第22話 *だからそれは、_と呼べなくて


 文化祭の翌日、陽乃は朝早くからアカツキ本社ビルの芸能広報部を訪れていた。


 アカツキ本社ビルには自社製品の広報などを編集する部署やスタジオもあり、陽乃もよく仕事で訪れていたこともあって、慣れた様子で扉を開ける。


「おはようござ――うわ、何これ?!」


「あーおはよー……」

「うぉっ?! 今何時?! 朝っ?!」

「ええっと……最後何してたんだっけ?」


 そこで陽乃が見たものは、映像美術スタッフ達の死屍累々とした光景だった。

 あるものは器用に椅子を並べてベッドにし、あるものはクッションを器用に抱えて机に伏せっている。もちろん、そのままダイレクトに床に転がっている人も多数だ。


 彼らは陽乃が参戦したミスコンとコスプレ喫茶の編集を、一昨日から不眠不休で作り上げていた。その結果が、この状況である。

 事実、陽乃と平折を中心に、彼女達の魅力を余すことなく伝えた動画があったからこそ、情報戦略緒戦を有利に進められていた。


 情報の早い陽乃は、昨夜のうちに投稿された動画を目にしていたので「ああ、なるほどね」と何があったかを察するのであった。


(うーん、早く来過ぎたかな? 衣装やカメラの人はまだ来てないみたいだし……)


 さてどうしようかと呆けていると、背後から声を掛けられた。


「あら、もう来てたのね」

「おは……ってこれ、入って大丈夫なのか?」

「ぉはようございま……ぇっ?」


 凜を筆頭に、昴と平折が部屋に入ってきた。それだけでなく、後ろにはいくつか見た顔が並んでいる。


「うひぃ、昴! なんか色々と凄いな!」

「うぅ、わたし達、場違いじゃないかな?」

「それこそ、こんな場所に案内する南條さんのコネがどうなってるか気になるんですけど」

「何だか、普段見られないものを見られてお得と思えば?」


 祖堅康寅と、昨日一緒に接客した平折のクラスメイトの女子達だった。


 昴がここに来るのは分かるとして、他の人達はどういうつもりなのだろうか?

 彼女達はあくまで素人だ。何かの仕事を手伝ってもらうにしても、不安が残る。


 陽乃は怪訝な顔をして凜を伺った。


「まずはこれを見てちょうだい」


 凜はそんな陽乃や困惑する彼らを見据え、編集チェックで使う大型モニターで、1~2分程度の編集された動画をいくつか披露した。


 屍の様に転がっているスタッフたちの、渾身の作品だ。

 自分達も関わっているだけに、その関心度は高い。


 次第にそれに魅入る彼らから、「え、これどうしたの?!」「いつの間に?! クオリティ高い!」「あぁん、わたし後ろ姿しか映ってないんだけど!」といった声が聞こえてくる。


 その反応に満足げに頷いた凜は、さらにその動画について書き込まれたSNSや掲示板を紹介していく。


(あぁ、そういうこと)


 どうやら凜は、ある程度事情を知ってしまった彼女達を、サクラ要員として手伝いを頼む腹積もりの様だった。

 わざわざアカツキ本社ビルに連れてきたのは、お前たちも一枚噛んでいるこちら側だぞと、印象付ける演出の為だろう。

 こうして彼女達に特別感で迎えれば、連帯感ややる気も生まれるだけじゃなく、情報を勝手に漏らす事もないだろうし、むしろ他で流そうとする人を牽制してくれるに違いない。


 その巧みな凜の人心掌握術に、陽乃は思わず舌を巻いた。


「お疲れさまで――うわ?!」

「これは……そういや編集作業ずっと修羅場だったな」


 凜が康寅や彼女達に色々説明しているうちに、他のスタッフ達も続々と出勤してきた。


 目当ての人物も出勤してきたのを確認した陽乃は、動画についてあれこれ言われて赤くなっている平折の手を引いた。


「おねぇちゃんはこっち! カメラやスタイリストさんと話を詰めよ?」

「ふぇ、は、はぃっ!」


 カメラ等、聞きなれない単語を耳にして、平折は一層緊張の度合いを高める。

 それでも頑張るぞと、胸の前で拳を握る平折を見て、陽乃の胸に何とも言えない庇護欲の様な気持ちが湧く。


(おねぇちゃんだけど、ここじゃ私の方が先輩だもんね!)


