第19話 気付かされるもの
そのニュースを見て、一番最初に気にかかったのは、凛の事だった。
ネット上には様々な情報が錯綜しており、何が本当なのかよくわからない。
「……くそっ!」
慌てて凜に電話を掛けてみるものの、繋がらず、不安と焦りが募っていく。
ならばと、次にアカツキの情報に詳しそうな人物として、陽乃の顔が思い浮かんだ。
しかし昼間に言われた平折のこと、そして年末に告げた事を思い出せば、スマホを操る手も止まる。
「……ふぅ」
大きく一つ息を吐く。
これはいわゆる緊急事態でもあり、なんら後ろめたいモノじゃないと自分に言い聞かせ、アドレスを呼び出した。
「……昴君? なに、もしかして1人は寂しくなっちゃった? お姉ちゃんなら今――」
「アカツキグループに関する事件、何か聞いてないか?」
「――どういう事?」
「実は――」
俺も今知ったばかりだということを前置きして、先程知ったばかりの事を聞いていく。
粉飾、脱税、信用、株価、買収といった、不穏な言葉が躍っており、何か情報をと思って陽乃に尋ねていく。
「ごめん、詳しい事は私もわからないわ。今朝本社ビルでのインタビューを受けた時はいつもと変わらなかったし……」
「そうか……今日はずっと凜を見ていないし、昨日の販促イベントも途中で帰ったみたいだし……」
結局のところ、陽乃もよく知らないようだった。
「ねぇ、昴君は何故そこまでアカツキの事を気に掛けるの? アカツキは大企業だよ? もしその事が本当だとしても、弁護士やコンサルタントとか、こういった事に対処してくれるプロも動いているはずだよ?」
「何故ってそりゃあ、気にするだろ。だってアカツキは凜の――」
「……どうして?」
「――陽乃?」
ふと、陽乃が真剣な声色でそんな事を問い質してきた。
陽乃がどうしてそんな事を聞いたかはわからない。
ただ俺にとって、凜に何かあれば手を差し伸べると言う事は、至極当然という思いがあったからだ。
「……」
「……」
しばしの沈黙。
だが、何故か俺の心の裡を探られているかのように感じてしまう。
「……ま、いっか。一応スタッフの人達に聞いてはみるけど、部署も違うだろうし、あまり期待はしないでね」
「……あぁ、悪いな」
そう言って、プツリと通話が切られる。
他に何か知っていそうな知り合いも思い浮かばず、手詰まりになってしまう。
待つ身は長いというけれど、相手の連絡を待つだけというのは、どうにも落ち着かない。
本社ビルに直接向かうにしても、あそこのセキュリティがしっかりしているというのは良く知っている。
平折や凜、陽乃と違ってただの手伝いでしかない俺は、中に入る手段を持たない。
所詮はただの臨時のバイトなだけなのだ。
「くっ!」
ボスン、と苛立ち紛れに枕を叩く。
何だか彼女達との立場の違いを、さめざめと思い知らされたかのようだった。
「ん……?」
その時、けたたましくスマホが鳴り響いた。
陽乃にしては返事が早すぎるし、凜かと思い手に取るも、掛かってきたのは意外な相手だった。
「……親父?」
『昴か? 夜中に悪いが、こちらに出てこられないか?』
「…………は?」
どこか困ったような様子で、そんな事を言って来た。
更には通話の背後から『晴也さんもそう思いますよね……って、聞いていますか?!』と、興奮気味の弥詠子さんの声も聞こえてきて、ビックリしてしまう。
一体何が起こっているのだろうか?
こちらの方でも何か問題が起きているようだった。
◇◇◇
さすがにこの時間帯に制服はまずいだろうと、手早く着替えを済ませ、タクシーを捕まえ目的地を目指す。
親父が出向いている場所は、ここから北の方の山を越えたところにある都心部だ。
「……ここか?」
途中何度か急かすような連絡が入りつつ、呼ばれた場所に来てみれば、そこは小洒落た感じの居酒屋だった。
ちょっと目を覆いたくなるタクシー料金を、まぁ親父の支払いだし、なんて思いつつ、唖然としてしまう。
当然ながらこういう店に入ったことなんてない。
届いたメッセージの住所を、本当にあっているのかと何度かにらめっこすることしばし、意を決して中へと飛び込んだ。
「ここだ、待ってたよ昴!」
「来てくれたんですね、昴君!」
「あ……あの子が主任の息子さんの……?」
「えぇっと、これは一体……」
店に入ると、俺を目ざとく見つけた親父が手を上げて招く。
半ば個室の様になっているその席には、親父と弥詠子さんだけでなく、若い女性の姿もあった。
歳は俺より一回り近く上だろうか?
