*閑話 代表取締役専務、南條豊和という男


「ここ、数字とか色々間違えているわ……しっかりしてください」

「え……あ、ホントだ……す、すいません凜様!」


 高橋沙紀は仕事に追われていた。

 ここのところ、芸能広報部の事務局はピリピリした空気に包まれており、それにあてられてか細かいミスも多い。

 連日の激務もあって、疲労していたのも否めない。 


 さらに、実質彼女の上司になっている南條凛の機嫌がよくないというのもあった。

 だというのに、彼女は誰よりも精力的に仕事をする。

 休みが欲しい……だけどそんな事を言い出せないような空気が形成されていた。


(時間が足りないし、ここが踏ん張り時だよね)


 そういった実情もあって、彼女は今度はミスしないようにと気を入れなおしてデスクに向きなおる。


 高橋沙紀は、昔より可愛いものや綺麗なものが好きだった。

 漫画やイラストなど二次元をはじめ、ファッション雑誌やグラビアなどを好んで眺める学生時代を過ごす。

 だけど残念ながら彼女には絵心もなく、デザインする発想力にも乏しかった。

 人並みの容姿である自覚もあって、そういった世界への憧れだけにとどまる。


 それでも、そういったものに対する憧れは強く、少しでも業界に関わる仕事をしたかった。

 アカツキの芸能広報部に就職が決まった時は、それはもう喜んだ。


 就職して3年目、まだまだ若手の24歳。それなりに体力もある……という自信もあった。


 また一人、また一人と先輩たちが帰っていくなかミスを挽回しようと仕事に没頭し、計画書をまとめなおした時には彼女一人になっていた。


(うぅ、なんとか終電には間に合いそうだけど……)


 急いで書類を出力し、ミスが無いかの確認は持ち帰って家でいいやと、素早く事務局を出る。


 年の瀬ということもあり、本社ビル全体で忙しいのか、あちらこちらから人の気配がする。

 中には徹夜になる部署もあるのだろう。


 お疲れ様です、と心の中で頭を下げながら、寝不足でふらつく足で廊下を歩いていた時の事だった。


「む?」

「あっ!」


 曲がり角で人にぶつかってしまった。

 バサーっと、手に持っていた書類を落としてしまう。


 しかも最悪な事に、そんな醜態を晒してしまった相手はこのアカツキグループを牛耳る1人、南條豊和専務だった。

 間の悪い事に、散らばった書類は彼の足元に固まっており、その手に拾い上げられてしまう。


「君は凜がいる芸能広報部の……これは……」

「は、はい、高橋ですっ! すいません……あの、それは……」


 頭が真っ白になってしまった。

 まじまじと書類を眺める彼の顔が、どんどんと険しくなっていく。


 南條専務は、不況と言われるこの時代もアカツキグループを順調に育ててきた敏腕として有名だ。

 そして、内外を問わず厳しいもの言いも有名で恐れられている。

 つい先日も有瀬本部長の謀反とも言える事態に置いても、すごい剣幕だったのを覚えている。

 更には絶大な権力を持つ経営者一族の跡取りだ。


 そんな彼に怯まず、こうすればと臆することなく意見を述べた南條凜の友人は凄いと思う。

 周囲には隠しているつもりだろうが、彼女が彼に惹かれているのも納得だった。


 だが小心者で、一般人の自分は違う。

 書類を精査されている形となってしまい、まるで死刑判決を待つ被告人の気分である。


「ひどいな……数字や細かいミスが目立つ」

「っ! え、あの、その……」


 南條専務は険しい顔をし、ますます眉間の皺を深めながら、まじまじと高橋沙紀の顔を見る。

 まるで死神に見られている様だった。

 嫌な汗が止まらない。


「高橋君……君は明日来なくてよろしい」

「…………え」


 それはまさに死刑宣告だった。

 憧れの世界に少しでも関わっていたいと、やっとのことで決まった職場だ。

 足元がガラガラと崩れていくような錯覚を味わう。

 それでもと、食い入るように身体を乗り出し、自分の想いを訴える。


「あの! 書類は今から家で手直しをっ、だからその、明日は……っ」

「明日は来るな。これは業務命令だ」

「そ、そんなっ!」

「ひどい顔だ――明日は家で休養を取りなさい」

「……………………え?」


 何を言われているのか、理解するまで時間がかかってしまった。


「随分と疲れているのだろう。そんなコンディションでちゃんとした仕事はできまい」

「……あ、う……」

「いいかね、しっかりとした仕事をするには、自分の体調はちゃんと把握……聞いているかね?」

「は、はいっ! その、クビとかそういう話じゃ……」

「君は何を言って……細かいミスは目立つが、大枠では良く出来ている。この予想値や参照意見は興味を引く。だからこそ、体調を万全な状態でだな――」


 南條専務は厳しい口調と険しい顔で、小言じみた注意を促し続ける。


(あ、わたしって心配されてる?)


 高橋沙紀は彼の娘である凛が、冷たいイメージがあったのに、実際話すとよく周囲に気を遣う、普通の女の子だというのを思い出す。

 目の前の怖そうな雰囲気のある南條専務は、結局のところ、ちゃんとした仕事をするには体調を整えろ、その為に休みを取るのは悪い事じゃないから遠慮するな、と言っているだけだった。


 仕事の為に、というのを強調されてはいるが、結局は彼女の身を案じているのだ。


(もしかして、不器用な人なのかも)


「これは私の方から凜に渡しておく。君は休みなさい……いいね?」

「は、はいっ!」


 その事に気付いた高橋沙紀は、笑顔で答えていた。

 南條専務は呆れたような視線で返事をした。



 …………


 ……



 翌々日、リフレッシュした高橋沙紀は、いつもよりテンション高めに出勤する。


「おはようございまーす! あれ、凜様がいる?!」

「おはよう、登校前にちょっとね……昨日書類はみせてもらったわ。相変わらず抜けとミスが多かったけど」

「うっ」

「でも意見や目の付け所が良くて助かったわ……ありがと」


 相変わらず南條凛の機嫌は良くないままだったが、それでも彼女の父と同じ調子の言葉を返され、にまにまとしてしまう。


「思ったんですけど、凛様って父親似ですよね?」

「……いきなりどうしたの?」

「えへへ、別に~?」

「そう……」


 良い職場に就職した――高橋沙紀はそう思い、登校する南條凛の背中を笑顔で見送った。

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