第11話 *好きだけど、それは恋じゃない 有瀬陽乃 後半
数日が経ち、期末テストも終わった。
中学以降は通信制に近い形で通学していた陽乃にとって、同じ教室で皆で受ける試験というのは、どこか珍しいものがあった。
「わぁ、私今回凄く良かったよ!」
「す、数学41点……赤点じゃない、です……!」
「よし、オレは追試免れたのでオッケーだぜ!」
「祖堅君に平折ちゃん、あなた達ね……あたしはいつも通り1位で昴は25位、頑張ったんじゃない?」
「まぁ色々あったけれど、それなりの結果で満足かな」
「へぇ、すぅくんって成績良かったんだ? 私は260人中113位、まぁまぁかな?」
一緒に勉強会をした面々もそれなりの感触のようで、皆の顔にはホッとした安堵の表情が広がり、そして冬休みを迎える。
そして冬休みのある日、陽乃は初瀬谷の駅前で平折を待っていた。
(うぅ、大丈夫かな……)
先日平折が泊まりに来た時に頼んだ件での待ち合わせであった。
陽乃は随分とそわそわとしており、落ち着かない様子である。
自分で頼んだにもかかわらず不安気な姿は、あまり人気のない午後の住宅街にある駅前と言えど、注目を集めていた。
ニットのセーターに、それに合わせた平凡な色のスカートにダッフルコートという地味めな恰好なのだが、それでも特に変装をしていない彼女はよく目立つ。
だが、そんな周囲の視線に気付かないほど、陽乃には余裕がなかった。
「陽乃さん、お待たせしました!」
「おねぇちゃん……うぅん、そんなに待ってないよ!」
少し怖気づいた弱気な心が顔を出そうとしたとき、平折が息を切らしながらやってきた。
返事をする声が弾むのを自覚した陽乃は、我ながら単純だ、なんて思う。
合流した2人はゆっくりと住宅街を歩き出す。
「本当に私が訪れても大丈夫なのかな?」
「はい、お母さんにもちゃんと確認を取りましたよ。昴さんもいますし」
「そっか……」
陽乃が平折に頼んだ事は彼女の家に遊びに行ってもいいかということと、それと――彼女の母、弥詠子に会いたいと言うことだった。そこには謝罪したいという気持ちも含まれている。
有瀬家がかつての吉田弥詠子にした仕打ちを知っている。当時子供だったと言い訳するつもりもない。きっと恨まれているだろう、それは先日の反応からも十分にうかがい知れる。
それでも陽乃は、堂々と平折と姉妹でありたかった。
親に散々振り回されてきた自分達だけど、せめて異母姉の母には認めて――いや、許して欲しかった。
だが、顔を合わせただけで怯えられた自分だ。それを思い出すと、不安でぎゅっと心臓が掴まれたかのような痛みが走る。
そんな陽乃の不安を感じ取ったのか、平折は安心させるかのように――というにはどこか困ったかのような顔で微笑みかける。
「大丈夫ですよ、陽乃さん。今日はその……お父さんもいますから」
「……そっか」
だけど、どこか歯切れの悪い平折の「お父さん」という言葉に、何とも言えない気持ちになる。
自分の思い描く父とは違い、さらには昴とも同じ父を示す言葉に、なんだか疎外感のようなものを感じてしまった。
◇◇◇
「あ、あの、その……色々すいませんでした」
「いえその、私も先日は取り乱してしまい……」
「有瀬家がしたことを思えば……」
「そんな、あなたは何も……」
陽乃の心配とは裏腹に、倉井家のリビングでは何とも言えない謝罪合戦が繰り広げられていた。
なかなか終わりそうにない不毛とも言えるこの応酬に、彼女達以外の3人は、困った笑みを浮かべている。
「まぁまぁ、そこまでにしましょう弥詠子さん。陽乃さん、だったね……初めまして、かな? 君はその、何て言うか、平折ちゃんの妹なんだ。ということは僕にとっても娘と同じ、だからもうそんなに謝ることもないんだよ」
「晴也さん……そうね陽乃さん、あなたは紛れもなく平折の妹でもあるもの。ということは私にとっても娘同然だわ。こんなことはこれでおしまい……でいいですね?」
「だそうだ、ひぃちゃん」
「……で、です!」
「…………ぁ」
その言葉と眼差しで、陽乃は心がスゥっと軽くなるのを感じる。
