第3話 *だから、それは……


『平折はお前のじゃない……俺のだ!!』


 その言葉を聞いた瞬間、凜は驚き戸惑うと共に、ストンと腑に落ちるモノがあった。

 何故平折があんな事・・・・言ったかというのも、凛だからこそ・・・・・・理解してしまった。


(なによそれ……バッカじゃないの?!)


 続いて沸き起こった感情は、怒りと共に様々な感情がない交ぜになったものだった。


 平折は昴の事を好きかどうかだなんて、改めて聞くまでもない。

 そうでなければ、誰の為に可愛く綺麗になろうと努力した? 何のために自分を変えようと頑張った? どうして一歩を踏み出そうと勇気を振り絞った?


 凜は、中学の初めのころから平折の事を知っている。

 交流のきっかけは『南條凛』を周囲に良く見せる為、クラスで孤立している女子に手を差し伸べるという、打算に満ちたパフォーマンスで褒められたものじゃない。


 しかしそれでも交流してみれば、平折は極めて善人な女の子であった。

 誰かを悪く言う事も無く、陥れることもしない。凜の事を利用するわけでもない。

 物静かで目立たないが、いつもたおやかに微笑んでいた。


 そんな子が皆を騒がすほどの美少女に変身したのだ。

 その変化には大いに戸惑っただろうし、彼女を取り巻く周囲が勝手に悪意を持ったり陥れようとしたこともあった。今では異母妹とはいえ現役モデルと一緒に写真集を作っている。

 これらの事が負担に思わないわけが無い。


 にもかかわらず、元の姿に戻らなかったのは何故か?

 昴の隣に、堂々と居られる自分で居たかったに他ならない。


 それは凜にとっても同じだった。


 昴は有瀬直樹や父である南條豊和を前にして、一歩も怯むことなく自分の思いのたけをぶつける……そんな彼の隣に堂々と立ちたい。

 だからこそ自分を良く見て欲しかったし、自信を持ちたいがために、今の仕事を頑張っていたりもする。

 そして凜は自分がそうであるように、平折も凜の気持ちがわかっているものだと思っていた。


『2人とも、お似合いだと思いますよ』


 だからこそ、この台詞だったのだろう。

 今ならどうしてそう言ってしまったかがよくわかる。


 義兄弟だから、恋人になるのを諦めていたわけでもない。

 かといって、親友である凜や義兄である昴と今の関係を壊したかったというわけでもない。

 もしかしたら、そういう思いも少しはあったかもしれない……が、なんてことはない。


 何のため、誰のため、どうしてだかなんてわかり切っている。

 平折は凜が本気でぶつかってきて、自分と向き合う事を余儀なくされた。


 その土壇場で自分を――それまで努力し、頑張ってきた自分を信じ切れなくて……頑張った自分を裏切ったのだ。


 だから余計に腹立たしかった。


(絶対、素直にさせてやるんだから!)


 凜は気炎を上げて決心する。

 じゃないと、自分と平折との友情も、本物・・にならないと思ったからだ。


 正直、平折の人生は壮絶なものがある。

 凜も生まれによる悩みを抱えていたが、平折と比べれば命の危険を感じなかった分、マシだとさえ思うようになったほどだ。


 きっと凜に告げた言葉は、自身の心の自衛だったのかもしれない。

 だけど頑張った自分を否定をして欲しくなかった。


 努力した結果が実らないかもしれない。凜も散々想像したことだ。

 それでも頑張った自分だけは、その努力を認めてあげなくちゃ、頑張った自分が報われない。


 たとえ自分への自信が無くなって、自分を認められないとしても、凜は確かに努力した平折を認めている。誰よりもその頑張りを評価し、影響を受けている。


 ――自分が信じられないのなら、あんたを信じてるあたしを信じろ!


 それを思い知らせてやるのが、親友たる自分の役目だと思った。



 それとも、そんなに自分は頼りないのか?!



 平折だけじゃなく、それは昴にも言えた事だった。


「もっとあたしを頼れってーの」


 少なくとも、男子の中では誰よりも心を通わせ、共に歩んできた自負もあった。

 そんなことを、平折と一緒に帰っていく昴を見ながら呟く。


 強引に投げ飛ばしながら『自分を頼れ』というのも、なんだか可笑しなものだと笑いが零れる。

 それでも……自分の好きな人が自分ではない誰かと隣にいる姿は、胸にチクリと来るものがあった。


「さて、と!」


 パンパンと両手で頬を叩き、気持ちを切り替え気合をいれる。


 凜は今日になって、突然陽乃は平折だけじゃなく、昴も避けているのではと思うようになっていた。

 昴はその理由に気付いていないようだったが、凜は十中八九有瀬直樹絡みだと目星を付けていた。


 一昨日の話し合いの段階では、互いの都合を調整しあう事に終始した、不可侵条約なもので双方に不利益はないはずだ。


 その線からは考えにくいが、明らかに陽乃に対して圧力が掛かっていると思われる。

 どういうものかはわからないが、ともかくそれも陽乃に聞かなければわからないことだろう。


(まったく、とんでもないやつね、あの男は)


