彼女が求めたもの

第20話 *今だけは


 文化祭の二日目は、特に何事もなく過ぎていった。


「終わった……」

「あ~、やっとだ……長かった……」

「もう無理……なにあの人数……」

「あ゛~、あ゛~、声もうガラガラ……」


 文化祭終了を告げるチャイムが鳴ると共に、平折のクラスの全員が全員緊張の糸が切れたのか、ズルズルと地べたにへたり込んでいく。

 何事もなくというのは昨日の出来事に比べてであり、平折のクラスは台風の最中に地震が起こり、更には土砂崩れに見舞われるような程の、多事激務に追われていた。


 それだけ初日のミスコンで平折と凜が話題を集めたというのもあり、更には噂の渦中である陽乃も店員として手伝ったというのもあった。


 経験したことの無い激務を体験した平折は、周囲のクラスメイトと同じく、張りつめていた緊張が切れてペタリと床にへたり込んで息を吐く。


(けど、楽しかったです)


 それは偽らざる平折の気持ちだった。

 クラスの皆も同じ気持ちなのか、その顔は疲労を濃く映しながらも充足感に満ちていた。

 確かに大変だったけれど、皆と一緒になってやり遂げた一体感や達成感は、筆舌に尽くしがたいものがある。


「お疲れ様だね、おねぇちゃん」


 皆がへたり込んでいる中、陽乃は足取り軽く近づいてくる。

 こういったことに慣れているのか、彼女はまだまだ余裕があるようだった。

 もっともこの殺人的な状況を作り出した張本人は彼女であり、それを考えると平折は話しかけてくる異母妹に苦笑してしまう。


「昨日も今日も目立ってたね~、妹として鼻が高いよ。けどそれは、ちょお~っと刺激的かな~?」

「……ぇ?」


 にやにやとした笑みを浮かべた陽乃は、揶揄うかのように平折の頬をつつき、視線を衣装の下の方に視線を移す。

 そこで初めて平折は、床に座り込んだ時にミニスカート状の袴が捲り上がって、角度的には下着が見えてしまうんじゃという状況になっていることに気付いた。赤面しつつも、慌てて裾をなおす。


「気を付けたほうがいいよ~、接客中も何度か怪しい時があったし」

「そうね、確かに普段からガードが甘い時があるわね」

「ふぇえっ?!」


 陽乃に注意を受けていると、凛もやってきて同意する。


 平折はその辺りの女子としてのたしなみというか、他人の目に対する警戒が無頓着だった。

 つい最近まで、穿いたスカートも膝が隠れる程の制服のものしかない。こうした丈の短いモノに対する慣れは薄い。


 その自覚のある平折は、目の前の親友と異母妹を観察する。2人とも誰もが認める美少女だ。

 その美貌は自然と衆目を集め、常に見られているという意識があるのだろうか?

 髪を掻き揚げるといったさりげない仕草も、どこか見惚れてしまう魅力があった。


(2人とも凄いですよね)


