第10話 *平折と陽乃


 平折は孤独を知っている。

 誰にも頼れない心細さを、その辛さを知っている。


 だけど平折は救われた。

 昴にその心を救われ、一人じゃない心強さを知った。


 だから――そんな彼に憧れた。


「ぇと、その、今日は陽乃さんちに泊めて……」

「ど、ど、どうして?」


 インターホン越しに陽乃の戸惑う声が聞こえてくる。

 だが平折もいっぱいいっぱいであり、その事には気付かない。


「……」

「……」


 少女2人は互いにドアホン越しに固まってしまい、奇妙な沈黙が流れていた。

 平折に徐々に焦りが生まれていく。口下手な自覚もある。少しだけ……このまま帰ってしまいたい気持ちも……


 だが平折はどうしても、今の陽乃を放っておくことが出来なかった。


 何でもない風を装っているが、それが強がりかもしれない――それは先程の台所での昴とのやり取りを見て、疑念が確信に変わる。

 もしここで見て見ぬふりをしてしまえば、かつての自分自身をも裏切ってしまうのではと思ってしまった。


 それに昴は、そんな平折を……


 だから必死に言葉を紡ごうとする。


「だから、あの……へくちっ!」

「……オートロック解除したから」

「ぁぅ……」


 年の暮れのロビーは存外に寒い。

 飛び出したのは言葉ではなく、可愛らしいくしゃみであった。


 なんだか締まらない平折は、顔を赤くしながらエレベーターに乗る。

 それを見て、どこか身構えていた陽乃は、毒気を抜かれながら部屋へと招き入れた。


「さ、入って」

「ぉ、お邪魔します」


 ほんの少し前まで居たリビングへと、再び通される。

 そこでローテーブル越しに向かい合った2人は、互いに所在なさげにしながら見つめあい、固まってしまう。

 お互い何を言って良いのかわからないのだ。


 昴と一緒に同じ家へと帰っていったはずの平折が、30分も経たないうちに泊めてくれと戻って来る。

 平折とて、それが突飛な行動だと言う事はわかっている。

 陽乃も、平折の行動の意図がわからないでいた。


「……」

「……」


 平折は何も話せないでいた。

 元より口下手なのだ、自分の気持ちをどう言葉にしていいのかわからない。

 辺りには、決して居心地の良いモノではない空気が横たわっている。


 何度目かの顔を上げると、目の前の陽乃は少し困った様な、だけど少しだけ嬉しそうな目をしており――それは平折にもよく覚えのある色をしていた。


(…………ぁ)


 そして気付く。


 あの人も――昴も決して口が上手い人ではなかった。むしろぶっきらぼうで分かりにくいとさえ思う。ここ最近までは、ろくに会話すらしていなかった。


 だけどその視線や行動は、いつも自分を気遣ってくれて、見守ってくれていたのを知っている。

 1人じゃない……それにどれだけ救われたことか。


(私は陽乃さんに、それを教えたい……っ!)


