第27話 *許せない
ここのところ、芸能広報部の事務局はピリピリした空気に包まれていた。
「これ、発注数は合っているのかしら? 予算的に余裕はあるもの、無駄遣いは避けたいのだけれど」
「あの……そこはおととい凛様が、敢えてその数字で勝負をしようということで……」
「……ごめんなさい、そうだったわね。それと、作品の煽り文句の候補がまだ上がってきていないのだけれど、どうなって――」
「――それもモノが出来上がってからの方がって、先日凜が言ってただろう?」
「昴……そう、だったわね、ごめんなさい……」
昴が間に入って取り成し、スタッフは助かったとばかりに息を漏らす。
これらのピリピリとした空気は、ひとえに凜が原因だった。
凛は平折と仲を拗らせて1週間と少し、平折との事を吹っ切るかのように、ひたすら仕事の打ち込んでいた。
経営者一族の一人娘であり、まだ高校生の女の子が、雑用までも積極的にこなす姿は周囲に多大な影響を与える。
それは皆も同じように働けと言わんばかりの同調圧力となり、不協和音を生み出していた。
また連日の無理を推した凜は、細かいミスを頻発するようになっており、負のスパイラルが形成されていた。
だが凜は、それに気付くことなく――気付かない振りをしながら仕事に没頭しようとする。
「……この資料の詳細は経理に取りに行けば――あ……」
「凛っ!」
立ち上がった凜は、疲労と貧血から立ち眩みを起こす。
昴はすかさずその手を取ったものの、凜は昴に寄りかかる体勢になってしまい、赤面してしまう。
「ごめ、ありが……って、昴っ?!」
「いいから、こっち来い」
「え、でもあたし経理に……」
「資料貰ってくるなら、他の人に頼め」
凜はすぐさま身体を離そうとするも、昴は腕を掴んでそれを許してくれない。
それどころか、昴はしようと思っていた雑用を他のスタッフに割り振り、強引にこの部屋から連れ出そうとする。
困惑する凜をよそに、周囲のスタッフたちはホッとした顔と生暖かい視線を送ってきた。
凛としては困った事に、それが悪い気がしない。
(ちょ、ちょっと昴?! 平折ちゃんとの件がちゃんとしてないと2人になるのは……あ……)
しかし、その時ふと脳裏に過ぎったのは平折で、驚いてしまう。
自分でもどうした事だろうという気持ちを持て余しつつ、連れてこられたのは廊下にある休憩スペースだった。
近くで購入されたホットココアを、「ほらよ」というぶっきら棒な言葉と共に渡される。
「ありがと……あ、お金」
「別にいいよ、厚化粧さん」
「む……」
「……」
呆れたような顔で投げかけられたのは、いつかと同じ言葉だった。
それだけで、随分心配されているのだということがわかる。
備え付けられていた長椅子に並んで腰を掛け、渡されたホットココアに口を付ける。
「……」
「……」
昴との間に会話は無かった。
しかし不思議と嫌な空気ではなく、穏やかですらある。
時折周囲から、笑い声混じりの仕事の経緯のやり取りや相談、連絡が聞こえてくる。
先ほどまで凜が聞いていなかった種類の声だった。
そこでようやく、凜は自分に余裕が無かったことに気付き、頭が冷えていく。
隣の昴は何も言うことなく、ただ隣に寄り添っている。
見守っていてくれているがよくわかり、心に温かいものが広がっていく。
(あぁもう、ずるいなぁ……)
昴はこうしたところによく気が回る。
そう言えば連れ出された時の、昴なら大丈夫だとホッとした顔を思い出す。
いつの間にやら周囲の信頼を勝ち得ていた昴に、はぁ、と嘆息の息が漏れてしまう。
だから、拗ねるかのような言葉が零れてしまった。
「……何も聞かないのね」
「何か聞いて欲しいのか?」
「うん、聞いて欲しいかも」
「聞くだけしか出来ないぞ?」
「あはは、昴らしいや」
しかし相変わらずの反応が返って来るだけ……でもだからこそ、この愚痴にも似た思いを吐き出したくなってしまっていた。
昴ならこの言葉を受け止めてくれる――そんな信頼感があった。
「……平折ちゃんと喧嘩しちゃった」
「みたいだな」
「絶対に許せない事、言われちゃってさ」
「平折もひどい奴だな」
「あたし、どうすればいいかな?」
「凜はどうしたいんだ?」
「んー……わかんない」
「……それは困ったな」
「うん、困ったね……」
ポツリポツリと思いの内を吐き出すも、昴はなんてことない相槌を打つだけだった。
こんな生産性のない会話をしていても、何も問題は解決しない。
だというのに、昴が隣で一緒に話を聞いてくれているだけで、随分と心が軽くなるのを感じる。
だからこそ、心の奥底にあった弱い気持ちを吐き出してしまっていた。
「ね、昴……あたし達、どうなっちゃうのかな……」
凜にとって平折は、初めて出来た親友だ。
だからこそ先日の言葉は許せないし、その一方で仲直りもしたいという気持ちもある。
相反する気持ちがない交ぜになってしまって、どうしていいかわからない。
きっとそれらは、自分と平折が向き合ってこそ解決する事なのだろう。
昴にそんな事を言ってもどうにもならないのは百も承知だった。
だけど――
「……そのうち仲直りできるだろ」
「むっ、なんでそう……それが出来れっ――」
