第26話 *覚悟


 平折の母が再婚したのは、彼女が中学に上がるのと同時だった。


 引っ越しと共に変わった中学では、知人の一人もいない。

 周囲が次々と知人同士や新しい友人と固まっていく中、人付き合いの下手な平折は孤立していく。


 当時の平折は家に居場所が無く、さりとて学校でも1人。


 鬱屈とした状況で、心が蝕まれていくのに気付かぬよう、ただただ時が過ぎるのを耐える日々だった。


『吉田さん、いつも1人だよね? よかったら私たちの班においでよ』

『え、その、私……』


 それはなんてことのない、オリエンテーリングの時だった。

 強引に凜が輪の中に引き入れてくれ、平折の心を救ってくれた。


 もしあの時、凜が平折に手を差し伸べなければ――平折は今も、昴はおろか誰かを信じられないままだったかもしれない。


 平折にとって凜は、彼女が思っている以上に特別な存在だった。


 ……


 だから、今の状況に途方に暮れていた。


 おかげで気分もすぐれず、ここの所ろくに食事も喉を通っていない。


 自分の部屋のベッドで膝を抱えながら、幾度となくメッセージを送ろうとしては取り下げる。

 仲直りのきっかけを作りたくとも、どうしていいか分からない。

 そして事あるたびに凛の泣き顔がチラつき、胸にズキリとした痛みが走った。


「私が、泣かせた……」


 誰かに疎まれ傷付けられる痛みは、嫌というほど知っている。

 だというのに自分が、それも親友に同じ思いをさせてしまったのかと思うと、後悔と罪悪感に押しつぶされそうになってしまう。


「どうしたら……」


 自然と涙が零れてしまっていた。

 泣いて問題が解決しないなんて、当の昔に思い知らされている。


 泣くなんて無駄な事だとわかっていても、それでも溢れるものを堪えることが出来なかった。


「……平折、入っていいか?」

「っ!? は、はぃっ!」


 平折の返事とほぼ同時に、昴は少し強引に部屋へと入ってきた。

 その表情はいつになく険しく、部屋を見渡し逡巡、ベッドに居る平折と向かい合う様に腰を下ろす。


 それは話が長くなるぞという意味でもあり、平折も目線を合わせようと、すかさずベッドから降りて床で向かい合った。


「……」

「……」


 初めは、いつものように無言だった。


 しかし何の用で訪れたかなんて、聞かなくてもわかる。

 それだけ周囲に迷惑を掛けている自覚もあって、申し訳なさからか顔をまともに見られず伏せてしまう。


 おそらく、業を煮やした周囲から、どうにかしろと頼まれてたのだろう。

 よく働きよく気付く昴は、スタッフ達にもよく可愛がられ頼りにされている。


 昴の叱責や嗜めに身構え、それでもどうしていいか分からない平折は、身を固くしてギュッと目をつぶった。


「あのさ、助けて欲しいんだ」

「…………ぇ?」


 だというのに、告げられたのは予想外の言葉だった。


「いや、その、今のはちょっと違くて……なんていうか、平折が仲たがいで苦しんでいるのを見ると俺も苦しいというか……はは、ごめん。上手く説明できない」


 昴本人にとっても意外な言葉だったのか、必死になって言い訳の様な言葉を重ねる。


 驚いた平折は、そこで初めて顔を上げて昴を見る。

 赤面しているものの顔色が良いとは言えず、目は落ち込み隈を作り、今の平折と同じく焦燥しきっている顔だった。


(……ぁ)


 なんてことはない。

 そこまで平折のために胸を痛めつつも、見守っていてくれていたのだ。


 すると、申し訳ないと思いつつも、胸に温かいものが広がっていくのを感じた。

 そして心の奥底から、一刻も早く解決しなければという思いが溢れてくる。


 我ながら現金だと思いつつも、平折は自分でも無自覚に笑みを浮かべた。


(いつだって、昴さんは私を変えてくれるんですね)


