くなり、今なら何だって出来そうな、そんな万能感じみた想いが全身を貫く。


「ねぇ岩尾さん、アカツキに婿入りしようとする男が余所で子供を作っている……これって大問題ですよね?」

「え? えぇ」

「灰電は人材が欲しいという。なるほど、だけど灰電は人に対してどう思っているのかしら? それがわからないとこの話は受けいれられないわね」

「どういう……」

「私はいずれアカツキのトップに立つわ。アカツキに属する人たちに責任を持たなきゃいけないの。もし灰電が、簡単に人を切り捨てたり粗雑に扱うところだったとしたら、うちの子・・・・を預けられるかってーの!」


 それは祖父や父の言いなりにならないという、宣言でもあった。


 凜は高揚していることを自覚する。


 思えば言われるがままに生きてきた。

 だけど昴が親友の平折と同じくらい想いを寄せている――そう思うと、どうしたってこのままじゃダメだという気持ちを抑えることができなくて――


(あ、そっか……)


 そして凜は悟る。

 自分も彼女と同じく、諦めたくないと思っているのだと。

 こうして凜は、南條凛・・・としての覚悟も決まる。


「あのね、あたし昴の事が好き」

「り、凜っ?!」

「凜さん……」


 それゆえ零れ出た言葉は意思表明であり、決意の表れでもあった。


 しかし驚く昴や平折の顔を見て、そこで初めて凜は、自分が大それた告白をしてしまった事に気付く。


「え、えとその、この話の続きはお見合いが終わってからというか、まだ心の準備がというかその……ああーもうっ!」

「お、おぅ……」


 感情が極まってしまった凜はスマホを取り出し、この場に居ない部屋の主へと、八つ当たりの様に思いをぶつける。


お父さん・・・・! お見合いっていつ?! ていうか、今どこに――」

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