第14話 代替案


 遠目だったとはいえ一度見たことがあったので、彼がすぐに凜の父親だという事が分かった。

 なるほど、こうして間近で見てみると凜の面影を強く感じられる。


 そんな事を、烈火のごとく怒り狂う彼を見ながら、現実逃避の様に考えていた。


「凛、これはどうなっているんだ?! お前が持って来た計画だろう、広報の方とは連絡が取れていなかったのか?!」

「申し訳ございません、父さ――専務。実娘である有瀬陽乃にさえ知らされていなかったようで……」

「取引先とはどうなってる?! アカツキの名を冠している以上、信用が下がる事は全体の不利益になるぞ!」

「それに関しては、有瀬本部長が先んじて手を回しており……」

「業績の推移はどう予測されてる?!」

「短期的にはマイナスですが、中期的にはすぐに損失分も補填もされプラスになります」

「つまり有瀬にいっぱい食わされたってわけか!」

「……申し訳ございません」


 凜の父親は、尋常じゃない怒り様だった。

 その剣幕に、平折やひぃちゃんも縮こみあがって小さくなっている。


 事務局にいたスタッフたちは顔を青褪めさせ、気の弱い人は震えたり腰を抜かしている人さえもいた。

 それもそうだろう、相手は巨大企業の経営者一族の役員だ。

 ここで変に目をつけられると、今後組織内での様々な事に差し障るに違いない。


 そして、彼の怒りは全て、凜が一身に受け止めるという構図になっていた。


 いや、正確には事務局担当者の代わりに答えることによって、意識が自分にいくようコントロールしていると言ったほうがいい。


 ――専務の怒りヘイトを集める防波堤タンク


 何故か、そんな事を思ってしまった。


 ……きっと、凛の父親は経営者として激昂するのは当然の事なのかもしれない。


 そして凜も、役員とスタッフとの間に確執を残さないためにも、正しい選択をしているに違いない。


 だけど、どうしても凜だけがその怒りを一身に受けるということを、感情的に納得できなかった。


「ちょっといいですか……これはむしろ、有瀬陽乃を変革させるチャンスじゃないですか?」

「っ! 誰だ、キミは?!」

「昴っ?!」


 自分でもどうかしていると思う。だけど気付けば、そんな事を口走っていた。


 凜は素っ頓狂な声を上げ、平折やひぃちゃん、スタッフたちは息をのむ。

 凜の父親は、やっとこの場に居た異質な制服姿の学生に気が付いたのか、訝し気な視線を向けてきた。


「凜と同じ学校の学生か? 部外者は引っ込んでいなさ――」

「――この休止中に、有瀬陽乃には歌、ダンス、演技などのレッスンに専念させ、方向性をシフトさせるんです」

「……続きを言ってみろ」


 先ほどまでは、燃え盛らんばかりの怒りの炎を宿していた凛の父親の瞳は一転、どこまでも冷徹で射貫くかのような視線を投げかけてきた。

 そこには俺を学生だからと侮るような色は微塵もなく、俺の真意を見極めようとする海千山千の経営者としても瞳以外の何ものでもない。

 この時初めて、この人がとても恐ろしい人だと感じてしまい、ゾクリと背筋に悪寒が走った。


 ――試されている。


 そんな事を思った。

 すると途端に、先程までの激昂も実は演技だったんじゃないかとさえ思えてくる。そういうポーズを見せなければならないという立場ゆえに。


「っ!」

「……ぁ」


 その時、背中に隠れるようにしていた平折が、背中の制服をぎゅっと掴んできた。

 振り返れば心配そうな目で俺を見上げている。当然の反応だろう。


 俺は平折に大丈夫だと笑おうとして――何かが吹っ切れた。


 ――そうだ、俺は凜の父が言うように部外者だ。


 部外者だからこそ、ここで何かを言って不興を買ったとしても、スタッフの方みたいに何かあるわけではない。

 そう思うと気が楽になり、言いたいことを言ってやろうという気になった。


「モデルだけではこの先、出来る仕事も限られます。彼女の今後の展望を考え、この機にスキルを身に付けて女優やアイドルへの転身準備にあてれば、今回の休止にも言い訳が立ちます」