「何でって、俺が仲直りして欲しいからだけどさ」
「――っ!」
凜にとって予想外の言葉が、昴の口から飛び出す。
そこで初めて昴の顔を正面から見た。
(………………あ)
随分と焦燥した顔だった。
それだけ自分達の事で心を痛めていたのだろう。
きっとその言葉は昴の願望に違いない。
そんな顔をさせていたのが自分だと思うと、胸が締め付けられる。
だけど気持ちとは裏腹な言葉が零れてしまう。
「そ、そんなのわかんないわよ」
「きっと出来るさ」
「……どうしてそう思うの?」
「俺は2人のことを信じているから、かな」
「なっ……」
やはりずるい、と凜は思った。
南條凛という役割だけを演じることだけを望まれてきた凜にとって、誰かに信じてもらえるというのは初めての事だった。
動揺からいつの間にか空になった缶を、落としてしまう。
「……昴がそこまで言うなら、何とかしないとって気分になるわね」
「そうか、よかった」
そういって、昴は優し気に笑う。
平折はまだ信じられない、だけど昴が信じる平折は信じられる……馬鹿みたいな理屈だが、そんな気がした。
そんな時だった。
「凜様、ここにいたんですか?! 大変なことが!」
「大変って……なにがあったの?」
顔色を青褪めさせ、慌てた様子のスタッフが駆け寄ってくる。
凜と昴は顔を見合わせ、ひたすら大変だと騒ぎ立てるスタッフと部屋に戻るのであった。
◇◇◇
「あなたは……っ!?」
部屋に戻った凜はまさかの人物の顔に、寝不足の頭も相まって、どういう事かと一瞬思考が停止してしまった。
「おや、お嬢様。あぁ、やっと話がわかる人がきましたね。色々と話をしましょうか?」
「っ、話って、今更……っ!」
そこに居たのはかつてのこの部屋の主、有瀬直樹であった。
彼は凜が使っている机に腰を掛け、自分こそはこの場の主だと言わんばかりの態度をしている。
相手に飲まれてはいけない……凜は深呼吸を一つ、気持ちを落ち着かせる。
「どういう、ことかしら?」
「ははっ、どうもこうも……あぁ、身構えないで。今日は一人の保護者としてやってきただけですよ」
「……保護者?」
「お忘れですか? 私はそこの有瀬陽乃の父親ですよ?」
「――っ!」
ニヤリとした笑みを浮かべた有瀬直樹は、一直線に陽乃の下へと向かい、荒々しく腕を掴む。
「さぁ、帰るぞ陽乃!」
「い、いやっ!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
彼がここに来た瞬間、陽乃の新作に対する事だと思ったのに、いきなり娘を連れて帰るという。
予想外の題目に皆は呆気にとられ、誰も動けないでいてしまう。
しかし凜には、この場を預かる者として、経営者一族としての矜持があった。
「か、彼女は今一緒に仕事をしている一員よ! 契約を交わした書類もあるし、本人の意志もある……勝手な事は許さないわ!」
「しかし陽乃は未成年で私はその父親だ。
「わ、私は家なんてっ!」
「……くっ」
陽乃はそういうものの、これは未成年に対する娘との家族の問題だ――そう言われると、凛としてはこれ以上強くは言えない。
凜は歯噛みする。
明らかにこれは、陽乃をこの件から引き離す為の策略だった。
「……」
どうなるのかと、心配そうに見守る周囲の視線が突き刺さる。
生憎とこの場を収拾できそうな凜の父、南條豊和は出張中だった。
恐らくそれを見越してやってきたのだろう。
いくら凛の能力が優れると言っても、しょせんまだ17歳の女子高生だ。
まだまだこういった状況での駆け引きに関しては、圧倒的に経験が足りていない。
「いやっ、私帰りたく――」
「うるさい、オレの言う事を聞け!」
「ちょっ――」
凜も制止したものの、ドサリと床に倒れ崩れる音がする。
必死の抵抗をする陽乃に業を煮やした有瀬直樹は、強引に床へと引きずり倒した。
あまりの事に皆はまたも絶句し、周囲は沈黙に包まれる。
「まったく手間をかけさせて……さぁ、帰るぞ陽乃」
「……っ?! い、痛い、やめて……っ!」
有瀬直樹の凶行は続く。
倒れた陽乃の髪を、苛立ち紛れに掴んで立ち上がらせる。
親が娘に対する躾けというには、あまりに逸脱した光景に、誰もがその理解に追い付かず硬直してしまう。
それだけでなく、彼は更に要求を続ける。
「あぁ、そうだ。私のもう一人の娘はどこかね? 保護者として、また父親として躾――」
「もういいから黙れ」
「――がっ?!」
誰もが動けなくなっている中、昴は有瀬直樹に向かって、思いっきり頭突きを喰らわせた。
「君はっ……何をするんだ!」
「幼い平折にも、こんなことをしてたのか?」
「何を……君にうちの
「――
それは昴にとって、虎の尾を踏むのと等しい言葉だった。
凜は、父のおかげか怒声には慣れたつもりであった。
しかし、見ているだけで背筋が凍るという、今まで体験したことが無い。
それだけ昴の怒りは、一線を超えたものだった。
「平折はお前の
――っ!!
凜と……そして陽乃も息を飲む。
そして、部屋には骨に響くような打撃音が聞こえた。
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