第3話 引っ掛かり


「それじゃあね」

「おう、またなー!」

「んじゃ……」

「さよなら、です……」


 駅前の改札で挨拶を交わす。


 別れ際、南條凛が心配そうな顔をこちらに向けてきた。

 俺はそれに対し、神妙な顔で頷き返す。


 康寅は頑張れよっと、能天気な顔でひらひらと手を振る。


 こういう時に何かを言いそうな坂口健太は、部活でこの場にいなかった。


「……」

「……」


 帰りの電車の中も、今朝と同様無言だった。

 いつもと同じと言えば、その通りではある。

 今までと違うのは、俺が平折に対する意識が変わってしまった事か。


 隣に視線を移せば、ほんのり甘い香りと共に、手入れの行き届いた髪が見える。

 以前は癖っ毛でひっつめていたが、日々の努力でつやつやだ。

 何度か撫でたが、触るだけでも心地良い。


 ふとその感触を思い出し、思わず自分の手が動いてしまった。


「……ぁ」


 その拍子に手が平折の身体に当たり、恥ずかしい様な困った様な笑顔で俺を見上げてきた。


「っ! 悪ぃ……」


 思わずドキリと胸が跳ねてしまい、それを誤魔化すかのようにそっぽ向いてしまった。


 何をやってんだかと自分でも思う。

 南條凛にも言われたばかりだろう?

 平折に触れた手で、がりがりと頭を掻く。


 ――何か言いたいけど、何と言っていいかわからない。


 そんなもどかしい状態は、電車を降りてからも続いていた。


「……」

「……」


 夕暮れの住宅街に、アスファルトを蹴る足音だけが響いている。


 気まずい空気の中、平折は俺の少し後ろを歩いていた。

 考え事をしていたので、歩調を合わせる事を意識出来ていなかった。

 顔を合わせ辛かったというのもある。


 ……正直、平折が戸惑っているのはわかっていた。


 それは俺にとって心苦しいものでもある。


 どうにもできない自分を不甲斐なく思い、無意識のうちに足が速くなる――その時だった。


「あ、あのっ!」

「っ! 平折……」


 くいっと制服の袖を引っ張られ、足を止める。

 振り返ればその顔は、不安に怯えたものだった。


「私は……邪魔、ですか……?」

「――――っ!!」


 頭を思いっきり、ガツンと殴られたような衝撃が走った。

 平折の目に薄っすらと涙が浮かんでいる。


 俺は自分の事ばかりで、平折の事はとんと考えが及んでいなかったと思い知らされた。


 少し考えればわかる事だ。


 ――お前なんかいらない。


 そんな事を言われ、トラウマを抱える原因となった実父と相対した。

 その後、俺までよそよそしい態度を取られたらどう思うか……まったく自分の都合ばかり考えて、ホント俺は馬鹿だ。


「――ぃよしっ!」

「っ?!」


 パァンッ! と周囲に大きな音が響き渡る。

 びりびりと叩いた自分の頬が痛い。

 突然の俺の行動に、平折はびっくりしている。


 伝えなければ。

 だがどうやって?


