第4話 *有瀬陽乃の決心


「お前、何を言っているのかわかっているのか?!」

「陽乃さん、今はお仕事が大事な時期なのですよ?」

「……っ」


 有瀬陽乃は父親に叩かれた頬を押さえながら、白々しい気持ちで両親を見上げる。

 激高し熱くなっている父に、聞き分けの無いものを見る目の母。

 そのどちらもが、彼女を娘ではなく、有瀬家の道具然とした眼差しだった。


『仕事をしばらく休みたい、もしくは減らしたい』


 有瀬陽乃が両親に訴えた結果が、この仕打ちである。


 元々彼女はこの仕事が好きなわけではない。

 そもそも両親に強要されて始めたことである。

 何故続けてきたかと言えば、身も蓋も無い事を言えばお金の為だった。


 それも異母姉である吉田平折に再会した時、贖罪するための手段として欲したものだ。


 先日ある程度のわだかまりが解決したこともあり、彼女の中で稼ぐという行為に目標を見出せなくなっていた。

 何より今は、失った時間を埋めるためにも、異母姉の近くに行きたいという思いが強い。


 有瀬陽乃は、目の前でがなり立てる両親と有瀬家について思いを巡らす。




――――




 有瀬家は古くからの資産家であり、家柄も戦前まで遡れば旧男爵家と申し分ない。

 もっとも商売で財を成して叙された、いわゆる新華族ではあるが。


 その有瀬家であるが、戦後一気に零落した。

 僅かに残った財も、バブルの崩壊と共に風前の灯火となる。

 しかし落ちぶれたとはいえ、有瀬家にはかなりのコネクションを保持していた。


 それらを駆使し、有瀬家を立て直したのが――有瀬直樹である。


 彼はそういったものを利用する手腕が、非常に優れていた。

 それらを使い、アカツキグループでの地位も築いていく。


 しかし有瀬直樹は、先日の一件で非常に微妙な立場に追いやられていた。

 今後の事を考えると、娘である有瀬陽乃というカードをフルに活用したいところ。


 有瀬陽乃の母は、名家の跡取りとしてのプライドが高い人である。

 教養も高く美貌も兼ね備えていたが、生憎と兄弟と才覚には恵まれなかった。

 父との結婚は、有瀬家を建て直させる為の契約結婚である。


 父との間に愛情が無いからかそれとも契約なのかはわからないが、有瀬陽乃は一人娘だった。


 母が一人娘に求めるのは、有瀬家の繁栄のため少しでも条件の良い婿を取り、子を産むことである。

 モデル業はその箔付けの為の手段と考えており、軌道に乗った今は、少しでも有瀬陽乃というブランドを高めたい。




――――





 両親どちらもが、有瀬陽乃を自分の駒の様に考え扱っており、彼女もそれを十分に理解していた。

 そしてそれに対し、特に思う所はなかった――今までは。


『私は今、幸せですよ。だから陽乃さん、自分を責めちゃメッ、です』


 先日、異母姉に抱きしめられたことを思い出す。


 とても暖かかった。

 彼女を慈しむものだった。

 見返りや打算など、そういったものは込められていなかった。


 責められることを覚悟していたというのに、逆に慰められるばかりか、心を救われてしまったのだ。

 同時に、異母姉に対する強い傾慕の念を抱くことを自覚した、


 その事を思い出し、どうしても目前の両親と比べてしまう。


(おねぇちゃん……)


 心の中で異母姉を思えば、たちまち涙は溢れてきた。


「……っ!」

「陽乃っ!」

「陽乃さんっ!」


 その涙を見られまいと、自分の部屋へと駆け出す。

 自分を引き留める両親の声が聞こえるが、それはまるで何かの商品名を呼ぶようにしか感じ取られなかった。


 ドサリ、とベッドに倒れ込む。

 スマホを取っては『吉田平折』のアドレスを呼び出し、そして固まる。


 異母姉の声を聞きたかった。

 会って抱きしめてもらいたかった。

 だけど、何と言って声を掛ければ良いか分からず、呆然としてしまう。


 両親から愛情を注がれなかった少女は、その求め方も分からないのだった。


 有瀬陽乃は自分の中に生まれた、渇きにも似た感情をどうして良いか持て余す。

 鬱々としたものが募っていき、このままではいけないと、ゲームで気晴らしでもしようと考える。


 ログインすると、目の前でせっせとポーションを調合するゴスロリドレスの男の娘がいた。


『こんばんわ、サンク君……だったよね?』

『あ……アルフィさん、こんばんわ、です』


 彼(?)はサンク。最近始めたプレイヤーで、古くから交流のあるフレンドのリア友でもあるらしい。


『今日は一人なのかい?』

『2人はまだ、下校中と思うです』

『はは、そうか』


 それは彼らが同じ学校に通う友人だと、強く意識する言葉だった。

 少し羨ましく思ってしまう。


(もしすぅくんやおねぇちゃんと同じ学校だったら、どんな感じなのかな?)