 言葉だけが全てじゃない。

 もとより自分は口下手なのだ。

 ならば、やれることは一つ。


 平折は、よし、と気合を入れて胸の前で拳を作り、勢いよく立ち上がる。


「えっ? あ、あの……」

「え、えぃっ!」


 そしてそのまま、ぎゅーっと陽乃に後ろから抱き付いた。


 突然の行動に陽乃は目をぱちくりとさせて、身を強張らせる。

 だけど平折は知った事かとばかりに腕に込める力を強める。


 それは力任せで、なんとも不器用な抱擁だった。

 だけどそれでも密着する身体からは、互いの体温を、存在を強く意識させる。頬ずりすら出来そうなほど近い距離は、相手の息遣いも聞こえてきそう。


「お、おねえちゃん?!」

「は、はい、お姉ちゃんです!」

「あのあの、いったい何をして……?」

「そのえっと……お姉ちゃんをしています」

「あはは、そっかぁ、おねぇちゃんしてるのかぁ」

「はい、そうです。お姉ちゃんですから」


 陽乃が戸惑っているのが分かった。

 自分でも、もはや会話になっていないと思う。

 そんな自分に呆れつつも、腕の中にいる陽乃に、想いよ届けとばかりに身体を押し付ける。


「そうだよね……私にはおねぇちゃんがいるんだもんね……」

「はい、そのとお……ぇ? 陽乃、さん……?」


 ポタリ、と。抱きしめている腕に熱い雫が零れるのを感じた。

 それが何かなんて、聞き返すのも無粋なものだ。

 腕の中の存在が小さく震え、強張った身体がほぐれていくのがわかる。


 だけど平折は予想外の反応に慌ててしまい、思わず手を放してしまいそうになって――陽乃から離れないでと言わんばかりに手を添えられた。


「……もうちょっと、このままで」

「……はぃ」


 陽乃の纏う空気が変わる。

 沈黙が穏やかなものへと変わっていく。


 それは、平折が感じる義兄とのものと似たものだった。


 いつしか陽乃は背中を甘えるように平折に預けて来ており、そこに確かな信頼があった。


 そしてどちらからともなく安心したのか、くぅ、と控えめなお腹の音が鳴る。


「あはは」

「くすっ」


 2人の姉妹の笑い声が重なった。




◇◇◇




 時刻は既に20時を回っていた。


 陽乃は手早く夕食を用意する。

 パスタと買い置きのレトルトソース、彩にはちぎったサラダとプチトマトという簡素なもの。


「かんたんなもので悪いけど」

「うぅん、私も急に押し掛けちゃって……」


 少し冷静になった平折は、しきりに恐縮していた。

 だけど空腹には勝てないようで、小さな口に何度もナスとトマトのボロネーゼを運ぶ。

 陽乃はそれを微笑ましい様子で見守りながら食べた。


 そして食事を済ませた陽乃は、丁度沸かし終えた風呂へと平折を誘う。

 先程ロビーでくしゃみをしていたからと言い、ちゃんと温まるかどうかを確認するためにという強引な理屈で一緒に入る。

 平折は戸惑ったものの、まぁいいかと承諾した。


「うぅ……私より大きい」

「え、私とほぼ一緒じゃん。ジュニア時代からモデルしてるとはいえ、もう少し身長が……って、え、そっち?! そっちもあまり変わんないよ?!」


 誰かと一緒に入る風呂というのは初めてで、ついついのぼせそうなほど長湯をしてしまった。


 お風呂上りは、やはり試験前と言う事で勉強をということだったのだが、風呂場でのテンションを引きずった陽乃は、ここぞとばかりにあれこれと平折にちょっかいをかける。


「うそっ?! 今年の春のおねぇちゃんって、こんなのだったの?! え? え? 変身?! 脱皮?! 開花?!」

「あぅぅ、そろそろスマホ返して……勉強しましょう?」


 そしてひとしきり騒いだ後、平折は陽乃に寝間着を借りて、同じベッドに入った。

 来客用の布団は用意してなかったということで、なし崩し的にこうなった形だ。


 電気を消すころにもなれば、興奮も落ち着いた陽乃は、その反動なのか口数が少なくなっていた。

 そして子供の様に平折に抱き付き、だけどまだ喋り足りないとばかりにポツポツと話を向けてくる。


 一人じゃないと、実感したかったのだ。

 真実、平折は姉で、陽乃は妹だった。


 だからこそ、心の中に残っていたものを吐き出したかった。


「……この間はごめん」

「ふぇ?」

「話しかけようとしてたのに避けたこととか、待ってるって言ったのに行けなかったこととか……」

「それはもういいですよ」

「でも……」

「私はお姉ちゃんですから」

「……ぁ」


 そっと、平折は陽乃の頭をなでる。それは、何度か昴にされた時のように、安心感を覚えるモノだった。


(あ、私は……)


 陽乃の中の、ある感情が膨れ上がっていくのがわかる。


「お姉ちゃんは凄いね、そして強いね」

「……そんなことは全然ないですよ。凄いとしたらきっと……」

「おねぇちゃん……?」

「うぅん、なんでもないですよ」


 すこし、陰の落ちるような声になるが、陽乃はそこまで気に回らない。


 陽乃はまだ16歳の少女である。

 たった数日とはいえ孤独に苛まれ、自分のことだけで精いっぱいになってしまった。

 それとは比べ物にならない時間を耐えて強くなったこの姉が、誇らしくさえあった。


「今日はありがと……たぶん私、思った以上に追い詰められてたみたい」

「お礼なら昴さんに言ってください」

「……すぅくんに?」

「どうしようかって悩んでた私の背中を押したのは、昴さんですから。あれがなければ、今ここに居ません」

「そっかぁ、すぅくんかぁ」

「………………はぃ」


 やっぱりね、と陽乃は胸の内で呟く。

 そして納得もする。


 倉井昴はいつだって陽乃にとって、事態を良いほうに変化してくれる人なのだ。


 先ほど見た、平折の画像だってそうだ。

 あんなにモサくて黒い女の子を、目の前にいる可愛い女の子に変えてしまっているのだ。

 平折が変われたのが誰のお陰かなんて、考えるまでもない。


 そして今の陽乃も変わりたかった。


「……おねぇちゃん、お願いがあります」

「はい、なんでしょう?」

「実は……」


 だから平折を通じてあることを頼む。


 陽乃は、まだ自分に余裕がないままだと言う事に、気付いていない。

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