第24話 *ふざけるな!


 凜は自分の言動に、気が動転してしまっていた。


 それは咄嗟のことだった。

 どうして、だなんて今必死になって考えている。


「どうして?」


 一瞬、陽乃の目は想定外とばかりに見開かれたが、すぐさま射貫くような視線が凜を刺す。

 彼女の問いかける返事は、どこか演技じみた無邪気な声色。


 凜にはそれが、明らかに挑発だとわかった。


 その微妙な空気を感じ取ったのか、周囲も2人の動向を息を飲んで見守っている。


(あーもぅ! 何やってんのよ、あたし!)


 凜は自分の迂闊さを呪った。

 陽乃に腕を掻き抱かれ、やれやれと半ば呆れ混じりの顔をしている昴が小憎らしい。

 しかし、そんないつも通りといえる彼の姿を見て、凜は少しだけ冷静さを取り戻しす。


 負けじと見つめ返した陽乃の瞳は、凛の良く知る色があるのに気付く。

 こちらを推し測り何かを見極めようとする――父がよく周囲に対して放つものだった。


(あたしを試すつもり? 上等、でもその手に乗るほど馬鹿じゃないってーの)


 凜はワザと大げさにため息を吐き、周囲の剣呑な空気を払うよう、意識を切り替える。そして今まで散々かぶってきた仮面を被りなおす。


「はぁ……何言ってるの? 復帰を控えたこのデリケートな時期に、妙なスキャンダルを作りたいわけ?」

「んー、正論だ。でもそれとは別に――」

「――この件、どういう経緯で進んでるんだっけ?」

「っ! そうね……」


 元々は有瀬直樹とアカツキグループの間での問題が発端だ。

 それを今の形へと繋いでくれたのは昴と平折のおかげといえる。


 2人の事を出されると弱いのか、陽乃はあっさりと昴から身を離す。


 そして周囲の張りつめていた空気も緩和されていく。


(ま、これでこの場はなんとか……だけど……)


 ホッ、と一息吐きつつも、凛は陽乃の意図を測りかねていた。


 あのような発言が周囲に与える影響が、分からない彼女ではない。

 ましてやこんな時期に、休止理由に男の影がと思われる行動ならなおさらだ。

 それに凜が制止の声を上げた時、意外そうな顔をしたのも気になる。


(目的はあたしじゃない……てことは平折ちゃんと何かあった? それとも……)


 気になった凜は、昴と平折を見る。


「はぁ……ひぃちゃん、悪ふざけの度が過ぎるぞ」

「あら、私フラれちゃった? 幼馴染は負けフラグなのかしら、よよよ……」

「幼馴染と言っても子供のころ以来だし、再会してまだ1か月も経ってないだろう?」

「ふぅん? すぅくんは出会ったばかりの子は・・・・・・・・・・恋愛対象にならない・・・・・・・・・んだ?」

「それは――」


 ――何故、か。


 またしても凜の口から、反射的に言葉が飛び出していた。


「あら、時間はあまり関係ないんじゃない?」

「へぇ……?」

「そ、そりゃあ、あたしも1年の4月や5月に結構告白されたけど、その時の彼らが重ねた時間が薄いから真剣じゃなかったっていうと失礼に当たると思うもの」

「ん~、私も直接会った事無いのにファンになってくれる人の事を考えると、そういう思いって距離や時間は関係ないかも」


 凜はとっさの事に言い訳を重ねた。

 どうしたわけか、この点に関しては陽乃と意見が重なり、2人して笑い合って昴を見る。


 凜と昴が話すようになって、まだ2か月だ。言い換えればまだ出会って2か月とも言える。

 だから、先程の彼の言葉は看過することができない。


 2人に見つめられた昴は、一瞬気圧されて後ずさる――その時だった。


「そうだな……それを言ったらオレもあんま喋った事が無い子や、会った事も無いのに好きな子がいっぱいいるな」

「ぼ、僕は好きな子のイベントに参加するため、どんなに距離が離れてても応援にいってるんだな!」

「うふふ、わたしなんて好きな人は二次元よ? あんた達はこの世に存在するだけ感謝しなさい……うふふ……」

「つまり、フィギュアこそ至高という話ですな?!」


 康寅の妙にまじめくさった言葉を皮切りに、クラスに笑いが広がっていく。

 そこに、先程までの剣呑な空気はどこにもなかった。


 なんとか誤魔化すことも出来たと思う。

 先ほどの凛と陽乃のやりとりも、作品の為の注意として受け取って貰えたはず。


 だけど――


「ふふっ」

「っ!」


 陽乃の見透かしたかのような視線と絡み合い、笑みを溢す。

 何が言いたいのか分かってしまい、凜はそっと赤くなった顔を背ける。


(あー、これはバレたか……)