いざ行動に移してしまえば、呆気の無いものだった。
何とも言えない思いが胸に沸き上がり、涙腺が緩んでしまう。
「あ、その……これ見てください……っ! 今度おねぇちゃんと一緒に出す写真集のゲラ刷です!」
陽乃はそんな顔を見せられないと、話題の種にと持ってきた校正用の見本を見せる。
「これは……驚いたな。すごく、なんていうか言葉に出来ない」
「うそ、これが平折……? 自分の娘だなんて信じられないわ」
「可愛いのは当然だろう? 弥詠子さんの娘なんだもの」
「は、晴也さんっ」
だがその反応は意外なものだった。
急に平折と昴の両親が2人の世界を作り出し、困惑してしまう。
「え、あ、そうだ! 他にも見せたいものが……おねぇちゃん、ちょっといいかな?!」
「ふぇっ?!」
気を取り直した陽乃は、平折を連れ立って制服に着替え、彼女そっくりのメイクを施し再び2人の前にまろびでる。
「これは……どっちがどっちだろう? 本当に姉妹だってのがよくわかるね」
「自分の娘なのにどっちなのか……しかもモデルの娘とここまで似てるだなんて」
「それはやはり弥詠子さんの娘だからだろう?」
「も、もうっ……!」
そしてまたもや2人の世界に入られてしまった。
隣を見てみれば平折も苦笑しており、昴も呆れたような顔をしている。
「えぇーっと……」
「ここのところやたらと仲が良いんだ、まぁ深く突っ込まないでやってくれ」
「見てる方も恥ずかしい、です……」
両親の仲睦まじさに赤面する昴に平折。
どうやら彼らから見ても特別な光景のようで、それは陽乃にとっても特別なものだった。
(こういうのって、本当にあるんだ……)
仲の良い夫婦、家族の姿――それは陽乃が初めて見るものであった。
◇◇◇
是非とも妻の料理を食べていってくれ、と自慢げに勧める平折の父に勧められる形で、結局夕飯までごちそうになることになった。
その後もひたすら惚気る姿を見せられ続け、困った顔をしている昴と平折であったが、陽乃にとってはいつまでも見ていたいものであった。
しかし21時も回るとなれば、さすがにお暇しなければという時間になってしまう。
「名残惜しいけど、今日はこれで帰りますね」
「送るよ、ひぃちゃん」
またいつでも来てくれという言葉を頂き帰路に着く。
遅い時間だしせめて駅まではと昴に送られる形だ。
「すまん、なんていうかその、いつもは人目を憚るような2人じゃないんだが」
「あはは、仲が良い両親じゃん。羨ましいよ、ほんとに……」
「そうか……」
「……うん」
すっかり暗くなった年の瀬の住宅街は、どこか静かで物悲しい。
だけど陽乃の心はそうではなかった。
まだこの時間を終わらせたくないという思いが渦巻く。
「ね、ちょっと寄りたいところがあるんだ。付き合ってよ」
「あ、おい!」
言うや否や強引に昴の手を引き、駅とは反対方向へと走り出す。
やってきたのはいつぞやの神社だった。
冬の今は葉のない枯れ木が目立ち、月が良く見える。
近くに民家は無く、きらめく星も明るい。
「わあ、すごいね!」
「そうだな」
そこはまるで異世界にも紛れ込んだかのような、非日常的な美しさがあった。
思わずはしゃいでしまう陽乃。
今朝の訪れる前とは全然違う心境だ。
そしてやはり、変わってしまったこの状況の隣には、昴が居た。
「すぅくんは凄いね」
「うん……?」
「言ってたじゃん……おねぇちゃんが変わったのも、おじさんや弥詠子さんが仲良くなったのも、すぅくんのおかげだって」
「それは……別に褒められることじゃないんだ……」
昴は凄い、如何に自分にとっていろんなことを良い方向に変えてくれる――そんな気持ちで言った言葉だった。
だというのに昴は、申し訳なさげに困った顔をして目を逸らす。
しかし浮かれている陽乃は、そんな昴のことに気付かない。
「私ね、今日凄く嬉しかったんだ。おねぇちゃんの妹だって言ってもらえて、すごく仲の良い家族を見せてもらえて……あぁ、今のおねぇちゃんは愛されているんだなって」
「……」