 そんな事を考え、沸々とした思いを巡らせていた時、思いもよらない相手から声を掛けられる。


「こんな所に居たのか、凛」

「お父さ――専務……」


 どうやら彼は、珍しく凜を探しているみたいだった。

 私事で声をかけるような性格でないことを知っていた凜は、どういうことだろうと当惑してしまう。


「出張中に有瀬直樹が来たと聞いてな……アレは怜悧だが同時に狡猾な男だ。仕事に何か支障をきたしたりはしていないか?」

「今の所はとくに……だけどお父様! あの男は何なんですか?! どうしてうちはあんな男を雇っているんですか?! どうにかならないんですか?!」


 どうやら凛の父、南條豊和は、自分の居ない間に娘がやりこめられていないかを心配しているようだった。

 しかし当の娘本人は、先程まで怒りを滾らせていた相手の事を考えていたこともあり、その激情を爆発させて父へと迫る。


「ひ、人柄に問題があるのはこちらも把握している。だが彼は非常に能力に優れ、アカツキグループに莫大な利益をもたらしているのだ」

「数字さえ出していれば、多少の事には目を……いやあれは多少の域じゃ――」

「凛、我々は彼の他にも多数の社員を抱えており、経営者として彼らの生活を守る義務がある。確かに目に余るものがあれば色々考えるが、一応彼は今の所法に抵触するようなことはしていない。主観で善悪を判断してはいけない。清濁あわせ呑んでこその経営だ」

「それはっ……そう、だけど……」


 南條豊和はこれほどまでに感情をあらわにする娘に、動揺してしまっていた。

 その動揺を隠すように彼女の憤慨に対し、己が持論でもって押さえつける答弁をしてしまう。


 彼にとって娘の凛のイメージは、品行方正で人当たりも良い――そんな印象だ。

 しかしそれも最近崩れつつあった。

 先日、モデルになっている同級生と一緒に晴れ姿を見せてくれた時もそうだ。


 どういう影響かわからないが、娘の変化に驚きつつも、以前より生き生きとした姿に、親として良い影響を受けているのだなと感じてしまう。

 きっと友人関係が良い影響を与えているのだろう。

 そう思った南條豊和は、娘がどうして憤りを感じているか推測して問いかける。


「……有瀬直樹が、自分の娘に何かやらかしたのか?」

「実は……」


 その問い掛けに対し、凜は父に一昨日のやり取りのことから始まり、今までの事を掻い摘んで説明していく。

 話しているうちに興奮した凜は、半ば愚痴のような内容になっていく。


 それはまるで、年頃の娘の剣幕にたどたどしくなるお父さんという図だった。

 しかもそれが展開されているところは、人目が多いアカツキ本社ビルの廊下である。


 その様子は通りがかる社員スタッフ達に、大いに驚きを提供をするのであった。


「わかった、あの男の事だ、また何か手を出してくるに違いないな。こちらの方でも手を打てるよう対策をしておこう」

「それじゃこれを……一昨日彼との会話を全てスマホで録音したの。その音声データよ」


 凜はUSBを父へと渡し、他にもやらないといけない事があるからと言って去っていく。


 そんな娘の姿を見た南條豊和は、どこか呆けた姿で後ろ姿を眺めていた。


「凛様、変わりましたよね。それと専務の意外な一面にビックリです」

「あ、あぁ……って、キミは?!」


 そして彼は、普段よく凛と接している女性スタッフに揶揄われていた。




◇◇◇




 凜はタワーマンションの廊下で、陽乃の帰りを待っていた。

 実はあの後すぐに彼女の部屋を訪れたのだが、陽乃はまだ帰っていなかった。

 時刻は既に22時半過ぎ、制服姿の女子高生が街を歩いていれば補導されるのは間違いないような時間である。


 年の暮れも近い12月の夜は、コートを羽織っていても震えるほどに寒い。


(昴と平折ちゃんは今頃は家なのかな……どうしてるんだろ……)


 彼女の帰りを待つ凜は、親友と思い人への思いを馳せる。


 義兄弟ということは、同じ家へと帰っているのだろう。

 同じ食卓を囲み、同じ屋根の下で眠る。何かあるたびに顔を合わせ、言葉を交わす。


 もし自分がその立場だったらと思うと、その状況がただただ羨ましかった。


 ……


 もしかしたら唇だけではなく、肌も合わせているかも――そこまで妄想するも、昴の女慣れのしていなさは身をもって体験していたので、必死になってその考えを打ち消した。

 そして苛立ち紛れに冷えた手を擦り合わせながら、未だ帰ってこない陽乃に責任転嫁していく。


「凛、さん……」

「っ! 遅いじゃない、陽乃……さ……ん……?」


 そんな時に陽乃が帰ってきた。

 膨れあがってしまった感情をぶつけようとして陽乃へと振り返った凜は、思わず固まってしまった。


 どう見ても泣きはらした赤い目。

 先ほどの撮影の時より、明らかに憔悴しきっている顔色。

 その原因が誰にあるのかというのは、想像に難くない。


「有瀬直樹、ね……」

「……っ!」


 陽乃はビクリと身体を震わせ、それにこたえるかのように口を噤んだままだ。

 それだけ言い辛い事があるのだろうか?


 しかしこれだけ思い悩むと言う事は、平折に関する事に違いない。

 だからこそ凜は言葉を選んだ。


「陽乃さん、あたしはアカツキ経営者一族の娘よ。嫌らしい言い方だけど金も権力もある。だからきっと力になれると思うの……話してくれないかしら?」

「……………………」


 自分にはそういう力があるんだぞと、それを強調して彼女の目を見据えて話す。

 そして陽乃が逡巡する事しばし。


 躊躇いながらもタブレットを取り出し、そこに映し出された書類ファイルを見せられて――――絶句した。





 ――倉井昴に対する傷害による被害届、ならびにそれを取り下げる事に関する示談の申し入れ。

   さらに壊されてしまった高級腕時計とスーツに対する損害賠償。

   以上、〆て1690万円の請求。




 凜は悟る。


 一昨日のこれら一連の流れは、初めから昴を狙ってハメるためのものだったと。

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