第8話 *何やってんだか
南條凛は、この場に来る少し前の出来事を思い返す。
「……平折ちゃん?」
「ふぇ?! り、りりりりりり凜さん?!」
そこはモールにある雑貨店だった。
南條凛の登場が意外だったのか、吉田平折は慌てふためき、商品と彼女の間を行ったり来たりと視線を彷徨わせる。
その姿は愛らしい小動物じみており、思わず頬も緩んでしまう。
しかしながら、南條凛には強く疑問に残るものもあった。
吉田平折は今頃、裁縫道具の買い出しグループに同行しているはずだったからだ。
「マグカップ? かなり渋いデザイン……男性向け?」
「あ、あぁぁあぁのこれはお礼というか、誕生日も近いので……」
「お礼……あ、もしかして昴? って、誕生日近いの?!」
「来週、です……」
「へ、へぇ」
思い人の誕生日を親友の口から告げられたことにより、南條凛は動揺してしまった。
幸いなのは親友もあたふたしているので、彼女の心境に気付いていないところか。
そもそも誕生日を聞いていないのだから知らなくて当然だと思う一方で、当たり前のようにそれを知っている親友に、彼との距離や重ねた年月の違いを感じてしまう。
だから、そんな心境でこの口から飛び出した言葉は、少しだけ意地悪めいた思いで言ったつもりだった。
「じゃあさ、あたしもついでに誕生日プレゼント選ぼっかな」
「わ! きっと昴さんも喜ぶと思います!」
「そ、そう?」
「はいっ!」
だけど吉田平折は、それは名案とばかりに笑顔で手を叩いて勧めてきた。
少しくらいやきもちでも妬くかな、などと心の隅で思っていた南條凛は、逆に自分の胸を痛めてしまう。
(かなわないなぁ)
自分の事よりも、プレゼントをもらった本人の気持ちを思って言葉を紡ぐ親友と比べ、如何に自分の器が小さいか思い知らされてしまう。
そこには明らかに幼馴染以上の――まるで家族に接するかのような強い思いがあった。
そんな親友だからこそ、自分の想い人とくっついても祝福できる――そんな思いすら抱いてしまう。
親友と意見を交わしプレゼントを選んだ南條凛は、どこか温かくなる気持ちでその場を後にした。
――だからこそ、南條凛は目の前の有瀬陽乃の行動を看過できない。
「あたし、同棲するために部屋を紹介したつもりはないんだけど?」
「えっとその、これは違くて……」
親友の異母妹、有瀬陽乃。
モデルを務めていることからも、その美貌は折り紙付きだ。
女子ならば憧れ、男子ならば魅了されてしまうのは、想像に難くない。
事実、同性ながらも南條凛の目にも魅力的に映っていた。
そんな有瀬陽乃が甘えるかのように、想い人である倉井昴に寄り添い、あろうことか甘えるかのように頭を撫でて貰っていたのだ。
真実がどうであれ、南條凛の胸中が穏やかならざるのは無理はない。
救いがあるとすれば、倉井昴が彼女を見る目は情欲に塗れたものでなく、親戚の子や妹に向けるものであったということだろうか?
――こんなの、嫉妬かやきもちだ。
南條凛は、正しく自分の感情を理解していた。
親と袂を分かち、一人暮らしをする彼女の心境もよくわかる。
きっと、その不安な心を彼はそっと寄り添ってあげたのだろう。
そんな事情なんて、よく知る彼を思えばすぐにわかる。
「ふぅん? やっぱ仕事柄、男に媚び慣れているのかしらね?」
「や、これはその、違っ……」
「おい待て、誤解してるぞ、凛」
子供じみているのは百も承知、だけど自分の口から飛び出す言葉を抑制することは出来なかった。
(あー、あたし最悪)
南條凛は内心自嘲しながらも、一歩踏み込む。
有瀬陽乃はビクリと身体を震わせ、倉井昴に縋るかのように身を寄せる。
それが余計に、今の南條凛の気を逆撫でた。
沸き立つ激情は彼女だけでなく、倉井昴にも向けられる。
「何さ、昴もデレデレして……そうよね、相手は売れっ子モデルの有瀬陽乃だもんね、そりゃ鼻の下が伸びても仕方がないよね!」
八つ当たりだった。
自分もあんな風に触れられたい、甘えたい。
だけど、南條凛はどうしても自分がそうなる姿が想像できなかった――かつて誘惑紛いの事をして、求められなかったという事実が、心の奥底の枷になっていた。
「……っ!」
踵を返し、その場を駆け出す。
悔しさ、羨ましさ、そして自分の中の浅ましさ――それらがごた混ぜになった感情は、涙となって溢れそうになったからだ。