「だから私も同じように……ね、すぅくん? 何度も言ってるけど、私たち付き合わない? そうしたらおねぇちゃんも正式にお義姉ちゃんになるし、父に支払った2000万円だってわたしから遠慮なく払えるしさ。それに現役モデルだよ、彼女にするにはお勧めだよ?」
それは陽乃にとって、なんてことのない、軽口の延長のような言葉だった。
だけど、そこには自身の願いがふんだんに盛り込まれており――ある種の本気が乗っていた。
別にお試しとかでもよかった。
自分でも良い案の様にも思えたがしかし、返ってきたのは、どこか痛みを堪えるかのような昴の独白だった。
「……俺、寂しかったんだ」
「すぅ、くん……?」
突然の、それも予想外の返事に、陽乃は一瞬事態が把握出来なかった。
「産みの母が死んでさ、本当は寂しくて……でも父にも誰にも言えなくて……だから毎日のようにここに遊びにきてたっけ」
「……」
「再婚して義妹になった平折にちょっかいだしたのも、そして凛やひぃちゃんに色々やったことも、結局は根底にある寂しい気持ちを埋めたかっただけなんだ……ごめん、利用して……」
「そんな、でも……っ!」
昴の言葉は、陽乃の胸に強く突き刺さった。
つい先ほど打算に塗れた言葉は、正に今、昴が言った言葉と同じでは無いだろうか?
だからこそ、昴の気持ちがわかってしまった。
「……」
「……」
2人の間に沈黙が支配する。
まるで後悔しているかのように佇む昴に、かける言葉が見つからない。
ここまで昴の事を考えられるほど、陽乃には余裕がなかった。
それが、この後の運命を決定付けた。
昴はまるで泣きそうな、そしてまるで自分を傷付けているかのような笑顔を作り、陽乃へと微笑みかける。
「ひぃちゃん、いや
(…………ぁ)
それは決別を告げる言葉だった。
それは何かの儀式めいていた。
それを聞いた陽乃は昴に向き合い、せめてとばかりに精一杯の笑顔を作って微笑み返す。
「そう、だね……うん、そう。私も同じだ。家族が、ぬくもりが欲しくて……恋なんかじゃない。ごめんね、変な事を言って、
ここに今、明確に2人の関係は変わってしまった。
ザァー、と強い風が吹き、雲が月を隠す。
「帰ろう、遅い時間になった」
「ん、そうだね……でもしばらく一人がいいな……もうちょっとだけこの余韻に浸っていたいの」
「そうか……」
昴はそう言って、振り返ることなく去っていく。
その背中が見えなくなるまで見送る。
変な顔になっている陽乃は、その気遣いがありがたかった。
吹き付ける冬の風が枯れ木と髪を揺らす。
どこか意地になっている自分に気付く。
(……どこで、間違えちゃったかな)
先ほどまで温かかった胸は、冷たくぽっかり穴が開いたかのようなものに取って代わられる。
無自覚だった。
デリカシーがなかった。
もっと――素直になればよかった。
気付いた時には遅かった。
押し寄せる後悔の中、そこでようやく、陽乃は取り返しのつかないことをしてしまった事に気付く。
「私、馬鹿だなぁ……」
呟く言葉は風と共に流される。
胸から溢れる後悔は、熱となって目から溢れそうになり、そうはさせまいと天を仰ぐ。
吹き続ける冬の風は、いつしか雲を押し流し満月を天に描いていた。
「陽乃、さん……」
「おねぇ、ちゃん……」
月明かりの下、いつしか平折が傍に来ていた。
もしかしたら、最初からずっといたのかもしれない。
色々言いたいことはある。
だけど今は、一人じゃない事がこれほどありがたい事だと、身に染みて理解してしまう。
気付けば、勢いよく正面から抱き付いていた。
「おねぇ、ちゃん……っ!」
「はい、お姉ちゃんです」
平折は何も言わず抱きしめ返し、そしていつも昴がしてくれたように、頭と髪を優しく撫でてくれる。
そこが陽乃の限界だった。
決壊した想いは、堰を切ったかのようにとめどなく溢れ出し、嗚咽と共に静かに平折の服を熱く濡らす。
「
「いいですよ」
「長くなるよ……何せ――」
そこで陽乃は無理矢理笑顔をつくり、流れる涙のまま平折に笑いかける。
「――私の初恋だった話なんだから」
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