 有瀬陽乃は芸能活動を始めた中学より、所謂普通の学校に通っていない。

 ドラマやアニメでのみ見たことがある世界で、想像はすれど実感に乏しいものだった。


『……学校はどんな感じだい?』


 思わずそんな事を聞いた。

 突然の話題に、サンクは面食らった様子を見せる。


 しばしの間、沈黙が流れる。


 アルフィこと有瀬陽乃も、自分でなんとも曖昧な事を聞いたなと後悔に似たものを感じた。


『凄く、楽しくて……凄く、辛いこともあって……困ったところ、です……』

『……そっか』


 返事は意外な言葉だった。

 そして真に迫ったものがあった。

 有瀬陽乃にとって彼らは学生仲良しグループの象徴であり、憧れすら抱いている。


(誰だって、悩みはあるよね……)


 有瀬陽乃は、彼らはいつも笑い合って、キラキラ輝いた生活を送っているものだとばかり思っていた。

 サンクの言葉からは、自分の悩みと比べても、遜色ないものを抱いていると感じる。


『あのさ、ちょっと聞いてくれるかい?』


 気付けば、仕事の愚痴という事で色々と相談を持ち掛けてしまっていた。

 サンクは学生とは思えないほど、こうした仕事に関する知識や造詣が深く、的確なアドバイスすらもたらしてくれる。


 そして、有瀬陽乃は自分を恥じる。


 思えば、既にモデル業をしているということもあり、驕りのようなものがあった。

 しかしサンクと話しているうちに、決して自分は特別じゃないということを実感していく。


『アルフィさんにサンク……ははっ、なんか物凄い会話してるね。何なら席を外すけど?』


 話に熱中しているうちに、いつの間にかクライスもログインしていた。

 どうせならばと、彼も巻き込み愚痴を聞いてもらっていく。


 かなり自分の気持ちに明け透けな思いを吐き出させてもらった。

 これはきっとゲームだから……相手の顔が見えないからこそ、言えたことなのだろう。


 いつしか、心のしこりがかなり解消された事を感じていた。


 そんな時だった。


『なぁアルフィさん。転職したいのってさ、上司との軋轢だけなのか?』


「……え?」


 思わずリアルで変な声が漏れた。


『どうしてそう思ったんだい?』


 何故か彼に、見透かされているように思ってしまい、動揺が広がっていく。

 そしてクライスは、何かを自分の中で確認するかのように言葉を紡いでいく。


『親父が単身赴任しているんだけど……それを決めた切っ掛けが、妹に関する問題なんだ。凄く悩んだみたいなんだけど、離ればなれになっても大事なものを守るために――あー、上手く言えない。もしそういう人がいるなら、その人の事も含めて悩めばいいんじゃないかなって』

『あ……』


 クライスの言葉が、有瀬陽乃の胸を締めつけていく。

 きっと彼の父親は、悩んだ末に重要な決断を下したのだろう。

 その家族の在り方に、強い憧れさえ抱いてしまう。


(家族――)


 口の中でその言葉をつぶやいた時、脳裏に浮かんだのは異母姉、吉田平折だけだった。

 彼女こそが、自分にとって唯一の家族なのだと、強く求めてしまう。


 いったい自分と彼女、どうしたいのか、何ができるのか――有瀬陽乃は思考の海へと没頭していく。


『クライスさん、妹いた、です?』

『あーいや、その……言ってなかったか? あ、ちょっ、顔怖いよって、スマホ鬼の様に鳴らさないで?!』

『ははっ』


 画面の中で、仲良さそうにじゃれ合うゲームフレンドを横目に、再度スマホを取り出した。

 呼び出すアドレスは南條凛。


 ――異母姉の為には、手段は選んでいられない。


 有瀬陽乃は、ある種の覚悟を決めたのだった。

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