第17話 ほら、私ってさ……


 きっと俺は、何か掛ける言葉を間違えてしまったのだろう。


「あーその、おはよう、平折」

「……ぁ」


 翌朝の家の廊下、いつも通りを心掛けて挨拶をしてみるも、平折は困った様な昏い顔をして口を噤む。

 互いに意識をしているものの、かける言葉は見つからない。


 こんな時に限って親父と弥詠子さんは向こうの部屋に行っており、家では平折と2人きりになってしまい気まずさに拍車をかけていた。


「行ってきます」

「……きます」


 無人の家にそう告げて、2人で共に学校を目指す。

 その距離はつかず離れず微妙なもので、何とも居心地が悪い。


 まるで以前の俺達の関係に逆戻りしたかのようだった。


 無言のまま歩き、電車に乗り、改札に出れば、そこに居たのは康寅だけだった。

 どうやら凜は販促や重版の関係で打ち合わせや調整が忙しいらしく、また陽乃も復帰したとあって、次の仕事に向けてあれこれと慌ただしく動いているようで、今朝はいないらしい。


「お? はよーっす。なんだか2人きりのところを邪魔して悪いな」

「……なに言ってんだ、康寅」

「……ょぅ、ございます」


 一見ヘラヘラした様子で茶化してくる康寅だったが、それは俺達の妙な空気を感じ取って言ってくれたという事がわかる。

 こいつはそういうところがある、心憎い奴なのだ。


 その後も昨夜小腹が空いてコンビニに行ったら、アダルトコーナーで1冊だけ封が切れてるものがあったので、読むべきかどうかを如何に葛藤したかという事を語り、学校を目指す。


 ――気を遣わせてるな。


 場を和まそうとしてくれるその心遣いが、ただただ有難い。


 おかげで、変に拗れることなく学校に着くことが出来る。



「昨日のイベントの動画も見たよー!」

「吉田さん、今回こそはって言ってたけど相変わらずだったね!」

「うんうん、これぞ天然! 私はこういうの、好きだよ!」

「おぅ、オレも拡散とか頑張ったぜ!」

「祖堅、あんた邪魔!」

「ひでぇ!」


「ぁぅぅ……」


 教室に着いた瞬間、平折はクラスの女子たちに囲まれた。

 彼女達はSNSやネットなどで、宣伝を手伝ってもらった子たちだ。

 一度平折の写真集に携わっただけに、そうした事も色々と気になるのだろう。


 かつての平折なら、考えられない光景だと思う。

 それこそ、平折が努力して作り上げた成果だ。


 しかしその集団から聞こえる会話の内容は、『撮影』『スタジオ』『舞台裏』といった、普通の女子高生には縁遠い単語が飛び交っている。

 この1~2か月の間に急激に増えたものとはいえ、未だになんだか現実離れしている光景でもあった。


 それを見ていると、なんだか胸がモヤモヤとしてしまう。

 だからきっと、『平折は向いていない』なんて言ってしまったのだろう。


 彼女達には支持されているものの、その一方でどうしたって悪意を持つ人も生まれてくるのだ。

 実際、昨日のイベントの様に、誰かに悪意を向けられることも多くなるに違いない。


 俺はそれが、どうしても厭だった。


「あーその、昴? 何かあったら言えよな」

「……康寅?」

「いや、何でも無いならいいんだ」

「……もし、その時が来たら頼む」

「あぁ……!」


 怪訝な顔をしていた俺に、康寅が話しかけてきた。どうやら随分と眉間に皺が寄っていたらしい。


 いつも深い事は聞かないくせに、気を掛けてくれるこの親友に、心の中でありがとうと呟いた。




◇◇◇




「あ゛~、づかれだぁ~! 一度休止をすれば、仕事は減るもんだと思ってたんだけど~っ」


 昼休み、平折のクラスにやってきた陽乃は、そのままペタリと平折に甘えるかのようにくっついた。

 そのごく自然な動きの流れは、まさに姉に甘える妹の様相で、周囲の皆も微笑ましく見守っている。


 どうやら彼女が登校したのは3限目の終わりの頃の様で、復帰してからというものの、雑誌の取材やらテレビのインタビューなどのスケジュールがたくさん詰まっているらしい。今日の様に遅れてやって来るのは珍しくない。その顔には、疲労が色濃くにじみ出ている。


