第6話 *何のために


 南條豊和は困惑していた。


「有瀬直樹を紹介しろ、とな」

「えぇ、そうです」


 目の前の若者の意図が分からなかった。


 彼の今の状況は、娘の凛から聞いて知っている。

 昨日の今日の事、普通の学生にとっては、パニックを起こしても無理のない状況だ。

 現に娘からはUSBを預かり、対策をしてくれと頼まれている。


 てっきり弁護士や金の都合を付けてくれと言われるとばかり思っていたので、驚きも際立つ。


(やはり、面白い若者だ)


 一方で、南條豊和は有瀬直樹という男を評価していた。 


 確かに人としての性格に難があることは否めない。

 しかし商機や金に関する嗅覚は並々ならぬものがあり、彼一人によってこの10年でもたらされた利益は、グループ総資産の10数%にも相当する。

 この組織を運営していく上で、無くてはならない存在だと言えた。


 その相手と、話がしたいという。


(随分と覚悟の決まった顔をしているな)


 思えば今日だけでなく、以前に二度も、自分にも臆せず意見を述べてきている。

 南條豊和は困惑すると共に、非常に強い興味を抱く。


「君は彼を紹介してもらったとして、一体どうするつもりなのかね?」

「とりあえず一発ぶん殴ります」

「は?!」

「もちろん、こんどは顔だけを正確に狙って。いっそ傷害事件にのみにした方が面白いかもしれませんね」


 そんなことを、倉井昴は茶目っけたっぷりに言う。

 虚を突かれたものの、南條豊和は自分の口角が上がってしまうのを自覚した。


 やはり、この若者は面白い。


「なるほど、それなら私はアカツキの経営者として従業員の彼を紹介出来ないな……それで?」

「殴り込みという意味では同じですが……勘、とでもいうんでしょうか? 今までの彼ならきっと平折かひぃ……陽乃のどちらかを直接狙うと思うんです」

「ふむ……」

「どちらにせよ情報不足だ。だから俺は直接話をして、そこを見極めたい」


 この若者の勘は無視できないものがあった。

 事実、有瀬直樹は過去や現在抱えているこうした類の問題でも、周囲に拡大することを恐れて当事者間だけにとどめているからだ。

 それゆえに、おおやけに彼の問題が噴出していない。


(良い着眼点だ。それに胆力もある)