 やる気に満ちた陽乃は、具体的にどういうものを撮っていくかというミーティングが始まるや否や、積極的に発言していく。


 話題の中心は、先程凜が披露したSNSや掲示板での反応だ。

 それらが正しいとは言えないが、無視することも出来ない。


 押さえたいポイントを突き詰めつつ話は進んで行くが、平折は話について行くのに精一杯の様子だった。


「とりあえず実際に何枚か撮ってみて、それからどうするか考えようか」


 そうミーティングを締めくくった発言と共に、それぞれ返事をしながら各自で動き出す。


「え、あの、私は……」

「おねぇちゃん、行こ!」

「ふぇ?!」


 陽乃はまごつく平折の手を取り、スタイリスト達と共に楽屋へ足を向ける。

 そこでスタッフたちの手によってテキパキと、髪のセットや化粧、着付けが行われていく。


 普通に過ごしていれば体験することの無い体験に、平折は終始緊張からか目を閉じていて、それもなんだか微笑ましかった。


 陽乃と平折にあつらえられたのは、振袖だった。


 写真集の発売日が年明けすぐという事もあり、正月ということを意識しての事である。


 平折が着ているのは紅を基調に白梅があしらわれた柄だ。

 その長い髪はアップで纏められ、紅白2つの髪飾りがある。

 陽乃の衣装は紅白逆で、それぞれ一対を意識されたデザインになっていた。


 その衣装は、普段は平折の長い髪に隠れている白い首筋を際立たせ、どちらかと言えば幼げに見える平折に、華が綻ぶ寸前の妖艶な色気を漂わせることに成功しており、10代特有の未完成な美しさを余すことなく引き立てていた。


「おねぇちゃん可愛いっ!」

「ふぇっ?!」


「おっと! こうしちゃいられねぇ!」


 陽乃が驚く平折に抱き付くのと、シャッターが切られる音がしたのは同時だった。


 着なれない恰好の為、身動ぎするのももどかしい状態の平折を、これでもかと弄り堪能する。

 パシャパシャと鳴る機械音や周囲のざわめきをよそに、陽乃は異母姉をこのまま家に持ち帰りたいという衝動と、どう折り合いをつけるのか悩ましい。


 その時だった。



『何をしている?! ここは子供の遊び場じゃないぞ!』



 先ほどいた事務局の方から、ここまではっきりと聞こえる怒声が張り上げられた。

 突然の事に皆はビクリを身体を震わせ、どうしたものかと動きを止める。

 結果、何とも言えない静寂が訪れてしまう。


 怒声の主はこの場に居る者ならだれもが知る、アカツキグループ専務、南條豊和のものだった。


 それだけに、どうした事かと身動き取れなくなってしまう。


 今回の件は、彼のメンツが潰された形になっており、専務も色々と過敏になっている。

 恐らくこうした職場に、学生と分かる若者があまりに多く入っていた為、先の怒声に繋がったと誰しもが予想した。


 そして誰しもが、次の展開を予想できなかった。


「この部屋でいいのか……って、平折にひぃちゃん?! あぁ、すごく似合ってる……というか、ここで合ってたのか。よし、凜もあの子達と同じ様にしてやってくれないか?」

「ちょっ、昴?! あたしはその……っ」

「ぅえっ、あ、はい……っ?!」


 昴が凜の手を引きながら、こちらの部屋にやってきたのだ。

 それだけでなく後ろには、南條豊和の他、どこか困惑した様子の皆の姿があった。


 強引にスタイリストに凜を引き渡した昴は、先の怒声の主に臆する事なく向き直る。


「まぁ、見ていてください」

「あ、あぁ……」


 どこか自信にあふれる様子の昴に、狼狽する南條豊和――それはあり得ない光景だった。

 あのアカツキグループ専務が、男子高校生の手玉に取られているかのような光景だったからだ。


 陽乃は一体何があったのかと、昨日一緒に接客した女子を捕まえ話しかける。


「あれ、一体どうしたの?」

「それがさ、倉井君が『遊びかどうか、ちゃんと見た上で言っているのか? 娘のしている事が信じられないのか? ちゃんと凜を見ろ!』て言って……って、あの人、南條さんのお父さんなの?!」

