第28話 *変わってしまった彼女の心
アカツキグループ本社は、地方都市の都心部にある、38階建てのビルである。
地方都市とはいえ政令指定都市近郊を網羅する私鉄を核に、不動産をはじめ多大な産業を司るそのビルは、この一帯を支配する城郭の様にも見えた。
南條凛はこの城郭の主、創業者一族の娘である。
とはいえ、まだ年若い南條凛が年末年始のパーティー以外でここを訪れるのは、非常に珍しい事だった。
「――以上が有瀬直樹に関する報告であり、私の
威厳のある老人、そして怜悧な感じのする壮年を前に、南條凛は頭を下げている。
創業者一族のトップである彼ら――南條凛の祖父と父に対し、有瀬直樹に関する顛末と自分の要望を伝えていた。
その恭しくも頭を下げる態度は、到底肉親に対するそれとは思えないものだ。彼女が制服姿というのも、この場の異常性を一層際立たせている。
「ふむ……それは確かに組織に利があるな」
「出かしたぞ、凛!」
厳かに提案内容を吟味する祖父に、歓喜の声を上げる父。そして親友の安全が確保できて安堵する娘。
各自の思惑は違うけれど、この場に笑いが広がっていく。
――だけどそれは、とても冷たい笑いだった。
南條凛本人も、冷たい笑みを湛えている自覚があった。
それは折しも、昼間有瀬直樹に詰め寄っていた時に、倉井昴に鼻を摘ままれ嗜められた時と同じ顔でもあった。
(もし今のあたしの顔を見たら、昴はどこかで止めてくれてたかな?)
目の前で早速各所に電話を掛ける祖父と父を眺めながら、そんな事を思ってしまう。
今の南條凛は親友の安全のためとはいえ、あくまで利潤を追求する冷徹な経営者として、組織のトップに提案を持ちかけていた。
もし有瀬直樹が――親友の実父が、組織に対して多大な利益をもたらす存在でなければ、成立しない取引でもあった。
南條凛は、それを十分に理解している。
『もし何かされそうになったら昴が助けてくれるんでしょ?』
『俺に出来る事ならな』
そして先程、何の打算も無くそう言ってくれた男子の事を思い出し――彼と肉親を比べてしまった。
『なぁ、凛』
『な、何よ』
『良かったな、2人とも』
次いで親友姉妹が和解して、心底嬉しいと、彼女達を慈しんだ顔を思い出し――彼と先程褒められた肉親の顔を比べてしまった。
(…………っ)
なんだか無性に胸が痛くなってしまい、それと共に言いようのない孤独感に襲われてしまう。
(――どうして、あたしは……)
「これで失礼します……」
南條凛は歪に歪みそうになる顔を、祖父や父に悟られたくなくて、足早に会長室を後にした。
控えていた秘書の方に、リムジンで一人暮らしをしているマンションへと送ってもらう。
その途中、窓から流れる夜景を見て考えるのは、祖父と父に有瀬直樹の利用法を提示した時の自分の顔だ。
『それ以上はやめろ、凛』
『――ぴゃっ?!』
有瀬直樹と相対した時、まさか鼻を摘まんで諫められるなんて、考えもしなかった。
それでいて落ち着けと睨みつけるように自分の名前を呼ぶ彼は、どこまでも真剣な顔だった。
本気で自分の事を思って言ってるのだと、分かってしまった。
そして自分の知らない感情が沸き起こり、戸惑いすらもあったが――だが何よりも嬉しいと感じてしまったのだ。
南條凛はこの巨大な組織に生まれ、その立場というものを、幼い頃から嫌でも理解している。
かしずかれ機嫌をうかがわれ、そして自分も誰かの機嫌を――顔色をうかがう人生だった。
……果たして、彼以外にこれほど本気の感情をぶつけて来てくれる人はいるのだろうか?
その事に思いを巡らせたとき――彼の平折に向けた慈しむ顔に、どうしようもなく嫉妬を覚えてしまった。そんな自分が嫌になった。
それほど南條凛にとって、これ以上感情を誤魔化すのも不可能な所にまで来てしまっていた。
「ありがとう」
運転手にお礼を言って、一直線に自分の家へと向かう。
ボスン、とベッドではなく、いつも彼を自分の家に招いた時に座るソファーへと顔を埋める。
仄かに残る彼の残滓を感じながら、頭の中には色々な顔が浮かんでは消えていく。
その脳裏には、倉井昴だけでなく、親友の姿もあった。
――吉田平折。小柄で芯があって可愛くて、人の事を悪く言う事のない、信頼できる女の子。
最初はよくいるクラスメイトの1人だった。
自分を変えたいと言ってきた時は、特に気にせず世話を焼いた。
周囲への影響と自分への評価、それと気に入らない周囲の女子に思い知らせてやろうなんていう、打算もあった。
だけど、彼女はどんどん予想外の方向に変わっていった。
「……ずるいよ」
思わず漏れた言葉だった。
彼と――倉井昴と吉田平折は幼馴染だという。
よくよく考えれば、単純な話だ。
平折が誰の為に変わろうとしたのなんて、聞くまでもない。
その後変わりたいと言ってきた倉井昴なんて、誰の為か一目瞭然だ。
2人が頑張る姿は眩しかった。
ただ両親の顔を立てる為だけに努力してきた自分とは大違いだ。
だからそんな彼らに惹かれ、その輪に入りたいと強く焦がれてしまう。
しかしそれは、ずっと幼馴染である2人が重ねてきた時間に、横入することだというのも分かっていた。
倉井昴は、もはや南條凛にとって特別な男子だ。
彼はいつだって、自分の幼馴染の為に無茶な事をしてきた。
そこには好かれたいだとか、何かをしてほしいとか、そういった下心も無い。
彼が打算的にそういう事をする人物では無いという事を、甘えたり試すかのように誘惑したこともある南條凛本人が、一番よく知っている。
「ごめん、なさい……」
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……南條凛は心の中で何度も親友に懺悔する。
いつしか目には大粒の涙がとめどなく溢れて来てしまっていた。
「どうしよう、好きになっちゃってたよぉ……」
まるで迷子の幼子の様に、自分の心の内を吐き出す。
その感情を口に出してしまえば、もはや自分で気持ちをコントロールすることは出来なくなってしまった。
「うぅ……うぁぁ……」
ソファーの上で膝を抱えて嗚咽を漏らす。
それは今まで家族に愛情を求め、終ついぞ得ることが出来なかった乙女の慟哭だった。
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