 ……ちなみに、凜は未だに登校していない。


 陽乃は座った平折の正面から抱き付き、ぐりぐりと胸に頬を押し付け、たっぷりと姉の匂いとぬくもりを堪能した後、愚痴を言うかのように今朝の事をぼやく。


「はぁ、今日もお姉ちゃんの事をたっぷり聞かれたよぉ……そういやお姉ちゃん、今後の事とかどうするの?」

「……っ!」

「ふぇ、そ、それは……」


 それはまさに、昨夜平折とぶつかった問題でもあり、思わずビクリと身体を震わせてしまう。

 どういう反応をして良いか分からず平折を見るも――目を逸らされてしまった。


「あ、わたしも気になる!」

「今後雑誌とかの仕事もするの?!」

「あ、もしかしてそういうオファーがあったとか!」


「あはは、まぁうん、そんな感じ」


「「「きゃーっ!」」」


 そんな俺達とは裏腹に、陽乃やクラスの女子たちはやたらと盛り上がっている。

 俺はと言えば眉間に皺を作るだけの顔になり、平折はと言えば俺の視線を気にも掛けず、胸の前でよし、と握りこぶしを作っていた。


「そ、その事で相談したくて……あの、今日泊まりにいってもいいですか?」

「へ? お姉ちゃんならいつでも大歓迎だよ! 昴く――」


 パァッと嬉しそうに顔を輝かせた陽乃は、家族の了承とかもろもろ大丈夫なのかと俺の方を見て――


「――ん、昴君は、ちょっと私と話そうか」

「え、ちょ、おい! 陽乃!」


 そう言って、俺の手を強引に引っ張って教室を飛び出した。

 俺と平折の間にある妙な空気を敏感に感じ取ったようだった。


 周囲に呆気にとられつつ、連れてこられたのはいつぞやの非常階段。

 人気のないそこは、人に聞かれたくない話をするにはもってこいと言える。


 陽乃は辺りを見渡し誰もいないことを確認したあと、くるりと向き直ってジト目で俺を睨む。


「それで? いったい何が原因でお姉ちゃんと喧嘩したの?」

「別に喧嘩なんて……」

「嘘」

「……ちょっと平折に、この仕事は向いてないって言っただけだ」

「はぁ……、なるほどね」


 そう言って陽乃は呆れたようなため息を吐く。

 しかし同時にその瞳は、やっぱりねと言いたげな色を映していた。


「正直ね、私もお姉ちゃんがこの業界でやってくのは向いてないと思うよ。あの性格だし……あぁ、もちろんそこは可愛い所だと思うんだけど、変に擦れて無い分、心無い人達に目を付けられて食い物にされる可能性は高いと思う」

「陽乃っ! あぁ、俺もそう思う。そんなところを押して今どうしてやってるかと考えると俺はっ――」

「――でも、昴君が思ってるような事は起こらないと思うよ」

「…………え?」


 俺の考えに賛同してくれたかと思いきや、それを否定する言葉を放つ。

 一体どういう事かと陽乃を見つめれば、俺を諭すかのような顔で嗜める。


「ねぇ昴君、この業界にいる娘が誰もが世渡り上手なんかじゃないわ。むしろお姉ちゃんみたいな子はいっぱいいる。だけどさ、撮影を手伝って来たのならわかってるでしょ? お姉ちゃんはスタッフの人達にも可愛がられている。愛されてる。それだけじゃなく売り上げも上々。だから私が、凜さんが、スタッフ達が、会社が、そんな事はさせはしない」


 ――させてたまるもんですか。


 そんな瞳で俺を射抜く。

 よくよく考えればその通りで、むしろ俺1人なんかより、彼らの方がよっぽど心強い味方だ。


「昴君もさ、お姉ちゃんが今、誰の為・・・に頑張っているかなんてわかってるんでしょ? それを当の本人に否定されたらどんな気持ちになるか――」


 ――わからないハズがないよね?


 と、責め立てるように、だけどその考えを促すように俺を見つめる。


「俺、は……」


 自惚れではないが、平折が俺の為に頑張ろうとしているのはわかっていた。

 それは昨日にも凜に、2000万円という具体的な理由でもって指摘されている。


 でもだからこそ――俺はそれが受け入れられずにいた。


 俺の為に頑張る平折が、昨日のイベントの時の様に、誰かに悪意を向けられるのは許容できない。

 自分がまだまだちっぽけな子供で、無力な存在だと見せつけられるようだった。


 手を握りしめ、歯噛みする。


 それらに抗える手段を持ちうる平折、凜、陽乃に強いあこがれを持つと共に、劣等感を持っていることを気付かされてしまった。


 ――なにやってんだ、俺は……っ!


 まるで癇癪を起こし、八つ当たりをしているのと一緒だ。


 そんな子供じみた感情を自覚させられる。

 握る拳には力が入り、恥ずかしさから陽乃から目を逸らしてしまう。


「昴君もさ、一度冷静になって自分を見つめ直してみて……それまでうちでお姉ちゃんを預かるからさ」

「……すまん、ありがとう」

「えへへ、いいっていって。そんな私ってさ、いい女でしょ?」

「……あぁ、そうだな」

「そんないい女を――ん、ともかく、お姉ちゃんを泣かすのだけは許さないんだからね」

「あぁ、肝に命じておく」


 何かを言いかけた陽乃は、そのままくるりと踵を返し、これ以上は何も言う事は無いと去っていく。

 残された俺は、今一度自分の心と深く向き合わねばと固く決心する。


 放課後、うきうき気分の陽乃は平折と一緒に自分のマンションへと帰っていった。

 やはり平折と一緒にいることが嬉しいのだろう。

 たびたび泊まりに行っているおかげか、特に何の準備をしてなくても色々充実しており、何の問題も無いのだそうだ。


 1人で家に帰った俺は、ごろりと制服のままベッドに寝転んだ。

 夕食の用意もしないまま、ただただ暗くなっていく部屋の中、自問自答しながら天井を眺め続ける。


 ――俺は平折にどうして欲しいのだろう?


 考えれども、自分勝手で利己的なものしか思い浮かばない。

 それは子供じみた独占欲にも似ていて――そしてそれは、平折の感情をあまり考慮されたものでなく、自分の中の寂しさを埋めるために平折を利用しているかのようなものでしかなかった。


 結局、色々自覚した事はあったとしても、子供のころから俺は何も変わっていないのだ。


「俺、最低だな……」


 思わず独り言ちた。

 ドロリとしたどうしようもない思考の沼に嵌ってしまいそうになり、このままじゃいけないなとスマホを手に取る。


 気分転換のつもりだった。


「…………え?」


 何となしに開いたネットのトップニュースに、それまで考えていたことがすっ飛んでしまう。



『アカツキグループ脱税!? 不渡り?! 買収攻勢をしかけられる!』



 嘘か真か、そんなよからぬ言葉が、サイト一面に踊っていたのであった。

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