第20話 *ダメだ!


 南條豊和にとって娘の凜は、親の贔屓目を差し引いても、良く出来た娘だった。

 幼少期から聞きわけも良く、勉強も良く出来て、運動や芸術分野においてもたびたび表彰されてきている。


 ――アカツキのお嬢様は神童ですね


 どこに行っても娘を賞賛される声を聞き、親として誇らしかった。


『おとうさん、このあいだ描いたケーキの絵がひょーしょーされたの! それでね、こんどの日ようびはピアノのはっぴょーかいがあってね』

『それは良かった。その日は会議があるから行けないけれど、頑張りなさい』

『え、でも……このまえのバレエのとき、ぜったい次はきてくれるって……』

『お父さんは忙しいんだよ、凜、聞き分けてくれるよね?』

『……はい』


 いつからだろうか?

 娘は応援せずとも評価されるのが当然だと思うようになったのは……


 いつからだろうか?

 娘が私にあまり話しかけてこなくなってしまったのは……


 いつからだろうか?

 娘の笑顔を見なくなってしまったのは……


 その事に気付く事さえなく、それでも凜は努力を重ね続け、娘を賞賛する声は絶えることがなかった。

 だから全ては上手くいっている――そう信じていた。


 今回の結婚の話もそうだ。


 聞けば条件も良く、反対する理由もない。

 だというのに、どうして心に引っかかるものがあるのだろうか?


「凜の結婚、ですか……?」

「あぁ、そうだ。灰電の前廣家と言えば江戸期から続く、この地の藩の家老職をも務めた名家、条件だけでなく家柄も申し分あるまい」

「いやしかし父さん、凜はまだ高校生だ。それに条件も良すぎる。一体裏に何があるのか……」

「かかっ! 確かに豊和の懸念もわかる」


 言葉を口に出すと、随分と自分の声色が苛立っていることに気付く。

 どうやら不思議な事にこの縁談は気に入らないようで、南條豊和はそんな自分に驚いた。


 そもそも条件が良すぎるのだ。

 現在困っているのはアカツキであって灰電じゃない。

 だというのに、前廣家は跡取りを差し出してまで合併、経営統合したいという。相手の意図がわからない。


(いくら家柄や条件が良かろうと、そんな不気味な相手に凜の伴侶に迎え入れられるか?)


 思わず父を睨みつけてしまう。

 だが南條明彦は、その気持ちは分かると言いたげに鷹揚に頷く。


「人材不足だよ」

「……どういうことだ?」

「そのままの意味だ。バブル崩壊によるリストラや不況による新規人材採用の見送りといったツケが回り、さらに有瀬直樹の営業・・の絡みで色々やらかした幹部や幹部候補生もクビを切ったという。そのせいで各所の現場を動かす中堅どころが深刻なレベルで不足しているそうだ」

「図体がデカいバスや戦車を玩具のモーターで無理やり動かしてるようなものなのか」


 それほど、有瀬直樹はヤバイことをしていたのだろうか?

 彼の首を切ったその英断に、今更ながら自分を褒めたくなる。


 そして、アカツキでは人材に対する考えは灰電と違っていた。


 ――人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり


 南條明彦は、かの武田信玄の言葉に感銘を受け、人材育成を怠ることはなかった。

 確かに不況により、人材が溢れがちにもなったが、有瀬陽乃をはじめとした芸能広報部など新規事業を拡大し、身を削りながらも雇用を増やしていた。例え有瀬直樹一派の首を全員切ったとしても、人材に余力はある。


「灰電は金と信用の保証、アカツキは人を出す。互いに利のある話だ。なにより従業員数万人、家族を含めれば数十万人の生活を守るための英断、その心意気をどうして断れようか?」


 南條家と同じく前廣家も、一族経営の巨大企業。責任ある立場だ。こうした政略結婚とは避けては通れない。

 第一自分自身も、事業拡大の為に建設方面につよい家の娘を嫁にもらっている。


 それを思えばこれは良縁でもあり、反対する理由もないはずだ。

 しかも婿養子、凜は目の届く所におり、何かあればすぐに手を差し伸べることが出来る。


 だというのに、どうしても腑に落ちない気持ちがあった。


「その話、受けさせていただきます」

「り、凜っ?!」

「おぉ、そうかそうか!」


 そんな南條豊和の胸の内を知らずか、当の本人は人形のような見慣れた・・・・・・・・・・たおやかな笑みを薄っすらと浮かべていて――



 それが、


 無性に、


 気に入らなかった――



『ふぁ……ぁふ……おとーさん、いつもおしごとおつかれさま! きょうね、おかーさんといっしょにごはんつくったの!』

『凜?! もう夜の10時だぞ、子供はもう寝てる時間じゃ……』

『それがこの子、どうしても待つと聞かなくて……』


 どうして、今までそれを忘れていたのだろうか?


