第7話 *彼女と姉との違う所


 有瀬陽乃は、殺風景な飾り気の無い部屋で電話をしていた。


「――というわけでお願いします、凛さん」

『はぁ……わかったわ。けど本気?』

「えぇ、もう決めたんです。それに仕事面でもその方がそちらに都合がいいでしょう?」

『そうだけど……あなた、変わったわね』

「おねえちゃんに負けてられませんから」

『……そうね』


 ふぅ、と大きなため息を吐いて、通話を切る。

 その顔は、何かを吹っ切ったかのように清々しい。


 彼女の手元には大き目のトランク鞄。

 有瀬陽乃が、撮影で遠出するときによく使っているものだ。

 長く愛用しているのか、あちこちに細かい傷が目立つ。


「よしっ!」


 と、自分を鼓舞するかの様に声を出して立ち上がり、慣れた手つきでそれを持つ。

 そしていつもと違い、期待に喪失と言った、複雑な感情が入り混じった瞳で周囲を見渡した。


 ……


 有瀬陽乃の目に映るのは、あまりに殺風景な彼女の部屋だった。


 電気スタンド以外何もない机に、飾り気の無いベッド。

 調度品は辞書がいくつか入っただけの本棚に、姿見用の鏡が1つ。


 これが今、一世を風靡しているモデル有瀬陽乃の部屋だと言われれば、誰しもが耳を疑うに違いない。


(空っぽ……まるで私みたい)


 有瀬陽乃は自嘲気味に呟く。

 彼女は幼少期の事件以来、あまりものに固執しない性格になっていた。


 ただ親や周囲に与えられるもの、言われたことを為すだけの日々。

 そこに自身の意志は介在せず、中身のない人生だな、なんて思ったりもする。

 しかし、そんな彼女にも1つだけ固執しているものがあった。


(おねえちゃん……)


 異母姉の吉田平折だ。


 かつて一人っ子だった有瀬陽乃は、兄弟姉妹に憧れた。

 たびたび両親の話題に上る事のある異母姉に興味を持つのは無理からぬ事だったが……その話題の持つ意味が分からず、悲劇が起こる。

 その時から有瀬陽乃は、自分から誰かに何かを求めると、その人を不幸にしてしまうんじゃないかという強迫観念に捕われることになってしまった。


 しかし――


『私は今、幸せですよ。だから陽乃さん、自分を責めちゃメッ、です』


 思い出すは異母姉の言葉、そして彼女の慈しむ瞳と抱擁……それに救われた。

 もはや有瀬陽乃には、吉田平折に対する贖罪の気持ちなど微塵もない。あるのは異母姉に対する敬慕の念と幸せを願う心だけ。


 それを自覚したら。その後の行動は早かった。

 南條凛の伝手を頼り、転校と引っ越しも決めた。

 彼女の中に、自分の家や両親に対する未練もない。


 いつものようにトランク鞄を持ち、家を出て――そして一度だけ振り返る。


(……鳥籠みたい)


 有瀬陽乃は、都心部に建つ1000坪近い日本家屋の実家を、そう評した。




◇◇◇




 有瀬陽乃はよく目立つ。その美貌は言うまでもなく、雑誌などメディアに露出していることもあり、世間の知名度も高い。 だから街を出歩くときは、変装するのが常だった。


「吉田さんじゃん!」

「あれー、こっちの方にきたの?」

「ふぇっ?!」


 だけど、まさか異母姉と間違われ、手を引かれることになるとは思いもよらなかった。

 彼女達は何かの話を振ってくるのだが、何のことだがわからない。

 それが余計に混乱に拍車をかけ、誤解を解くという選択肢が遠のいてしまっている。


 その一方で、異母姉が学校で愛されているという事が実感でき、どこか誇らしい気持ちと――少しだけ劣等感混じりの寂しい気持ちになった。


(ま、ろくに学校に通ってなかったしね……)


 だが、このままではいけないと思うのも事実だった。

 異母姉と勘違いされたままというのはいただけない。

 何か自分が粗相をして、異母姉に迷惑をかけるのを恐れてしまった。


 しかしこうした事に免疫が無い有瀬陽乃は、何か言おうとしても、何を言って良いのかわからない。焦りばかりが募り、心ばかりが空回る。


 そんな負の連鎖に捕われた時だった。


『ほらよく見ろ。姉より少しだけ背が高いし、目元だってぽやんとした姉と比べてこっちはキリっとしているだろう? それに――姉よりも胸がでかい』


 助け船を出してくれたのは、倉井昴だった。


(もぅ! 他にもやり様があるでしょ!)