 部下に欲しい、などと思ってしまった。

 それと同時に、この若者をここまで突き動かすモノは一体何なのかと、気になってしまう。


「というわけです、凛のお父さん・・・・・・。お願いします」

「そうだな――」


 ――~~~~~~♪


 その時、不意に倉井昴のスマホが通話を伝えた。

 彼はマナーモードにしていなかったことを恥じ、バツの悪い顔をしてしまう。

 しかしビジネスの世界では急な案件に対処せねばならない時もあり、今の彼の状況を鑑みるに、決して体面の悪い事ではないだろう。

 南條豊和は鷹揚に頷きながら、通話に出ろと促した。


「もしもし、親父? ……いまその……ちょっと待て、一体どうしてそうなっている?!」


 みるみるうちに倉井昴の顔色が変わっていく。

 どうやら彼の父親からのようなのだが、その反応は尋常じゃない。


「有瀬直樹がそこに?! 今どこに……アカツキグランドホテル? 待っててくれ、俺も今行くから……すいません、こちらから訪ねておいてなんですが、急用が出来――」

「待ちなさい、車で行くのが一番早い。送ろう――いや、私も行こう」

「……え?」


 気付けばそんな事を言っていた。

 倉井昴は驚く顔を見せている。

 南條豊和も、自分で自分に驚いていた。




◇◇◇




 アカツキ本社ビルより車を走らせること15分。

 都市部より少し外れにあるアカツキグランドホテルのロビーに併設されたカフェ。


 そこには項垂れて反応のない有瀬直樹と、倉井昴によく似た目をした、痩せぎすの壮年の男がいた。

 机の上にはアタッシュケースが置かれている。


「親父っ!」

「……っ!」


 2人のもとに駆け寄る倉井昴。有瀬直樹がピクリと身動ぎする。


「やぁ、昴……おや、そちらの方は?」

「……平折の親友のお父さんだ」

「こ、これはこれは。いつも娘がお世話になっています」

「あ、あぁ、こちらこそ」


 いきなり水を向けられた南條豊和は、それまでの険しい顔を一転させて柔和に挨拶する娘の友人の父親に、どう反応していいか分からなくなる。

 ただ、悪い気はしなかった。


 それと共に、これは一体どういう状況なのかと強い当惑を覚える。


「一体これはどういう状況なんだよ、親父」

「なに、示談金の交渉と支払いさ」

「は?!」

「詳しくはこれだね」


 そう言って彼は、書類を自身の息子へと手渡した。

 倉井昴の顔色は読み進めていくうちに、、どんどんと戸惑いと怒りの色へと塗り替えていく。


「2000万払ったのか?! 何でだよ!」

「その代わり弥詠子さんと平折ちゃんの接触禁止も盛り込んである。家族を守るための手切れ金と思えば安いものだろう?」


 彼らのやり取りを聞いて、南條豊和はますます眉間に皺が寄っていくのを感じた。

 当初より示された額よりも数百万円も多い金を支払った事もさることながら、どうして有瀬直樹が項垂れているのかというのも気になる。


 好奇心、というわけではなかった。


「失礼、私こういうものでして……有瀬直樹の上司として、どういう状況なのか把握したいのですが」

「あ、アカツキグループの専務?! 昴、この方は平折の友達のお父さんじゃ……えぇっ?!」

「……冷静に考えると凄い交友関係だと思う」


 少々ルール違反かなと思いながらも、名刺と資料を交換する。

 そこには簡潔ではあるが、様々な情報が上手く纏められていた。


「これは……」


 確かにそれは示談書だった。


 ただしそれは、倉井昴を訴えないとする代わりに、彼が娘やその母に働いた事を訴えないとする交換条件が記されたものだ。

 彼が娘と母に働いたものは、随分と微に入り詳細に書かれている。ここまで調べた彼の執念さえ感じる。

 随分と前から、こういう事態に備えて準備してきたのだろうか?


 しかもそれだけでなく、彼が担当している未成年のタレントとの淫行、暴行を示唆する写真や資料も揃えられていた。


 なるほど、彼女達の方にも打算があったかもしれないが、もしこれらのものが世に出れば、彼の破滅は必至といえる。

 示談書にはこの事は書かれていない――つまり、有瀬直樹はこの件で弱みを握られ条件を無理矢理飲まされたというわけだ。


 だが分からないこともあった。


「これだと貴方が2000万円を支払う必要は無いと思うのだが……」

「はは、それは僕の意地みたいなものですよ。彼は女性への歪んだものを持っている。そして何よりお金しか信用していない。ならいっそ手切れ金として叩きつけてやろうと思ってね」

「親父、馬鹿だろう」


 彼の息子が言う通り、馬鹿な事だとは思った。

 だけど馬鹿になんて、とてもじゃないけど出来なかった。

 資料にある調査にも相当の金額が掛かっているはず。


 何故そこまでするのか――聞くまでもなく、自身の家族の為だろう。


 そして理解する。

 倉井昴というこの若者が、どうして自分や有瀬直樹に怯まなかったのか――彼と同じく家族を、大切な者を守りたかっただけだったのだ。


 南條豊和は今まで感じた事の無い昂ぶりを胸に感じていた。


(もし彼らと同じ様な状況になったとき、果たして私は彼の――彼らのように振舞うことが出来るだろうか?)


 そんな不安にも似た思いに駆られた。


 脳裏に浮かぶのは、この数か月今まで見たことのない、生き生きとした顔をする一人娘。

 あぁ、きっと自分の娘もこの若者に感化されたのだろう。


 お金や数字だけではない、それよりも大切で熱いものがあるのだと……見せつけられてしまった。


「失礼、妻を待たせているので」

「親父っ……すいません、凛の親父さん」

「あ、あぁ……」


 そう言って彼らは去っていく。

 後に残された南條豊和は、明らかに自分が変化してしまったことを自覚する。


 どうしたわけか、有瀬直樹が生み出す金や数字がとてもつまらないと感じるようになってしまっていた。


 その有瀬直樹はポツリと、己の鬱屈とした思いを吐き出していく。


「は……ははっ……専務、あいつら馬鹿ですな。これで私を脅せばいいのに、2000万払って……貧乏人が無理をして! 大体おかしいんだ、アイツらは! 女の為にここまでして! 何が妻だ! あいつは俺の中古――」

「有瀬君、今日限りでクビだ」

「……………………は?」

「君のしてきたことはある程度把握している。だがこれまでの事を鑑みて、手切れ金代わりに退職金は払おう――今までご苦労だった」

「なっ、今まで俺が! どれだけのっ――」


 アカツキグループとして、彼を切るのは痛手だろう。経営者としては間違った判断かもしれない。

 だけどそれよりも得たものがあると、南條豊和は有瀬直樹に目もくれずその場を去る。


 アカツキグランドホテルには、獣のような声にならない叫び声が響き渡るのだった。

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