 有瀬陽乃は、様々な思いが蠢くモデルの世界を渡ってきた女の子だ。

 先のやり取りから、自分の心の内は彼女に伝わってしまったに違いない。そんな確信があった。

 ずらした視線の先には平折が居た。彼女はどこか曖昧な笑みを浮かべて、目を細めていた。




◇◇◇




 凜たち4人は放課後、毎日のようにアカツキ本社ビルに通っていた。


「印刷所の予定は? 正月休みを挟むだろうし、そのあたりどうなっているの?」

「正月明け初っ端を押さえています。うちは年内が勝負ですね。もしくは年末年始返上っすかねー?」

「うげー! オレ、年末は有明で外せない用事があるのに!」

「印刷もいいけど、書店の方は? 急なスケジュールだけど告知とかスペースとか大丈夫?」

「その辺は今、営業の皆様方が『強制ダイエットだーっ!』て悲鳴を上げながら現地を回ってるそうでーす」

「今モデルの2人は衣装打ち合わせ? 彼女達の年始のスケジュールも確認しないと――」


 凜はデスクスタッフたちの中心にいた。


 芸能広報部は元々有瀬直樹の異動が予定されていたのだが、しかし引き継ぎもロクに行われないまま離反めいた行動を取ったので、トップが宙に浮いた状況になってしまっていた。


 その為、経営者一族である凜が陣頭指揮を執るのは、自然の流れといえる。

 元々グループ内でも顔が知られていたのと、実際に彼女の能力が高かったのもあり、異を唱える者は居ない。

 もっとも、今回の件で怒り心頭だった南條豊和の矢面に立ちたくないという打算もある。


 しかし、凛としてはそれだけではない。


(平折ちゃんや陽乃さんにだけ、良い恰好はさせられない)


 それは子供じみた対抗意識だった。


 また今日の凜は、いつも以上に張り切っていた。

 昼間、陽乃に見透かされた気恥ずかしい気持ちを、振り払うためでもある。


「凛様、書類の日付と発注の単位、間違えてますよ?」

「えっ? ……あ、ほんと……ごめんなさい、すぐに直すわ」

「根を詰め過ぎですかね? はい、糖分補給にホットココア」

「ありがと……」

「お礼は倉井君にしてくださいね」

「……へ?」


 そこで凜は、初めて顔を上げた。

 目の前に居たのは、最近よく話しかけてくる20代半ばの女性スタッフ。

 意外な名前を聞いて動揺する凜に、彼女は顔を近付けてくる。


「隈、うまく誤魔化していますね。疲れからそろそろポカするかもって……まぁ気付いたのは彼なんですけどね」

「え……、あっ!」


 受け取ったホットココアも、どうやら昴が気遣っての差し入れの様だった。


 いつだかの呆れた顔で『厚化粧』と言う昴の顔を思い出してしまい、嬉しさと恥ずかしさが交互に襲い掛かる。頭から湯気が出るほど赤面してしまった。


「そ、その昴は今、何をしてるのかしら?」

「連日雑用ですよー? 色んな機材を運ぶ力仕事から、経理と人事に今回の特別手当の要請の説明をしてもらったり、専務への意見陳情を代理で述べてもらったり……」

「本当にそれ、雑用っ?!」

「あ、一昨日付で彼の扱いを短期バイト扱いになりましたけど、大丈夫ですよね?」

「それは良いけれど……何やってんのよ、アイツ……」


 思わず変なため息が漏れてしまった。


 昴は良くも悪くも物怖じしないところがある。その上で突拍子もない行動を起こすことも、何度か体験していた。

 ともあれ、スタッフ達にも受け入れられていることに安堵する。


「ま、あれです。倉井君ちゃんと捕まえておかないとダメですよ?」

「ちょっ、えっ、何を……皆知って?!」

「んー、気付いたのはごく一部。数人ですかね?」

「うぅぅ……」


 そんなに分かりやすいのだろうか?