 卑屈になるわけではないが、今まで積み重ねてきたものの違いに、平折はため息を吐いてしまう。


「文化祭が終わって一息ついてるところ悪いけど、明日から早速本社の方に来てもらえるかしら? スケジュール的にかなり時間がおしてるんだよね」

「オッケ~、今回はおねぇちゃんも一緒だからね。どういうコンセプトでいくのかわからないけど、2人だからこそ、ってのを撮りたいね~」

「は、はぃっ!」


 写真集の発売予定日までおよそ2か月。実際には印刷する事を考えれば一か月半もないだろう。

 それを考えると、明日からまた当分の間気が抜けないなと、平折は気合を入れる。


 クラスメイトの皆が言葉もなく座り込んでいるこの教室では、平折達の会話は、彼らの耳に良く聞こえた。

 そして彼らにとって、このまま黙っているには、到底いられない内容でもあった。


「え、ちょっとどういう事?!」

「吉田さん、有瀬陽乃と一緒に写真集出すの?!」

「確かに姉妹みたいだけど……えぇっ?!」

「それっていつ?! 買ったらサインもらえるっ?!」


 またも取り囲んだのは、コスプレ姿の女子達だった。

 どうやら彼女達は、この2日間一緒だった事もあり、色々と遠慮が無くなっていたりする。


「あはは、そういうことなんだ。発売したらみんなよろしくね!」

「はぅぅ……」


 昨日と違い、これくらいの人数ならば陽乃にとってあしらうのは難しい事じゃなかった。

 さらりと先の発言を肯定していき、ついでとばかりにアピールする。

 慣れていない平折は、哀れかなどこにその体力が残っていたのか彼女達に揉みくちゃにされる。


 その様子を凜は微笑ましく眺めており、どこか上手く事が運んだなと満足気な笑みを浮かべていた。


「ほら、おねぇちゃんはね、皆の前で輝けるんだ……」


 周囲に質問攻めにされる中、陽乃の呟いた言葉を聞くものはいなかった。




◇◇◇




 その後、本来ならば打ち上げがあるはずだったが、先程の写真集の騒ぎで全員がなけなしの体力を使い果たしてしまい、そのまま今日は解散という流れになった。

 帰路に着いた平折は、家の最寄り駅の改札で義兄を待っていた。


『こっちは余った食材で打ち上げだ。そっちはどうだ?』


 平折の手に持つスマホには、そんなメッセージは書かれていた。

 差出人は義兄である昴。

 どうやら向こうは打ち上げがあるらしい。しかもどれだけ時間がかかるかわからない。


 それでも平折は待つことにした。


 もう片方の手にには、衣装とウィッグが入った紙袋。


 平折の胸には、まだ文化祭の熱が残っていた。

 陽乃を中心に様々な事件もあったが、終わってしまえば良い思い出でもあった。

 途中何度か挫けそうになったものの、その全てを義兄が覆してくれた。


 それに――


(家に帰ったら終わり、ですよね……)


 今日この高揚した気持ちも、彼のお陰と言えた。

 だから祭りの最後は、義兄と一緒がよかった。


 電車が着く毎に大勢の人が吐き出される。

 その度に待ち人が来ないかと探しながら、平折はなんだか可笑しな気分になった。


あの時・・・と逆ですね)


 平折はかつての事を思い出す。


 それは数年前、母が再婚して昴と出会った当初の時の事。

 当時の平折はまだ昴と2人といると、実父に植え付けられたトラウマから敬遠してしまっていた。


 幸か不幸か、平折の母は娘のトラウマについて知らなかった。

 もし知っていれば、再婚もしなかったかもしれない。


 あの頃の自分と比べると、あまりにもの変わりように可笑しくなってしまったのだ。


 そんな笑いを零していると、集団の最後尾に待ち人を発見してしまう。


「……平折?」

「……ぁ。随分早かったんですね」

「康寅に、打ち上げが無くて不完全燃焼だって聞いてそれで……」

「そう、ですか」


 義兄との遭遇は、思った以上に早かった。

 彼はここで平折は待っているとは思っていなかったのか、吃驚とした表情をしている。それは平折も同じだ。動けなくなるのは同じだった。


 だけど、先に心構えが出来ていた平折の方が、動き出すのは先だった。


「一緒に、帰りましょう!」

「……あ、あぁ」


 差し伸べた平折の手を――親友の凛や異母妹の陽乃を助けようとして差し出した義兄の姿を思いながら差し伸べた手を――昴は掴んだ。


 なんだか気恥ずかしくて、引っ張るように家を目指す平折は、自分が引っ張るという今までに無い構図に笑いが零れてしまう。


(ほんと、変化って何かが切っ掛けで起こるんですね)


 変化――この数か月で平折は、嫌でもそれを肌で感じていた。

 きっとこれから目まぐるしく状況がかわっていくのだろう……そんな確信があった。


 今こうして手を繋いでいる義兄も、1年後隣には自分以外の誰かの女の子がいるのだろうか?


 そんな事を考えると、胸が締め付けられてしまう。

 だから口から飛び出した言葉は、それを振り払おうとする言葉だった。


「満月が、東の空に出ていますね」

「そうだな」

「あれはきっと遥か昔から、遠い未来まで同じ様に輝いているんでしょうね」

「あぁ、そう……って、平折?」

「なんでも、ないですよ……」


 それは、この瞬間を永遠にしたいという、平折の心から零れた言葉でもあった。

 平折が手を引き、家が近付くにつれ、変わらないことは無いという思いが彼女の心を占める。


(だけど、今だけは……)


 そう思い、平折は足の歩みを緩めるのであった。

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