「……面白い考えだ。キミの言う通り転身が成功すれば、彼女にとっても起死回生の一手になるだろう」

「なら是非、一考を――」

「くだらん……それに、それが成功するという保証が一体どこにある?」

「っ、それは……」


 凜の父親の言う通りだった。

 そもそも、凜が言われっぱなしなのが嫌だったというのと、ゲームでロールが不足した時複数のジョブを育てていれば色々捗るなという浅知恵から出た意見だ。

 女優やアイドルともなれば、多くの人達が目指し、そして一握りの人しか脚光を浴びることが出来ない狭き門だ。


 ……ゲームの様にホイホイと変えられたり成れたりするようなものじゃない。


 さらに、凛の父親による厳しい言葉が続く。


「初めこそは物珍しさで仕事が取れるかもしれん。だが、実力が伴わなければすぐに干されてしまう。しかもレッスンに掛かる費用は一体誰が負担する? それだけの投資に対するメリットは? 何の勝算も無くそんな事をするとなれば、それはただのギャンブルだ」

「仰る通り、です……」

「成程、この機会に打って出るという方向性は悪くない。だがそれを為すには、彼女にとって決め手となるべきもの、勝算に値する武器とも言えるモノが無いと話にならん」

「ぐっ……」


 俺は言葉に詰まってしまった。


 ――ここまでか。


 周囲からも落胆にも似た、ため息が聞こえてくる。

 凜の父親も、何の言葉も出てこない俺から、興味の色を失っていった。


 そんな時だった。


「わ、私も有瀬直樹の娘でっつっ!」

「平折っ?!」

「……ほぅ?」


 突如平折が、そんな爆弾発言をかました。

 本人も勇気を振り絞っての緊張下だったのか、台詞もかみかみだ。


 だが、効果はてきめんだった。


 一斉にスタッフたちは興味をもって騒めきだし、凛とひぃちゃんは目を丸くしつつも頭を抱える。

 凜の父親も、この予想だにしなかった発言に対し、口角を上げている。


 俺も一体どうした事かと平折に目をやれば、視線を集めてしまっておっかなびっくりではあるが、強い意志を感じさせる瞳で見つめ返された。


異母妹ひぃちゃんの力になりたい』


 そんな覚悟が込められた瞳だった。

 舌を噛んだのかちょっと涙目だったが、それも平折らしいと感じてしまう。


 ――良いんだな?


 確認のつもりで頷けば、平折もしっかりと頷き返し――俺も平折を巻き込む覚悟を決めた。


「彼女は吉田平折、有瀬陽乃とは腹違いの姉妹になります。まずは見てもらいたいものが……ひぃちゃん!」

「う、うん! ちょっと待って!」


 俺の意図を察したひぃちゃんが、すぐさまいつもの変装用のカツラを取り出し平折の隣へと並ぶ。


「うそっ?!」

「そっくり……」

「え、ホントに姉妹っ?!」


「……ほぅ?」


 そのあまりにも鏡写しな光景に、動揺にも似た空気がこの場を支配する。

 有瀬陽乃はモデルだ。それも若者中心に絶大な人気を誇る2人といないはずの人材だ。


 それが目の前に2人。


 凜の父親も、それがどういう事かを理解し、息をのむ。


「復帰の際、彼女達を起爆剤とするのはどうでしょう? 休止の件は異母姉妹との再会と銘打てば、今回の不義理に関してもある程度納得していただけるはず。少なくとも今回の休止の件の損失を穴埋めくらいはできるのでは?」

「なるほど、それがキミの切り札か」


 それは微妙に違うのだが、敢えてここは頷くことにした。


 これは平折が覚悟を決めてくれたからこそ使えた手だ。

 しかし、有瀬直樹に対しては十分なカードにもなる筈。


「……1つ、聞きたい」

「何ですか?」

「どうしてキミはここまでする?」

「有瀬直樹が気に入らないから一泡吹かせたいだけ――あっ」


 その言葉はスラリと口から飛び出した。

 無意識だったのかもしれない。

 しかし、あまりに幼稚で子供っぽい理由に、これは流石にないなと青褪めてしまう。


「えっと、いや、その……」

「かかっ! かはははははははっ!」


 だが慌てふためく俺をよそに、凛の父親は呵々大笑と口角泡を飛ばす。


 心底可笑しいという笑い声だ。俺も流石にいたたまれなくなる。


「バカバカしい、ガキな理由だ――だが、悪くない。おい、名前は?」

「……倉井、昴」

「覚えておこう。後は任せる、計画書を提出するように!」


 そう言って彼は、来た時とは正反対の上機嫌で去っていった。


 嵐が去ったとばかりに、事務局は安堵の空気が広がる。

 それと共に、色々と好奇心が強そうなスタッフ達が平折とひぃちゃんの所へと群がっていく。具体的な話をするのだろうか?


 勢いで色々言ってしまったが、これから頑張るのは俺ではなく平折達だ。

 その事を考えると、少し胸が痛む。何か俺に出来る事があれば全力で手伝おう。


「うそ、でしょ……」


 そんな俺を、凛は何か信じられないといった目で見ている。

 俺はバツが悪くなり、ふいと目を逸らした。

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