 その方法は、お世辞にもスマートとは言い辛い。

 彼女たちに揉みくちゃにされ、カツラと制服を整えながら独り言ちる。

 彼に対する不満から、ジト目になったりもした。


 しかしながら自分を特別扱いせず、普通の女の子として接してくれたことは、何とも言えない嬉しさがあった。


「あ、そうだ! せっかくだからちょっと付き合ってよ!」


 気付けばそんな事を口走り、新居の下見へと強引に同行させようと腕を引く。

 やれやれといった表情で着いてきてくれる彼に、甘えてしまう。


 連れて行くのは不動産屋だ。


「有瀬陽乃様……でございますよね?」

「失礼、騒がれるのが嫌なものでして」

「あぁ、なるほど……事情は上の方から聞いております。早速ですが、お車の方までよろしいでしょうか?」

「お願いします」


 最初店に入って名前を名乗るも、店員に怪訝な顔をされてしまう。

 だから有瀬陽乃は、カツラを取り変装を解いた。


 メディアなどでよく見かける彼女の姿を認めた店員――おそらく身なりから、支店長もしくは本部から派遣された男性――に連れられ、車へと乗り込む。物件まではこれで移動するようだ。


 有瀬陽乃は、いつにない落ち着きのなさを自覚していた。

 家出同然に飛び出し、一人暮らしを始めるのだ。

 16歳の少女にとって、胸を高鳴らすなという方が難しい。


 しかし希望と共に一抹の不安もあるのも事実。

 だけど、隣に居る倉井昴が居ることにより、不安が薄れるのを感じていた。


 有瀬陽乃にとって、倉井昴は特別な存在だ。


 幼少期に身を呈して庇ってくれたこともあり、頼れる存在だと認識している。

 異母姉との関係が好転したのも、彼の存在があってこそだ。

 きっと異母姉があのように幸せそうな顔を出来るのも、彼が傍にいたからだろう。


「……ん」

「なに、緊張してるの?」

「悪いかよ、こういうの初めてなんだ」

「へぇ……ふぅん?」

「……なんだよ」

「別にー?」


 もっともその本人は今、この突然の状況で動揺しているのか、落ち着かない様子で周囲を見渡していた。

 有瀬陽乃は彼の慌てふためく顔を見て、少しだけ、先程粗雑に扱われたことに対する溜飲を下げ――そして、自分の中でのイメージと違う一面を見て、可愛いな、なんて思ったりした。


 そんなやり取りをしている間に、10分程車を走らせ目的地に着く。


「着きました、ここです」

「へぇ、タワーマンション」

「……ここは」


 不動産屋に案内されたのは、街の郊外にある高級タワーマンションだった。

 地方都市のシンボルマークになりかねないほどの威容を誇り、エントランスからして有瀬陽乃を驚かす高級感が溢れる。


(セキュリティーもしっかりしてそうだし、マスコミや両親の事も大丈夫そうね)


 さすがアカツキグループのお嬢様が紹介するだけのことはある、と有瀬陽乃は舌を捲く。

 その隣の倉井昴は、鳩が豆鉄砲を喰らったかのような表情だ。きっと、こういう場所に慣れていないのだろう、と彼女は思った。


「2602号室、こちらになります」

「わぁ!」


 案内された部屋に入った有瀬陽乃は、ウキウキした気分で各部屋を回る。

 部屋の間取りは2LDK、一人暮らしをするには過剰な広さであり、倉井昴は呆れたような顔を浮かべている。

 しかし有瀬陽乃はその様子には気付かず、もしここで異母姉と暮らせばどうなるのだろうかと、想像を膨らませていた。


(こっちの部屋は私が使って、あっちの部屋はおねぇちゃん……あ、リビングはこれからの季節を考えてコタツを置きたいから、ローソファーとかいいかなー?)