 急に脳裏に蘇ったのは、過去の日々。

 それはかつての、満面の笑みを自分に向けてくれていた娘の姿。


 いつからだろう?

 その笑顔を見なくなったのは……


 いつからだろう?

 今みたいな張り付いた笑顔を見せるようになったのは……


 いつからだろう?

 娘のそんな変化を気にも留めなくなったのは……


『娘のしている事が信じられないのか? ちゃんと凜を見ろ!』


 いつだったか娘の級友、倉井昴が自分に向けて言ったことを思い出す。

 その後に見せられたものは何だったか?


『も、もぅ! 何言ってるのよ、昴! それにお父さんも!』


 照れ臭そうにしながらも、幼い頃の記憶のままに、より魅力的にはにかんで見せた笑顔。


 それは決して凜が変わってしまったわけでなく、そうした仮面をかぶせてしまった事を示していた。



「ダメだ!!」



 気付けば叫んでいた。

 理屈も何もない、ただ感情のままに吐き出した、本能に任せた咆哮だ。


「っ!」

「……豊和?」


 凜や父の南條明彦だけでなく、その場にいた社員たちも、いったい何事かと視線を向けてくる。


「あーその、だな……確かに良い話なのだが、相手の人柄とかが分からないとなんとも……庇を貸して母屋を取られる、という言葉もある。えぇ、まずはその、お見合いという形とって彼を見定めるのはどうだろうか?」

「ふむ……それも一理あるか。それに一度見合いという工程を経ていたほうが、体面的にも良い」

「……お父様」


 反射的に言ってしまった事に、まるで言い訳するかのように必死に言葉を探して紡ぐ。

 自分でもなかなか良い案だと思うがしかし、根本的には時間稼ぎでしかないのはわかっていた。


 困った様な顔で自分を見つめる、娘の視線が痛かった。




◇◇◇




 一晩が経った。

 特に妙案が思いつくことも無く、時間ばかりが過ぎていく。


「……くそっ!」


 それだけでなく、まるでこちらが有瀬直樹の企みに気付いたのを察したかのごとく、様々な不利な情報が躍り出した。

 風説の流布とまでは言えないまでも、妙に信ぴょう性のあるそれらは、確実に株価へ影響を与えつつある。

 もし決定的な事がリークされれば、一気に底を抜ける可能性も否めない。


 事態は悪化の一途をたどっている最中だ。

 もはや早期に収束させるには、灰電の協力は不可欠となっている。


 ドン、と苛立ち紛れに本社ビル廊下の壁を叩く。


 息詰まった状況を誰かに話して相談したいところであるがしかし、明らかに不機嫌な様子の南條豊和に近付こうとする者は居ない。


 そもそもアカツキ内に、忌憚なく彼に意見を述べられる人物など、果たしているのだろうか?


『有瀬直樹が気に入らないから一泡吹かせたいだけ――あっ』


 また、あの時の少年を思い出す。

 思えば激昂していた自分に意見をぶつけてきたのは、彼が初めてではなかろうか?


 馬鹿げたことだとわかっている。

 倉井昴は一介の高校生だ。


 だというのに、彼ならばこの状況を打破する何かをしでかしてくれるんじゃないか――そんな希望じみた想いが胸に沸いていた。


(まったくもってバカバカしい考えだ。しかし……)


 娘の窮状をいっそ、彼に賭けるのも悪くないんじゃなどと思ってしまい、自虐的な笑いが零れる。


 だからだろうか、無意識のうちに足が向いていたのは、彼が手伝いに来ていた芸能広報部の事務局だった。


「へ、専務?」

「あの、何かありました?」

「い、いやその……」


 理屈も何もない、自分でもよくわかっていない行動だったので、口ごもってしまう。

 そして取り繕うかのように視線を彷徨わせ、1人の女性に目が留まる。


 高橋沙紀――凜がこの場を仕切っていた時、その近くにいたスタッフだ。


「高橋沙紀君、だったね?」

「はい、そうですけど……」


 彼女は急に訪れた専務、南條豊和に話しかけられ、困惑した視線を向けてくる。


「倉井昴……彼の連絡先は知っているかね?」

「……へ?」


 その意外な言葉に彼女だけでなく、南條豊和を含むその場にいる全員が、驚いた間抜けな声を上げるのであった。

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