第9話 *有瀬陽乃 中編
陽乃の心境とは裏腹に、周囲は以前の和気あいあいとした空気を取り戻しつつあった。
さすがに平折と凜の間はまだまだぎこちないが、それでも以前の様にギスギスしたものは無い。
和らいだ雰囲気は周りへ良い具合に伝播し、様々な事柄がスムーズに運ばれる。
そんな中、陽乃達の撮影は無事終えるのであった。
「ふぅ~、終わったー!」
「ぉ、おつかれさまですっ」
「うふふ、こっちはこれから編集と宣伝よぉ……」
「むしろここからが地獄の始まり……」
「正月休みは無いと思ったほうがいいな……」
気の抜けたような声を出す陽乃と平折。だがこれから打ち上げだとはしゃぐスタッフは誰一人としていない。
これからが本番だと怨嗟にも似た声を漏らしつつも、気力を充実させていた。
それを見て場違いな声をだしたと思った平折はあわあわしだし――陽乃はそれを見てくすりと微笑む。
広報の要、有瀬直樹が抜けた穴は大きいようでしかし、その程度で揺らぐアカツキグループではない。
むしろ抜けたポストに誰が収まるのかと、奮起している者もいる。逞しいものだと思う。
「平折にひぃちゃん、お疲れ様だな。これから先はスタッフの人達に任せよう。俺達にもしなきゃならないことがあるだろう?」
「え、なにかあったっけ、すぅくん?」
「あのね、あたし達は学生でしょ? 期末試験も目前よ」
「…………ぁ」
平折がハッと気付いた顔になった。
それを昴と凜が呆れたような顔で見ている。
いつもならここから何か別の話題に移るはずだが、ぎこちない空気を残した2人は、何かを言いたそうにしつつも何も言うことは無い。
何かが陽乃の心をざわつかせた。
別に打算があったわけではない。
きっと自分の心の隙間を埋めたかっただけに違いない。
「それじゃあさ、明日うちで勉強会しない?」
気付けばそんな提案を言いだしていた。
◇◇◇
翌日の放課後、撮影が無くなったので、皆その足で陽乃の部屋へと集まることにした。
「うぉおぉっ、ここがあの有瀬陽乃ちゃんの家か! オレ、今日の事はぜってー忘れねぇ……SNSや掲示板の書き込み頑張るわっ!」
「わ、わたしも同じクラスになっただけじゃなくておうちにまで……写真集の宣伝、頑張るよ!」
「あはは、そこは期末テストの勉強を頑張ってほしいかな」
「……あたしんちの間取りと結構違うのね」
「ふぁ……窓からの眺め、すごいです……」
「ひぃちゃん、急に人数増えて悪かったな」
「ん、いいのいいの。人が多いほうが楽しいし」
集まった人数は6人。平折と凜、昴だけじゃぎこちない空気が抜けないので、予定が空いていた祖堅康寅と陽乃のクラスメイトの女子が一人、一緒に来ていた。気を利かせた昴が声をかけた形だ。
思えば陽乃にとって家に誰か友人を上げるというのは、有瀬の実家に居た時も含めて、初めての事であった。
「うお、このカーペットありえねぇくらいフカフカなんだけど?! 昴、顔がどんどん沈んでいくぞ!」
「あ、このソファーやばい。うちのクッションより柔らかいんですけど?!」
「テーブルもなんか肌触りがつやつやしてる、です……」
「おい、あからさまに部屋をジロジロべたべたするなよ……気持ちはわかるけどさ」
無遠慮に物色するかのように部屋を眺める祖堅康寅や平折達を嗜める昴も、どこか物珍しそうに視線を走らせているのが、なんだか可笑しかった。
1人暮らしには無駄に大きなローテーブルはしかし、6人がノートを広げるとなれば流石に狭い。
だけどその分、隣の人との距離は近く、今の陽乃にはそれが有難かった。
勉強会は特に誰かが騒ぐことなく、粛々と進められて行く。
陽乃はそれが少し意外であった。
学生の勉強会といえばもっと和気あいあいとして、雑談多めのイメージがあっただけに、どこか気抜けする。
クラスメイトの女子も同じだったのか、最初こそ戸惑いを感じていたようだが、すぐに順応して勉強に集中していた。
(すぅくんやおねぇちゃんと出会ったときも、こんな風に勉強してたのかな?)