 考えるだけで、心が躍り浮かれるものだった。

 有瀬陽乃と吉田平折は、腹違いとは言え姉妹だ。

 ならば、一緒に暮らすのもある意味自然な事なんじゃ……とさえ思えてきてしまう。


 だからそれは、浮かれた彼女の口から何となしに零れた言葉だった。


「この部屋ならおねぇちゃんと住んでも十分な広さだよね。おねぇちゃんに声を掛けたら何て言うかなぁ?」

「おいおい、平折の他の家族はどうするんだよ」

「……え?」

「……ひぃちゃん?」


 その倉井昴の言葉で、有瀬陽乃は固まってしまった。


 異母姉の家族――少し考えればわかることだ。

 吉田平折は一人で暮らしているわけじゃない。少なくとも産みの母親がいるはずだ。


 有瀬陽乃は、異母姉に向けられた笑顔を思い出す。


 演技の世界芸能界に身を置く彼女は、あれが演技でなされたモノとは思えない。

 きっと自分と違い、異母姉は家族と上手くいっているのだろう――そう考えると、如何ともしがたい感情が胸で渦巻く。


「そう、だよね……おねぇちゃんにも家族がいるんだよね……」

「……知らないのか?」


 倉井昴はどうしたものかと眉間にしわを寄せて、難しい思案顔を作る。

 それに対して有瀬陽乃は、気を遣わせてしまったと思い、何でもないよと笑顔を向ける。


 しかし彼女本人も上手く笑えていないという自覚がある程、それはぎこちないものだった。


「あの、部屋はお気に召しませんでしたでしょうか?」

「いえ、そんなことないです! 凄く良いお部屋です!」

「……ひぃちゃん」


 有瀬陽乃の纏う空気の変わりようは、不動産屋の顔を青褪めさせ、そんな事をうかがわせるほどのものだった。

 彼にとっては有瀬陽乃は有名人だというだけでなく、創業者一族の息もかかっているというのだから、当然の反応だろう。


 倉井昴は彼女の家庭事情を知っていることもあって、バツの悪い顔を作っていた。


 あまりよくない空気が流れていた。

 不動産屋だけでなく、倉井昴や有瀬陽乃の顔にもそれが現れている。


 そして、不動産屋が自分の進退について思いを巡らせ始める時の事だった。


「ま、なんだ。ここに越して来たら、俺も平折も凜も、遊びに来るのを楽しみにしているよ」

「すぅくん……? わぷっ!」

「そんな顔をするな。可愛い顔が台無しだし、平折が見たら心配するぞ」

「ん……うんっ!」


 倉井昴は、有瀬陽乃の頭をぽんぽんと撫でた。

 有瀬陽乃は初めての事に戸惑いつつも、心の中に生まれる温かいモノに翻弄されて身を委ねる。

 それは、己が溶けていくかのような感覚だった。


 有瀬陽乃は、モデルと言う職に就いていることから分かるように、異性にモテる。

 思春期の彼女にとって、自分が性的な目で見られ、情欲のはけ口にされているという視線にも敏感だ。

 事実、撮影の現場などでは、共演者などからそういう誘いを受けることも少なくない。


 しかし、倉井昴の手から感じるものには、自分を女としてどうこうしようとする意志は感じられなかった。


 それはまるで妹に、自分の肉親に対するかの様なものだった。

 あやすかのように撫でる手に、身も心も委ねたくなってしまう心地よさだ。


 少しだけ……そのどこか慣れた様な手つきに不満を感じてしまう。


(聞いたことないけど、すぅくん妹いるのかな? それならいいけど、他の女の子で慣れてるのは嫌だ――って、何考えてんだ、私?!)


 とはいうものの、見る見るうちに有瀬陽乃の機嫌が直り、紅潮していくのも確かだった。

 それこそ、不動産屋が安堵のため息を吐く位顕著なものだ。


「そうだ、すぅくんがこの部屋に住めばいいよ! 同棲だね! 部屋も空いてるし、お金に関しては私が養うし……ね?」

「お、おい、なにを――」


 有瀬陽乃にとっては、照れ隠しから来る軽口だった。

 もっとも、彼女自身がそれもいいかなぁと思っていたのも否定できない。


 とはいうものの、根本的には異母姉に対して甘えるかのように、まるで兄に甘えるかのようにじゃれていった言葉ではあったのだ。


「何を……どういう、ことかしら?」

「っ?!」

「りん……?」


 しかしそれを、看過できないと見つめる瞳があった。


 不動産屋が、ひぃ! と声を上げる。


 ――南條凛が、そこに居た。

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