第2話 助けてくれ


 思い返せば、今日のひぃちゃんの様子は少しおかしかった。


 それは妙に避けられていたとかそういう事でなく、主に資材搬入で撮影班のところにお邪魔した時での事だ。


『目線の位置とか、こっちの方とかどうですか?』

『いや、もとはここは姉妹の仲の良さを表わすため見つめ合って……いや、そのぎこちなく目を合わせないというのはありか……』

『……』


 仕事に関して確かなプライドがあるひぃちゃんだったが、今日は明らかに平折を避けようとしていた。

 目を合わそうとしないどころか、視界にも入れようとしない徹底ぶりである。


 そこまで徹底していたからこそ微妙な距離感が生まれ、作品としては何とも言えない緊張感を伝えるものが出来てしまったのは、まったくの皮肉だ。


「くそ、どこにもいない!」


 あれからすぐに追いかけたものの、その姿を捉えることは出来なかった。

 スタジオ各所や事務局を巡ってみても、誰もその所在を知らないという。

 それほどまで、俺とも会いたくないのだろうか?


 ……ひぃちゃんにとって平折は格別な存在だ。


 半分は血が繋がった姉妹であり、その家庭環境もあって、一言で表しきれない思いを抱いている。それでも『おねぇちゃん』と呼び慕っている。


 彼女にとって家族・・という関係は特別だ。


 それだけに、俺が平折の義兄・・だということを、受け入れられないのかもしれない。

 あの時の俺は平折の事で頭がいっぱいで、他の人の気持ちまで気を回すことなく、勢いで話してしまっていた。


「……くっ!」


 自分の迂闊さを呪う。

 もしかしたら、余計事態を拗らす結果を招いたのかもしれない。


 ここまでビル内を探しても見つからないと言う事は、既に外に出ているのだろうか?

 今から走って探せば――


「昴!」

「……凜?」


 逸る気持ちで外へ向かおうとした時、後ろから息を切らせた凜がやってきた。どうやら俺を探していたようだ。


「すまないが、今急い――」

「って! 待ちなさい、って! 言ってる! の! よ!」

「――っぃで?!」


 次の瞬間、手を掴まれたかと思うと、地面にしたたかに背中を打ち付けられていた。


 どういう事かと混乱する俺に、仁王立ちで腰に手を当てた凜が目の前に立ちはだかる。

 如何にも怒っているという様相はしかし、ぷくっと頬を膨らませどこか子供っぽい。


「な、何を……」

「何を、じゃない! あたしの方こそ何してんのって言いたいわよ! まったく……あんたは、一度走り出すと周りが見えなくなるところがあるんだから」

「うぐっ」


 それは心当たりもある全くの正論で、俺はぐぅの音も出ない。


 凜は『はぁ』と、大きなため息と共に、どこか呆れた顔をする。


 よくよく考えれば、平折の事を黙っていたのは凜も一緒だ。

 その事を聞きたくて追いかけてきたのだろうか?

 今まさに凜が言った通り、自分の事ばかりで周囲が見えていなかった。


「その、平折と俺との事だよな……ずっと黙っていてゴメン……」

「……昴?」

「怒って当然だ。でも平折の事を責めないでやってくれ。どこかで言おうと思っ――」

「――あんまり、あたし達・・・・見くびらないでちょうだい!」

「凛……痛っ?!」


 呆れた顔のまま眉を吊り上げ視線を合わせたかと思うと、そのまま強引に頭突きをかましてきた。

 あまりの衝撃で目の前に星が飛び散り、凜にとっても予想外に痛かったのか涙目になっている。

 だけど目線はそのまま真っ直ぐに、どこまでも真剣に俺の目を射抜いてくる。


「それが言い出しにくいことくらいわかるわよ。だけど、たかだか・・・・義兄妹だって黙ってた位でさ、あたしが怒ったり嫌いになると思われてた方が、よっぽど腹立たしいわ」

「り、ん……」


 確かに凜は怒っていた。だけどそれは、自分がそこまで信じてもらえていなかったのかという寂しさの色に滲んでいる。

 そんな目を向けられると胸が締め付けられ、何も言えなくなってしまう。


 だけど――


「実際、ひぃちゃんは……」

「あの子こそ『おねぇちゃんとすぅくんが義兄妹?! てことは私のおにぃちゃん?!』といって喜びそうなほどよ……あたしと平折ちゃんがいざこざ起こしてなかったらね……ごめん……」

