4章 変わりゆく日々

第1話 ぎこちない


 あれから数日経った。


『あれ、サンクはいないのか』

『んー、今日も何か用事があるんだって』


 南條凛は、有瀬直樹の件で忙しそうにしているみたいだった。ゲームにもここの所顔を出していない。

 何だが事後処理を彼女一人に押し付けている様で、少し心苦しくもある。

 当然ながら、カラオケセロリに行くという件は宙に浮いている。


「どうしたものかな……」


 思わずそんな言葉を独り言ちた。

 モニターの前でしかめっ面を作った俺は、ため息を吐きながら頭を掻く。


 南條凛の事も気になるが、平折と2人きりというのも問題だった。


 先日以来、俺はすっかり平折を異性として意識してしまっている。


『あのですね、実はお願いがありまして……』


 画面の中のフィーリアさんゲームの平折がそんな事を言った。

 いったい何を言われるのかドキリとしてしまった俺は、意図的に見ない様にしていたベッドの方に視線を向ける。


 おずおずと照れ笑いをする平折と目が合った。

 そこが自分の指定席と言わんばかりの平折は、いつものようにぺったん女の子座り。いつぞや一緒に似合うと選んだ服に身を包み、短いスカートからは下着が見えてはいけないと俺の枕を抱えているが、横側のガードは相変わらず甘い。


「……っ!」


 ――勘弁してくれ。


 即座に平折から目を逸らし、チャットで返事を打ち込んでいく。


『お願いって何だ?』

『ペットのカワウソが欲しいの!』

『ゲーム内で連れて歩けるだけの、あれ?』

『そう、それ!』


 ペットというのはステータス的には何の補正もされない、連れて歩くだけの文字通りのペットである。

 要はコレクター向けのコンテンツだ。


『わかった、掘りにいこうか』

『やた!』


 画面の中のフィーリアさんが飛び跳ねる。

 そしてベッドに陣取る平折も、ポンと嬉しそうに手を叩き、にこにこ笑顔を向けてきた。


 ――その顔は卑怯だろ。


 1人の異性として見た時、平折は小動物的な愛らしさがある女の子だ。

 俺を信頼しているかのような瞳を向けて、ベッドの上でそんな事をされると、悶々とした気持ちが沸き上がってきてしまいそうになる。


 先日、実の父と相対した時の平折を思い出す。

 あの時の彼女と今を見比べると、ここでだけは穏やかで自然体で――


 ――俺は、その信頼を裏切りたくはない。


「浮島のボスだったよなっ」

「はぃ」


 だというのに、チャットではなく直に平折の声を聴きたくて、背中越しにそんな事を話しかける。

 自分でも早口で、挙動不審だなという自覚はある。


 もっと自然体を心掛けたいとは思うのだが――返ってきた平折の弾んだ声に、頬が緩んでしまうからタチが悪かった。




◇◇◇




「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」


 いつもの早朝ランニング、俺は自分の中の悶々とした気持ちと眠気を振り払うかのように、いつもより早く足を動かす。

 それもこれも、平折の香りが移った枕やベッドが原因だった。


「――くそっ」


 悪態を吐いてみるも、嫌な気持ちがしないのも恨めしい。

 今まで何故気にならなかったのか、そんな事も思ってしまう。


「……ただいま」


 家に帰る頃には、すっかり息が上がってしまっていた。身体も汗でべとべとして気持ち悪い。

 早く汗を流したいと、洗面所の扉を開けた。


「……ぁ」

「っ! ご、ごめっ!」


 そこでは制服姿の平折が、ブラシを片手に髪を梳かしている最中だった。


 不意打ち気味に、平折の女の子然とした、ある種無防備とも言える姿を見てしまい、気恥ずかしさから勢いよく扉を閉める。

 それに今の俺は返ってきたばかりで汗だくだ。匂いだって気になるし、臭い奴だなんて思われたくもない。


 ――あぁ、もう!


「ぁ、ぁの……」

「っ?! ひ、平折?」

「終わりましたので……」

「そ、そうか」

「……」


 ちゃんと話せただろうか?

 挙動不審になっている自覚はある。しかし自覚があるからと言って、自分の意志でどうにかなるものでもない。


 ……


 シャワーはのぼせた頭を冷やすため、水をかぶった。


「鍵、閉めました」

「……そうか」


 登校の準備を手早く終えて、家を出た。

 鍵を閉めたと微笑む平折から、思わず目を逸らしてしまった。


 ……一緒に住んでいるという事を、強く意識させられたからだ。


「……」

「……」


 通学路は無言だった。

 今までと違い、俺はなんだか気まずさを感じてしまっていた。


 しかし、いつもと同じ様子の平折は、俺の顔色を伺うかのようにチラチラと視線を投げかけている。

 手の甲には、何度かちょんちょんと平折の手が当たっている。

 それが余計に、俺の気恥ずかしさを助長させてしまっていた。


「……っ」

「……ぁ」


 俺は気付かない振りをして、歩く速度を上げた。

 遅れて聞こえてきた、平折の少し寂しそうな声が、俺の胸を軋ませる。


 ――何やってんだ、俺は……




◇◇◇




「……おはよ」

「おーっす、2人とも……?」

「2人とも、おはよう……?」

「……はよ」

「……ぉはようございます」


 いつもの待ち合わせ場所で挨拶を交わす。

 だがいつもと様子の違う俺と平折を見比べて、皆もなんだか反応に困らせていた。


 ……よくよく考えれば、先日の最後に皆と顔を合わせたのは、俺が平折によく似た女の子に連れていかれているのを目撃されて以来だ。


 そして康寅も坂口健太も、それが有瀬陽乃だと――平折の異母妹だというのを知っている。


「……」

「……」

「……」


 学校までは無言だった。

 皆も何て言って良いかわからないという様子で、居た堪れない空気を醸し出していた。


 その空気は、昼休みになっても引きずっていた。


「そういやもうすぐ文化祭だよな! 思ったんだけどさ、うちのクラスは吉田も南條もいるし、コスプレ喫茶とかぜって受けそうだよな、昴?!」

「……あぁ、そうかもな」

「……いいかもね」

「だろ、ははっ……」


 いち早くいつもの調子を取り戻した康寅が、必死に周囲の空気を変えようと話題を振るが、空回りしていた。

 さすがの康寅も困った顔を向けてくる。

 俺はそっとそれからも目を逸らし、南條凛の顔を見た。


「……何さ、昴? あたしに何か付いてる?」


 こういう時、彼女は場の空気を読んで話題を振ることが多い。

 それがどういうわけか、元気が無いのが気に掛かった。

 最近ゲームにログインしている形跡が無かったにもかかわらず、目元に隈を誤魔化した跡が見える。


 ……もしかしたら有瀬直樹の件で、揉めているのかもしれない。


「無理するなよ、凛」

「……っ、無理……そうね……」


 そう言って南條凛は、どこか痛々しいような、何かを堪える笑顔を見せる。


「……」


 そんな俺達のやり取りを、平折が何か考え込むかのような顔で見ていた。


 再び沈黙がこの場を支配しそうになる。

 しかし、カタンとわざと大きな音で箸を置く音で、それを遮った。


「倉井君、ちょっといいかな? 君に少し話があるんだ」

「……坂口」


 音の主は坂口健太だった。

 俺を見つめる彼は、どこまでも真剣な眼差しをしており、それは俺だけでなく平折にも向けられていた。

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