 カモフラージュに自信があった凛は、頭を抱える。


「まぁでも、空気の読めない人がどう動くか分かりませんよ? 実際『高校生じゃなくて大学生なら手を出すのに』『年下の子を可愛がってみたい』とか言って……ちょ、凛様! 顔怖いっ!」

「詳しい話をいいかしら? 言わなきゃ査定が大変よ?」

「パワハラっ?!」


 宥められた凜は、はぁ、と大きなため息を吐いて机に伏せる。

 彼女はその隙に逃げるのであった。


(陽乃さんにも気付かれたし、昴本人にバレるのも時間の問題かな……)


 いつかは向き合わなきゃ、というのもわかっている。

 そのためにも、やらなければならない事もあった。


 先延ばしにするよりかは、思い立ったら突っ走る――それが南條凛という少女だ。


 スマホを取り出し緊張で震える手で、平折にメッセージを送った。



『話があるので、仕事が終わったら屋上に来てください』




◇◇◇




 アカツキ本社ビルの屋上は、地上100メートルを優に超える。

 出入り口以外は遮蔽物のない平坦な作りになっており、もし上空から見ればヘリポートを表す『H』の文字が見られる事だろう。


(コート持ってきた方が良かったかしら?)


 12月も近く高層ビルの屋上ともなれば、吹きすさぶ風も随分冷たい。

 はぁ、と後悔混じりのため息で、冷たくなった手に息を吹きかける。


 待つこと10分と少し、入口に一度戻ろうかと考えはじめた時、平折がやってきた。


「凜さん、待たせてしまいましたか?」

「ううん、そんなに」


 次の撮影の打ち合わせをしていて髪を弄られたのか、ツーサイドアップにされて緩く波を打っている。

 少し幼げながらも、彼女の魅力を引き出す髪型だ。


(やっぱ、可愛いわね……)


 しかしつい数か月前までの彼女は、黒くてモサかった。ここまで変わったのは誰の為かだなんて、考えるまでも無い。

 そんな事は百も承知で、この気持ちはもう偽ることが出来なかった。 


 だからこそ自分の気持ちを、誰よりも先に平折に聞いて欲しかった。


 それが凜なりのけじめであり、筋を通すことだった。


「昴、の事なんだけど……」

「……はぃ」

「……」

「……」


 早速口火を切るものの、その後の言葉は中々出てこなかった。


 晩秋の風が無言の2人の髪を揺らす。


 勢いのままやってきたので、何と言って良いかまだ言葉が整理できていない。


 自分の想いは横恋慕みたいなものだ。

 そして平折は、凜にとって初めてできた親友だ。


 だからこそ、彼女の心を傷付けるかもしれない言葉を告げることに、今になって躊躇し始めてきてしまった。


 目の前には、こんな場所に呼ばれた理由を何となく察しつつ、それを受け入れようと待っている平折。



(でも、親友だもんね……!)



 それを見て覚悟が決まる。

 ここでやっぱり言わないという、選択肢は吹き飛んだ。


 胸に手をあて息を吸う。

 相手の目をしっかりと見据える。

 まるでそれを待っていたかのように風が止む。


「あたしね、昴の事が好きなんだ」

「はい、知ってました」

「そっか……まずはね、平折ちゃんにその事を言葉にして知っておいて欲しかったんだ」


 ――だって、平折ちゃんも昴のことが好きだから。


 凜にとって、まず始めるべきはこれだった。


 もしかしたら仲が拗れるかもしれない。

 しかし平折の想いを尊重しているからこそ、凜は自分の想いを告げた。





「2人とも、お似合いだと思いますよ」




「……………………え?」





 だからこそ、その言葉は予想外だった。


 パンッ、と乾いた音が夜空に吸い込まれる。


 気付けば平折の頬を引っ叩いていた。

 どこか呆けた顔をする平折を、鬼の形相で睨みつける凜。


 それだけ凜は、平折の言葉を許容することができなかった。


「…………けるな」

「凜、さん……?」


 その悲しみは、到底言葉で表すことが出来そうにない。


 凜にとって平折は、初めてできた友達だった。


 だからこそ平折の言葉は、凜の尊厳をこれ以上なく傷付ける。

 自分だけでなく、昴をも貶められた気さえした。





「ふざっ、けるなーーーーっ!!!!」




「…………………ぁ」



 それは平折が初めて見る凛の涙だった。

 悲しさと裏切りと絶望、それらの感情がない交ぜとなり、心が決壊して溢れ出したそれは、とめどなく溢れ続ける。


「あぁ、あぅぅ……うぁああぁああぁあぁあぁっ……っ!」


 肩を震わせしゃくり上げながら泣く凜を見て、平折はそこで初めて――自分が取り返しのつかない事を言ってしまった事を理解した。

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