 居ずまいを正した平折は、しっかりと昴の目を見て向き直る。

 自分の中でわだかまっていた思いを、整理するかのように吐き出していく。


「私、凜さんを傷付ける事を言ってしまいました」

「あぁ、前も聞いた」

「でも私はその言葉が、それだけ傷付けるなんて思ってもいなくて……そして今もあまりわかっていないところがあって、だから……」

「……そう、なのか」

「謝ろうにも、その事が分からないと何もできなくて、どうしていいかわからないんです……」

「その事って、俺が相談に乗ったりは――」

「――ごめんなさい」

「そ、そうか……」

「お、女の子同士じゃないとダメな話題だから、その、決して昴さんが頼りないっていう意味でなくっ」

「っと、それはすまんかった」


 こればかりは昴に言う訳にはいかなかった。

 凜が直接自分の口で伝えるべき言葉だからだ。


 しかし、凛と拗れているのはその部分である。

 その事について相談出来なければ、結局のところ手詰まりのままだ。


「他に相談できる人はいないのか? 弥詠子さんとかひぃちゃんとか」

「お母さんはちょっと……陽乃さんは……」


 現在、凜とも仲が拗れているが、陽乃ともわだかまりが残ったままである。

 その原因もある種、凛と似ていると言えた。


「……そうですね、陽乃さんに相談してみます」


 きっと、陽乃とのわだかまりの解消が、凜との仲直りの第一歩と思えた。


 とは言うものの、ちゃんと相談にのってくれるか少し不安だ。


 弱気を振り払うため、よし、とばかりに胸の前で手を握る。

 本人は気付いていないが、その仕草は平折が前向きに気分を切り替える時のものだった。

 それを目にした昴は、少し驚いた顔もしつつも、穏やかに頬を緩ませる。


「俺もさ、実は中学の時に康寅と物凄い大喧嘩をしたんだ」

「……ぇ?」


 突然の昴の言葉に、平折は驚いてしまう。

 彼らの仲の良さや信頼で結ばれた絆は、この数か月散々見てきている。

 だからこそ、信じられないという思いと共に、疑問をぶつけた。


「どうやって、でも今は……」

「理由は……なんだったかなぁ、それこそ些細なことだった。でもお互い譲れなくてさ、全力でぶつかった。本音をぶつけ合って、それこそ手もたくさん出た」

「全力で、本音を……」

「だから親友になったのかな。だから平折も――」


 ――恐れずに、全てを曝け出してぶつかってこい。


 言外にそんな思いがこめられていた。



 それを聞いて、平折の心は決まった。


 平折には、凛と陽乃に未だ隠していることがあった。


 そして平折にとって昴と義兄妹だというのは、特別な事柄だった。

 今の平折を形作るよすがであり、枷でもある。


 ――兄妹。


 ひとたびその言葉を口にしてしまうと、自分の中にある何かが決定づけられてしまう……そんな恐れにも似た思いがあった。


 ゆえに今まで周囲に喧伝する事無く口をつぐんでいたのだが、今この状況に置いては、もはやこの関係の説明無く解決は有りえそうもない。


「昴さん……義兄妹のこと、2人に話そうと思います」

「……平折が、そう決めたなら」


 一瞬、昴は驚いたものの、平折の顔を見てすぐに優し気な表情を見せる。

 平折を見つめるその顔は、平折の好きな表情だった。


 だから、驚くほどあっさりと、平折の中で覚悟が決まった。 




◇◇◇




 平折は一度コレ! と決めてしまうと、真っ直ぐにひた進む性分だ。


 翌日学校へと登校した平折は、早速とばかりに陽乃と話をしようと試みる。


「あ、ごめん。ちょっとクラスの用事が……」

「今日は友達と集まるから、お昼行けないかも」

「確認したい事があるから、放課後は先に行ってるね」


 しかし今日に限っては巡り合わせが悪いのか、全く陽乃を捕まえることが出来ない。

 せっかく今日からとやる気を見せていたにもかかわらず、空回りしてしまっている。

 天気の様子も、そんな平折を嘲笑うかのように暗雲が立ち込めていた。


 仕方ないとばかりに、学校での話は無理だと切り替えた平折は、アカツキ本社の打ち合わせや撮影の合間に話しかけようと試みる。


「前回の神社での撮影の事ですけど――」

「今回の衣装の色合わせですが――」

「次回のコンセプトで疑問に思った事が――」


 しかし平折が話そうとても、いつも以上に他のスタッフと引っ切り無しに話を詰めており、その機会が訪れない。


 そして平折は、そういった人の機微には敏感な方だった。


(避けられてますよね……)