その顔だけは、倉井昴に見られるわけにはいかなかった。
「凛っ!」
「待って!」
倉井昴はこの状況で、南條凛を追いかけないという選択肢を取る人間ではない。
明らかに様子のおかしかった南條凛を、彼にとって同志とも言える友人を放っておけるわけがない。
しかし有瀬陽乃は、今にも駆け出そうとする彼の手を掴んでこの場に留めた。
「……どうして、追いかけるの?」
「どうしてって、そんなの理由とか――」
「お願い、ちゃんと教えて」
「ひぃちゃん……?」
戸惑い、疑問、焦燥――有瀬陽乃の瞳は、複雑な色を放っていた。
おそらく本人も咄嗟の行動で、よくわかっていないのかもしれない。
しかしその顔は、今にも泣きだしそうな迷子にも見え――倉井昴の足を留めさせるのには十分だった。
◇◇◇
南條凛は、一目散に自分の部屋へと向かった。
「……何やってんだか」
玄関の扉を背に、潤んだ瞳で独り言ちる。
先ほど、彼女は完全に自分の感情をコントロール出来ていなかった。
少し落ち着きを取り戻した今、自分勝手に叫び散らして逃げてきた自分を思うと、どうしようもなく羞恥心が湧いてくる。
(昴にも、あの子にも謝らないと……)
かと思えば今度は一転、胸が後悔で塗りつぶされていく。
南條凛の心の中は目まぐるしく感情が入れ替わり、「ああ、もうっ!」と髪が乱れるのも厭わず、頭を掻きむしった。
(恋をすれば人は変わる、か)
それにしても変わり過ぎだ、と自分でも思う。
しかしそれもどこか、悪くないと思ってしまう自分は、そうとうに彼にヤラれてしまっているなと感じてしまった。
「はぁ……」
大きなため息を吐いた南條凛は、鞄の中にあるキーケースを手のひらで弄ぶ。
それは先程、親友と一緒に購入した誕生日プレゼントだった。
(こんなあたしのプレゼントとか、受け取ってくれるかな……?)
これを買った時、親友に意地悪するつもりで言った台詞。
先ほどの、みっともなくがなり立てて逃げ出した自分の姿。
――嫌な女。
南條凛は自分の器の小ささを自覚し、自己嫌悪に陥る。
そんな時だった。
「……凜?」
「っ?!」
コンコン、と玄関の扉がノックされる音と共に、倉井昴の声が聞こえてきた。
心の準備が何も出来ていなかった南條凛は、大いに取り乱し、ついでとばかりに手足を扉に打ち付け――それが彼に、自分はここに居るという事を知らせてしまった。
「そこにいるのか?」
「……何よ、わるい?」
追いかけてきてくれた事が嬉しいくせに、口から飛び出した言葉はそんなものだった。
自分でも厄介な性格だと思う。
「……何で来たの?」
「そんなの聞かれてもわかんねぇよ。ただ、あんな状態の凛を放っておけるわけないだろう?」
現金なもので、南條凛は自分の頬が緩んでいくのを感じた。
それと同時に合わせる顔が無くて、あたふたとしてしまってもいた。
我ながら厄介な性格だな、と呆れてしまう。
「物好き」
「うるせー」
そんな、いつものような軽口が心地よい。
言葉も弾んでいるのが自分でもわかる。
「……なんか、大丈夫そうだな」
「待って!」
「凛?」
「……あ」
だから、この会話を終わらせようとする言葉を聞いて、思わず扉を開けてしまった。
自分でも咄嗟の行動で、意味があったわけでない。
南條凛は考え無しの行動の自分を恨みつつ、そして想い人の顔を見れたことにひどく喜んでしまった。
「あの、これ……」
「キーケース?」
「ほら、こないだのお礼!」
「あ、あぁ、そうか……ありがと」
「っ!」
どうしていいか分からない南條凛は、誕生日用に買ったキーケースを倉井昴に押し付ける。
戸惑いつつも受け取った彼は、驚きから歓びの表情に変え、笑顔で彼女に微笑む。
南條凛は自分に向けられたそれを見て、先程まであった嫉妬をはじめとするネガティブな感情が上書きされていくのを感じた。
自分の頬が急速に熱を帯びていくのを感じ、これは直視できないと、慌てて扉を閉める。
「凛っ?!」
「それはそれの、あの、ありがとう?!」
「それ、俺の台詞――」
「~~~~っ!!」
そして、そのまま自分の部屋に向かって、枕に自分の顔を埋める。
(……何やってんだか)
もう一度、先程と同じ言葉を枕に向かって独り言ちた。
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