「あ、あはは……」


 何とも言えない笑いが出てしまった。

 陽乃は昴が時折、突拍子もない行動をすることがあることを知っている。


 子供の頃の転落の時もそうだし、先日の父である 有瀬直樹とのやりとりや、休止に追いやられたときの南條豊和とのやり取りも記憶に新しい。


 そしてそれはいつも、事態や状況だけでなく、誰かの心も動かすことも知っていた。



 ほどなくして、着替えとメイクを終えた凜がやってきた。


「……すご」


 現役モデルの陽乃をして、唸るほどの鮮烈さだった。


 着ているのは、自分たちと同じ振袖。

 雪と桜があしらわれたそれは、どちらかと言えば淡く繊細なイメージがある。

 しかし凜が着ることにより、その相貌と相まって、一つの完成された絵画の様な存在感があった。


「……」

「……」

「……」

「……」


 呆気にとられたのは陽乃だけではなかった。

 誰しもが凜に言葉を失った。

 父親である南條豊和に至っては驚きのあまり口が開きっぱなしになり、誰にも見せたことの無い間抜けな顔を晒すことになっていた。


「平折! ひぃちゃん!」

「ふぇっ?! は、はぃっ!」

「あ、うん! わかった!」


 そんな中、一人冷静を保っていた昴が声を上げる。

 何が言いたいかはすぐわかった。

 3人一緒になることは、昨日散々やってきたことだ。


 不意に陽乃は、ちょっとした思い付きで小物の羽子板を持っていくことを思い付き、2人に渡す。


 どうした事かとおろおろする平折に、どこか悪戯っぽい顔をする陽乃。そして開き直って受けて立つといった表情をする凜。


 陽乃、平折、凛。この3人が集まるだけでも絵になる光景だ。

 だが、ここに羽子板というアイテムを添えることによって、その絵に物語を演出することになり――その瞬間、プロ意識から正気に戻ったカメラマンが、興奮気味にシャッターを切った。


(すぅくんが見せたかったのって、こういうことだよね?)


 撮影もほどほどに、陽乃は凜を父である南條豊和の元へと送り返す。


 向き合う親子の傍で、昴が得意げな顔をしていた。


「今の凛は、凄いでしょう?」

「あぁ、その……私の気付かないうちに……大きくなったな、凛」

「も、もぅ! 何言ってるのよ、昴! それにお父さんも!」


 そこでは先程の怒声からは考えられないほどの、和やかな空気があった。

 誰も凜の『お父さん』という言葉に、何かを言う人はいない。

 陽乃だけでなく、誰もがこの光景を温かく見守り、胸をなでおろす。


 しかし安堵のため息を吐いたものの、陽乃は凜が昴に向ける眼差しに、信頼だけじゃなく特別な思いが籠っていることを再確認するのであった。


(どこからどう見ても、恋する乙女の顔だよね……ま、あれを何度もやられたら、好きになっちゃうのも仕方ないか)


 再会して間もない自分でさえ、いいなと思ってしまう事があるのだ。

 きっと自分より長い時間を過ごしてきた、もう一人の女の子も同じ気持ちなのだろうと、その顔を伺い――目が合う。


「……あの2人、お似合いだと思いませんか?」

「おねぇ、ちゃん……?!」


 陽乃は、一瞬異母姉は何を言ったのか理解できなかった。

 それはまるで、彼女が2人を応援するかのような言葉だった。


「ちょ、何を……えっとその、おねぇちゃんはすぅくんの事が好きなんじゃないの?!」


 慌てふためく陽乃は、言葉を飾ることなく平折の心の本拠を詰問する。


「好きです。好きですよ、大好きです。だけど――」


 それに答える平折は、何か痛みに耐える様な、だけど達観した顔で、その思いを吐き出した。




「――私の好きは凜さんの好きと違って、綺麗じゃないですから」

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