 理由はわからなかった。

 多少わだかまりはあったものの、こうまで避けられる思い当たりはない。

 もしかしたら凛の時と同じように、自分の知らぬうちに何かやらかしてしまったのかもしれない。そう思うと、少し怯んでしまう――


 ――昨日までの平折だったら、そうだろう。


 自分の状況に、昴も心を痛め傷付いているのだ。それは彼女にとって到底許容できない。


 それを考えると、周りの目を気にするほどの事だろうか?

 既に自分は一度、他人の目を気にせず服や髪を大胆に変えた事もあったではないか。


 平折は目の前で、先程撮影した画像を前に意見を交わしている場所を見据えた。


「陽乃ちゃんてきにはこの衣装は不服? 赤と黒の組み合わせは鉄板だと思うけれど」

「そうですけど、黒の比重が大きくなると画面が重くなりません? 黒は各所のレースとかで大人っぽさを――」

「――話があります」


 その輪の中に、強引に身体を割って入っていく。

 この手の話題では一切口を出さない平折が、このように自己主張の激しい登場の仕方をすれば、皆の驚きを一身に集めてしまう。


「おねぇちゃん?! な、なにか用かな? それとも何か良い案が――」

「陽乃さんに話があります」

「え、えーと、どんな話かな? 何なら今ここで――」

「時間を取るのでここでは……いいですか?」

「それは、その……」

「大事な話です」


 今まで見たことの無い押しの強い平折に気圧されて、陽乃は1歩2歩と後ずさってしまう。

 周囲も一体どうした事かと、固唾を飲んで見守っている。陽乃に逃げ場はない。


「今はその、仕事の話をしているし……お、終わってからね!」

「そうですか……では屋上で待ってますね」


 そう言って、平折は部屋を出ていった。

 後に残された視線は、全て陽乃へと向かう。

 陽乃は「あはは」と曖昧な笑みを浮かべて誤魔化すが――その顔に、不審の色が滲んでいることは、誰も気付かなかった。




◇◇◇




 12月の寒空の下、平折は陽乃を待ち続けていた。


 はぁ、と冷たくなった手に息を吹きかければ、手袋とマフラーも用意すればよかったと後悔する。

 1時間も経てば、随分と自分の身体が冷えてきてしまっていることを自覚してしまう。


(打ち合わせ、長引いているのでしょうか?)


 平折は陽乃と一緒に仕事をするようになって、彼女はこと撮影となれば妥協を許さないということを、身に染みてわかった。

 何度も厳しい意見を受け、納得のいくものが撮れるまで何度もリテイクもしている。1枚の完成品を撮るのに、1000枚以上撮った時は驚いたものだ。

 この一週間だって、凛とギクシャクした事によってぎこちなくなった表情の指摘を、何度受けたかわからない。


 だから平折は、陽乃が約束事を破るだなんて、露ほどにも思っていない。


 それに待っている間も、何と説明すればいいのかを考えていれば、苦痛でも無かった。


「…………ぁ」


 ポツポツと――今朝からぐずついていた空は、この時になって降り出してきてしまった。


 濡れるが気になるほどの雨でもない。

 残念な事にヘリポートも兼ねる屋上には、雨を遮れそうなものはない。



 ……


 …………



 それからも、平折は待ち続けた。


 雨足はポツポツからシトシトに変わったが、傘が必要なほどでもない。


(行き違いになると、困りますよね)


 呼び出した側として、もし居ないときに来られたら、礼を失すると思っていた。

 それに考え過ぎて熱くなってる頭には、これくらいの雨が丁度よかった。


 普段なら、これくらいの雨など問題なかっただろう。


(まずは、昴さんとの再婚の事を言って、それから……)


 しかしこの1週間ロクに食べていなかった平折は、自分で思っている以上に体力を消耗していた。

 だから、自分を見誤った。


(……あ、れ……?)


 ――ドサリ、と自分が地面に倒れ込む音が、平折がその日の最後に聞いた音だった。


 急に強くなった雨足が、平折の身体を楽器の様に叩き出した。

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