 頭の中では様々な考えが過ぎるが、適切な言葉は思い浮かばない。

 だからといって、平折に伝えないという選択肢はない。


「平折、俺の顔を見てくれ」

「……ぇ?」


 ぎゅっと平折の手を握った。

 顔はどこまでも真っ赤な自覚がある。

 心臓は全力疾走もかくやと早鐘を打ち、平折を握る手も汗ばみ熱くなっていた。


「その、だな……平折の傍にいるとこうなってしまうんだ」

「ふぇ?!」

「あ、いや、その……ええっと……だから緊張してしまうというか……あぁ、もぅっ!」

「ぁぅ……」


 自分でも何を言ってるんだと思う。

 耳まで熱くなっているのがわかる。

 恥ずかしい台詞を言っていっぱいいっぱいだった。


 それらを誤魔化すかのように早口で捲くし立て、平折に渡しそびれていたバレッタを押し付けた。


「これ、は……?」

「あー、ゲームの時とかにさ、使ったらいいと思って……平折……?」


 バレッタを受け取った平折の反応は、予想外だった。

 大きく目を見開いたまま、ぽろぽろと大粒の涙が頬を伝う。


 のぼせるかのように熱くなっていた頭が、急速に冷えていくのを感じる。


 平折は実父に、命すら危ぶむ虐待を受けていた。

 もしかしたらバレッタは、そのトラウマを刺激するものなんじゃ……その考えに至り、自分の迂闊さに肝を冷やすが――


「宝物に、しますね」

「え……」


 涙を零したまま、ほころぶ様な笑顔を見せて、バレッタを抱きしめた。

 それは平折の言葉通り、大事な宝物を扱う様に包み込み、目を細める。


 氷の様に冷えてしまった胸が一転、じんわりと温かいものが広がっていくのがわかる。


 ――まったく、平折にはいつも振り回されっぱなしだ。


 だけど、それも悪くないなと思ってしまっていた。


「あれ……ごめ、んなさい……私、その……こういうの初めてで……」

「……気にするなよ」


 感極まった平折と連れ立って家に帰る。

 俺が前で、その少し後ろに平折。

 先ほどまでと同じ立ち位置。


 だけど、互いの人差し指と中指の2本だけは繋がれていた。


 これが今の俺の、精一杯だった。




◇◇◇




「ただいま」

「ただぃ――」

「平折っ!」

「――お母さん?!」


 家に帰るや否や、平折は待ち構えていた弥詠子さんに抱きしめられた。


 突然の事に、平折はびっくりしたまま為すがままにされている。


「平折、大丈夫ですか?! 何かされませんでしたか?!」

「あの、その、大丈夫……」


 弥詠子さんは尋常じゃない様子だった。

 ここまで取り乱すという事は、父親から有瀬直樹の話を聞いて、飛んで戻ってきたのだろう。

 普段の姿からは考えられない様子に、先日父親が話を聞かれまいと外に出た意味が分かった。


 そして、弥詠子さんをここまで取り乱すことをした有瀬直樹に、ふつふつと沈静化していた怒りが込み上げてくる。


 しかし自分の母親の取り乱しっぷりを見て、どうしていいかわからないと戸惑う平折と目が合い――冷静さを取り戻す。頑張れと口を動かしてその場を去った。

 平折は先程と違った意味の涙を浮かべていた。


 ――弥詠子さんのためにも、ここは母娘だけにしたほうが良いだろう。


 そう思いながら自分の部屋に戻る。一応父親にも、平折と弥詠子さんの状態を簡潔に纏めて、メッセージを送っておいた。


 母娘の会話にはしばらく時間がかかるだろう、その邪魔をするのも――と思い、PCを立ち上げる。

 ログインすると、意外な組み合わせが目の前で会話をしている真っ最中だった。


「――で、上司と物凄い喧嘩になってね。自分の立場とかを考えると転職しようかなと……って、クライス君?!」

「転職先は、同業他社です? それとも別業種……あ、こんばんわ、です」

「アルフィさんにサンク……ははっ、なんか物凄い会話してるね。何なら席を外すけど?」


 思わずたじろぎそんな事を言ってしまう程、俺には縁遠く、そしてデリケートな内容だった。


「はは、別に構わないよ。ちょっとした仕事の愚痴というか転職に悩んでて……それにサンク君はかなり現実的で大人びたアドバイスをくれるから助かってるよ」

「えっへん、です」

「ははっ……」


 アルフィさんは軽いノリで言っているが、転職なんて人生を左右する一大事だ。おいそれと何かを言うのも躊躇してしまう。


 だけど、先程メッセージを送った単身赴任している父親の事を思い出し――妙に色々と引っ掛かってしまうのだった。

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