ショートボブが良く似合い、スラリとしていて如何にも仕事が出来そうな綺麗な相貌はしかし、涙で瞳を赤く濡らしている。
俺はますます、この状況がどういうものなのかと困惑を深めていく。
「まさか親父……」
「そんなわけないだろう? もしそうなら、弥詠子さんが彼女の傍に寄りそうわけがない」
「……確かに」
よくよく様子を見てみれば、悲愴とも言える顔をしている女性の隣で、弥詠子さんは彼女の背に手を添えて、甲斐甲斐しく寄り添っている。親身になって話を聞いているというのが、よくわかる体勢だ。
そんな彼女に視線を固定したまま、親父は紹介してくれた。
「彼女は岩尾万里、その、僕の事務所の上役にあたる会社から出向してくれている方だ」
曰く、彼女は親父が所属しているデザイン事務所の大元の本社と言えるところから、今回のプロジェクトの総括の1人として出向してきている、いわゆるエリートコースに乗っている凄い方らしい。
実際かなり優秀なようで、また物腰も柔らかなこともあって、親父たちの事務所でも評判が良い。
そして今日は、1年半にわたって行われてきたプロジェクトを完遂され、その打ち上げが行われたらしかった。
長期にわたり、また親父だけでなく単身赴任という形になっているスタッフも多く、出来るなら家族もぜひにという無礼講な集まりの場だ。
はじめはお疲れ様という言葉と共に、1年半という長い期間を一丸となって遂行してきた達成感もあり、和やかな空気で始まった。
皆が互いの健闘をたたえ合い、次の仕事も上手くいくようにと願い合う。
もちろん親父も、皆とそういった言葉を交わしていく。
特に親父は去年の末、主任という立場にも拘わらず、プロジェクトの山場に数日間席を外すという事があった。有瀬直樹と俺に関する一件が原因だ。
俺の産みの母との事があり、何か大事があれば常日頃から、直ぐに引き継いで飛び出せる準備をしてきたという。
それでも責任ある立場の親父が穴を空ければ、プロジェクトも佳境と言う事もあって、ひずみが生じるのは避けられない。
それを上手く調整して現場を進めてくれたのが彼女――岩尾万里だ。
このプロジェクトの成功の影の立役者とも言え、弥詠子さんと共に感謝を述べに行った時だった。
「ありがとう、岩尾さんのお陰で妻とも……い、岩尾さん?!」
「わ、私、別に感謝され……主任は奥様と……わ、私は……ふぐぅ……うぅ……捨てられ……ご、ごめんなさい、私その……っ!」
まるで新婚かという仲睦まじい親父たちを目の当たりにした彼女は、急に堰を切ったかのように泣き出したという。
もちろん驚いたのは親父たちだけじゃない。
捨てられたという不穏な単語に、いつもしている左手薬指の指輪がない事にも気付き、周囲もどうしたものかと聞くに憚られる。
岩尾万里に仲の良い恋人がいるというのは、周知の事実だった。
高校の頃から8年も付き合っており、困った顔をよくする1つ年下の彼の惚気話を、微笑ましく見守ったものだ。
だからこそ、こんな状態になっている彼女に、迂闊に話しかけることが出来なかった。
「捨てられ……どういう事かしら? 詳しく話してくれませんか?」
「主任の奥様……?」
そんな中、弥詠子さん1人だけは、放って置くことが出来なかった。
まるで周囲に見捨てられたかのようにも見えてしまう彼女が、どうしてもかつての自分と重なってしまったのだ。
「実は、今時そんな事がと、にわかに信じられないかもしれませんが……」
と、彼との事を語ってくれる。
高校で同じ委員会で知り合い、いつも困った顔をしているのが特徴的だったらしい。
当時から家が訳ありと有名な彼で、しかしその困った顔が気に入らず、ならば幸せで困った顔にしてやろうと、彼女から押しかける形で交際を始めた。
色々あったものの、交際は順調に進み、お互い夢を見つけ邁進し、励まし合う良いパートナーでもあった。
将来の具体的な予想図を描こうと、そう誓い合った矢先の事だった。
『ごめん……家の都合でキミと結婚は出来ない。愛人なら……いや、それはキミに対してあまりに失礼だ。僕と別れて、そして忘れて欲しい』
出会った当初と同じ困った顔をして、彼女にそう告げたらしい。
当然、最初は何かの冗談かと思った。
しかし彼は岩尾さんや親父の勤める巨大企業グループの御曹司らしく、どうやら彼の意志とは裏腹に、いわゆる政略結婚が纏められたとのこと。
それを親父たちに説明した彼女は、今時そんな物語のようなことが、と笑われると思ったがしかし、親父も弥詠子さんも有瀬家というものを知っていた。
一笑に付すことなく真摯に話を聞き、そして弥詠子さんは、ますます肩入れをしていった。旧家の力で翻弄される彼女が、他人とは思えないらしい。
俺も、凜という力ある家に生まれた女の子の事を知っているだけに、妙に放っておけなくなって胸がざわつく。
しかし、どうしてもわからないことがった。
確かに彼女の話を聞けば、俺だって同情するし、弥詠子さんの手前できることはしてあげたいと思う。
だけど俺はただの、何の力もない高校生にしか過ぎない。どうしてこの場に呼ばれたのか、理解できない。
そんな俺の怪訝な顔を見た親父は、何とも言えない表情でこちらを見た。
「アカツキグループ令嬢、南條凛――それが岩尾さんの彼の婚約相手だそうだ」
「……………………え?」
一瞬、何を言われたかわからなかった。
頭と胸に言いようのない熱が駆け抜け、それらを焦がす。
足元がフラフラと覚束なくなるほどの衝撃を受け――
『どうして?』
――先ほどの陽乃の言葉を思い出した。
どうして、こんなに動揺しているのだろう?
どうして、胸の中のイヤな気持ちを拭えないのだろう?
どうして、今までその気持ちに気付かないでいたのだろう?
どうして――平折の顔がちらつくのだろう?
急速に己の中の熱が冷えると共に、夕方と先刻に告げられた陽乃の言葉を理解していく。
否、
「昴?」
「昴君……?」
「え、あの……」
余程な顔をしているのだろうか?
6つの瞳が心配そうに俺を映していた。
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