この生真面目な空気を主だって出しているのは昴と凜、そして平折だ。
時折誰かが質問したかと思えば、それを誰かが教えてくれる。
1つこれと決めたら、まっすぐに取り組む姿勢が、なんだか彼ららしい。
皆で1つの事を一緒にすると、静かでも確かな一体感もあって、これはこれで悪くなかった。
「んーっ、お茶入れてくるね」
「あー、おかまいなく」
一区切りがついて集中力も切れてきた陽乃は、そう言ってキッチンへと向かった。
この静かで穏やかな時間が、ずっと続けばと思ってしまう。
(お茶は――インスタントコーヒーでいっか。問題はカップね……)
1人暮らしも間もなく、これほどの数の来客を想定していなかったためか、食器が全然足りていない。
どうしたものかと考えていると、背後から声をかけられた。
「手伝うよ、ひぃちゃん……って、お茶碗?」
「っ! あ、あはは、数が足りなくってさ、私の分はそれで……んー、ついでだしお茶請けのクッキー出してくれる? 頂き物のやつがその辺にあるはず」
まさか誰かこちらに来るとは思っておらず、陽乃は一瞬ビクリと身体を震わせた。
しかも相手は昴である。
内心、この時間がまだ終わって欲しくなくて、引き留めるためにお茶を出すのかと見透かされたと思ってしまった。
動揺を悟られぬよう、お湯を沸かしながら盛り付けや食器の準備の指示を出す。
上手く誤魔化せたと思った。
「大丈夫か?」
「…………え?」
しかし続く昴からの言葉に、狼狽せずにはいられなかった。
昴は陽乃の様子がいつもと違う事に気付いているようだった。
陽乃を覗く昴の瞳は、彼女を案じ心配する色をしている。
それがひどく彼女の心を掻き乱す。
(私、は――)
正直、陽乃の心は弱っていた。今すぐ心の裡を曝け出したいという思いもある。
だが陽乃の心の隅には、
「あはは、何のことかな? 私はほら、全然、なんともないし!」
「いやしかし、明らかに無理を……あんなこともあったし――」
「――すぅくん、何でもないの。何でも……ね?」
「……………………そうか」
だから、迷いつつもそんな事を言ってしまっていた。
どこか釈然としない様子ながらも、昴は引き下がる。
自分でも馬鹿だな、と思う。
誰にも悟られない自信もあった。
昴はよく見ているな、と思う。
そういえば昴だけは、異母姉に扮していても、ついぞ一度も見誤られることがなかったと思い出す。
「……無理はするなよ」
「…………あはは、変なすぅくん。何もないってば」
そう言って何も聞かず、昴は若干慣れた手つきで陽乃の頭を撫でつけた。
陽乃はその大きく温かい手に甘えて良いのか複雑な顔で、為されるままになる――これは彼の意志で自分の意志じゃないと、心の中に言い訳をかさねながら。
「……」
悩める陽乃は、それを眺める誰かの視線には、気付かなかった。
◇◇◇
その後も勉強会は捗って、陽もすっかり暮れてしまい、時刻はそろそろ19時になろうとする頃。
「今日は勉強も進んだし、陽乃ちゃんの部屋も見られたしで万々歳だぜ!」
「わ、わたしも! あ、もっと宣伝用に写真撮っておけばよかったかも?!」
「そっちのほうはあたしが抜かりなく……あと、食器が足りなかったのなら言ってよね。持って来たのに」
「ぉ、お邪魔しました」
「大勢で押しかける形になって悪かったな」
「あはは、気にしないでいいよ。私も結構楽しかったしね」
さすがにこれ以上引き留めるわけにはいかず、ロビーにまで見送りにやって来ていた。
皆の姿が見えなくなるまで手を振ると、凜は「んーっ」と大きな伸びをして、スマホで誰かに連絡を取る。
「それじゃ、あたしは本社ビルに行くから」
「……え?」
「今、あそこ手が足りてないの知ってるでしょ? その手伝いよ」
「あ、じゃあ私もっ」
「気持ちだけ受け取っておくわ。内務の事はあまりよくわからないでしょ? それに発売してからの宣伝で大変になるんだから、今は家で休んで……じゃなくて勉強してなさい」
そう言って凜は迎えに来た車に乗って去っていく。後には陽乃1人だけが残される。その顔は、張り付いた笑顔がそのままになっていた。
凜の言う通り、今陽乃が事務局に行っても手伝えることは無いだろう。
その場にずっと留まっているわけにもいかず、重い足取りで部屋へと戻る。
つい先ほどまで6人もいたリビングは、仄かに人の気配とも言える残滓が漂っていた。
いつもと違う場所にあるクッション、少し位置のズレたローテーブル、台所のシンクに置きっぱなしの食器。
「…………ぁ」
それがどうしても、陽乃が1人だということを強く意識させられた。
張り付けていた笑顔が崩れ、くしゃくしゃに歪んでいく。
暖房で暖められたはずの部屋はどこか薄ら寒く、心が凍えそうになる。
――大丈夫などではなかった。
漠然としていて、言いようのない不安が、陽乃の胸を支配する。
ぬくもりが欲しい。誰か傍にいて欲しい。
先ほどの昴の言葉は有難かった。甘えたかった。
だが自分の中の後ろめたい気持ちがそれを許さない。
ぎゅっと赤くなるほど手を握りしめ、先程の笑顔の仮面を張り付け直す。
「さて、と!」
泣いて叫んで我儘を言っても、どうにもならない、なんていう事は幼少期の平折の件でよくわかっている。
このままだとドツボに嵌りそうだったので、カラ元気を振り絞って気合を入れる。
さて、まずは洗い物をと袖をまくった時のことだった。
――ピンポーン。
「っ?!」
突如インタホーンがなった。
特に心当たりのない陽乃は、驚きながらも訝し気にドアホンの画面を見て――固まった。
「はーぃ…………え?」
その人物は全力疾走でもしてきたのか息を切らしていた。
いかにも急用がありそうな様子にもかかわらず、もじもじと何かを言い辛そうにしている。
だというのに、その眼差しはどこまでも強い意志が感じられるのに目を惹いた。
陽乃は言葉に詰まりながらも声を掛ける。
「な、何か忘れ物かな、おねぇちゃん」
「ぃえ、その……と、泊めてもらえませんか?!」
「…………はい?」
その言葉は、ますます陽乃の胸を掻き乱す。
平折の瞳はどこまでも真剣で何かを案じているようなものであり――先ほどの昴に酷似しているのだった。
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