「それは……いや、だとしたら、どうしてひぃちゃんは避けて……」

「簡単よ。それ以外の何か知らない理由で昴を避けてるんでしょ」


 それこそ心当たりが無かった。振出しに戻った気分だ。途方に暮れてしまう。


「……」

「……」


 考えても、どうしていいかわからなかった。

 無言のまま凛と見つめ合う形になってしまう。

 そんな手をこまねいている俺の様子を見て、凛はますます不機嫌な顔になっていく。


「そんなにあたしって、頼りない?」

「…………え?」


 しびれを切らしたかのように漏らした言葉は、正直意外で虚を突かれた。思わず間抜けな顔をしてしまったに違いない。

 それを見て凜はますます眉間にしわを寄せる。どこか拗ねている様にも見えた。


「だーかーらー、昴がダメならあたしが聞いてくるって言ってるの! ほら、家だって同じマンションだし、それにある意味同じ立場みたいなもんだし!」

「……いいのか?」

「くどい!」

「しかし……」

「あぁ、もう! 煮え切らないわね!」


 正直、凜の申し出はありがたかった。

 しかし元はと言えば俺の問題だ。デリケートな内容も含んでいる。

 だから凜に甘えるのは躊躇してしまう。


 そして凜は、「ふぅ~」ときな息と共に、自分の想いを吐きだした。


「あたしさ、ちゃんと知っておきたいんだ。昴も、平折ちゃんも、2人の幼馴染で妹である陽乃さんのことも。今度はちゃんと……だから……」

「凛……」


 どこまでも真剣な眼差しだった。

 しかしその中に不安の色も混じっている。


 ――あぁ、そうか。


 なんてことはない、凜とて怖いのだ。だけど彼女は――


「凛、俺を助けてくれ」

「えぇ、任せて!」


 そう言って差し伸ばした俺の手を、凜は笑顔で握り返して引っ張り上げる。

 打てば響くような返しが心地よい。

 ほんの2週間前まではありふれたやり取りだった。だというのに、やけに懐かしく感じた。


「……ははっ」

「……くすっ」


 それがなんだか可笑しくって、お互い笑いが零れる。

 あれ以来俺と凜の間にあったぎこちない空気が霧散していく。


「……ぁ」

「平折?」

「っ!?」


 そんなところを、平折に目撃されてしまった。

 たちまち平折と凜の顔が気難しいモノへと変わっていく。


「私その……邪魔、ですよね……」


 平折はそんな事を言いながら、無理に笑顔を作ろうとするが、どうにも上手くいっていない。


 だというのに視線は、まだ繋がったままの俺と凜の手に釘付けだ。


「行って、昴。陽乃さんの事はあたしが調べるから。今の平折ちゃんにはあなたが必要よ」

「凛……っ!」

「……ぇ」


 そう言って凜は俺の背中を勢いよく押して、平折の傍へと追い遣る。


 突然の事でびっくりした俺は、よろめきながら平折に抱きかかえられる形になってしまう。

 平折は驚いたというよりかは動揺した様子で、目を泳がせている。

 凜はそんな俺達を見ながら、先程まで繋がれていた手をヒラヒラと振っていた。


「色々と早く気付け、馬鹿兄妹」


 その目には一途さと共に、俺達・・に対する確かな信頼があった。

 意志の強さを感じさせる瞳には、何かを一歩踏み出そうとする決意があり――俺の好きな平折の瞳によく似ていた。


「あたしさ、全力を尽くさず負ける・・・のって嫌いなんだ」


 そういって強気な笑顔を見せるところが、平折と違って凜らしいなと思った。




◇◇◇




 ひぃちゃんの事は凜が話を聞いて教えてくれることになった。


 彼女の事だ、きっと何かしらの取っ掛かりを掴んでくれるに違いない。


「……」

「……」


 一方俺達は、すっかり日が暮れ少し遅い住宅街を2人で歩いていた。

 だけど平折は先ほどは何も無かったと言わんばかりの、今朝と同じ様な不自然なまでの笑顔を張り付けている。


 ……


 先ほどの凛の言葉、あれは平折と俺に向けられたものだ。

 ちゃんと向き合え、ということだろうか?


 確かに、色々と有耶無耶にしてきた部分はある。


 平折。俺の義妹。新しく増えた家族・・。血の繋がらない女の子。

 そして、俺にとって――


「――はぁっ、はぁっ……」

「す、昴さん……?」

「いや、何でもない……」

「……そう、ですか」


 気が付けば、先程の仮面を脱ぎ捨て、心配そうに覗く平折の顔があった。


 俺はどうしてか嫌な汗が止まらなくなっており、呼吸も激しく乱れていた。これ以上は思い出すなと頭と心臓が痛みを訴えてくる。


 それは全くの無意識だった。

 胸の底に押さえつけていた何かがせり上がる感じがして、まるで縋るように平折の手を取り、逃げ出すみたいに家へと駆け出す。


「あ、あのっ……」

「……早く帰ろう」


 少し冷たいとはいえ、平折から伝わる手は確かに温かい。

 そのぬくもりに必要以上に安堵してしまった。


 微かに過ぎる過去の思い出。

 ここではないどこか山の中。震えて動かなくなる平折。失われていく体温――


「私のせいで! これ以上晴也さん達に迷惑はっ!」

「弥詠子さん、落ち着いて!」


 何かを思い出そうとした時、その思考は強制的に終了させられた。

 いつの間にかたどり着いていた玄関から、悲鳴にも似た叫び声が聞こえてくる。

 それはよく知る人の声だった。


「……ぇ?」

「親父と弥詠子さん……?」


 思わず平折と顔を見合わせてしまう。


 まるで抑えきれない感情を吐き出すかのような――昨日の弥詠子さんを髣髴とさせる叫び声だった。

 普段物静かな弥詠子さんが、あれほどの声を出すというのは想像しづらい。

 不安に彩られる平折が手を強く握ってくる。


 一体どうしたというのだろうか?

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