第25話 もうやめろ


「新年の挨拶以来ですね、有瀬本部長」

「南條、凛……様……」


 にっこり微笑む南條凛に対し、有瀬直樹はバツの悪そうな顔をして、自分の娘の手を放す。

 さすがの彼であっても、経営者一族直系の娘に対して、軽んじてよい相手では無い様だ。

 そして有瀬直樹を見据える南條凛の目は、見た事もないほど冷たい眼差しで、思わず自分の目を疑ってしまう。


 南條凛は、その直ぐ傍で立っているだけでも、背筋が凍えるかのような凄みを放っていた。


 自分に不利益をもたらす者は、容赦なく切り捨てる――そんな人の上に、組織の上に君臨する冷徹な支配者の風格を醸し出していた。

 一夕一朝では身に付かない、ましてや演技では表現出来そうにない凄みだった。

 きっとそれは、アカツキグループに生まれ叩き込まれた帝王学が為せるものなのだろうか。


「有瀬本部長、今日は娘さんに私の友人を紹介するという事なのでしたが……あなたの登場は、彼女のサプライズなのでしょうか?」

「え、いや、それは……」


 南條凛の目が細められ、有瀬直樹は明らかに気圧される。

 その冷たい眼差しに圧倒されるのは、何も彼だけではなかった。

 有瀬陽乃は後ずさり、隣に居て味方であるはずの俺でさえ、この空気に呑み込まれて震えてしまいそうだった。


 そんな事は知ったことかと、南條凛はこの場を取り仕切っていく。


「一応、有瀬本部長にも紹介しておきますね。私の友人である倉井昴君に――吉田・・、平折さんです」

「っ?!」

「……ぁ」

「平折っ?!」


 南條凛の背後から、おどおどして顔を俯かせた平折が現れた。

 有瀬父娘は驚愕の表情で目を見開き、平折を見つめる。


 ……南條凛は、敢えて吉田・・と含みを持たせて紹介した。


 たとえ有瀬直樹が、今の平折の顔を知らないとしても、その言葉の意味が分からないハズがないだろう。


「娘さんのお友達・・・ですもの、既にご存知かもしれませんが」

「っ! いや、それは……」


 それは、お前の秘密を知っているぞと、喉元にナイフを突き付けるが如き言葉だった。

 口調は穏やかだったが、どこまでも彼を追い詰める刃に他ならない言葉だった。

 静かな微笑みを湛え、有瀬直樹の前に一歩踏み込む南條凛は、彼にとっては死神に見えているのかの様に怯えている。


 ――それも当然か。


 今の有瀬直樹にとって最大の手札は、娘である有瀬陽乃だ。

 彼女を広告塔として好きに利用することによって、随分とアカツキグループ内で伸し上がっていると聞いた。


 平折の存在は、その基盤を揺るがしかねないスキャンダルの素になる。それを突き付けられ、彼は冷静を保てないような様子だった。


「凛、様……どういうおつもりですか?」

「くすくす、あら私はただ友達を紹介しただけですのに……アカツキグループに多大な貢献をしていただけている有瀬本部長とは、今後も仲良くしたいとは思いますけれど」

「そう、ですか……」

「ですが此度は友人同士の交流、それはお判りいただけたらと存じます」

「……っ!」


 それは拒絶であると共に、従属を迫るかのような発言だった。事実、南條凛はアカツキグループに置いて、有瀬直樹の出世を――生殺与奪を握っているに等しい。


 きっと南條凛は、平折の父という存在を認めて、我慢できずに飛び出してきたのだろう。

 その気持ちはよくわかる。俺も同じだ。見ていて爽快ですらあるし、個人的には彼女を応援した気持ちでいっぱいだ。


 だけど――


「本部長は、賢い判断を――」

「それ以上はやめろ、凛」

「――ぴゃっ?!」

「「っ?!」」


 なおも獲物を甚振るかのように迫る南條凛の鼻を、俺はいつぞや彼女にやられた時と同じように摘まんで止めさせる。


 突然の俺の行動に驚いたのは南條凛だけでなく、有瀬父娘もあんぐりと口を開けて俺達を見た。


「す、昴?! あんたいきなり何を――」

「何を、じゃない。落ち着け、凛」

「あたしは――」

「凛!」


 迫力としては、南條凛には遠く及ばないだろう。

 しかし俺なりに精一杯の真剣な顔を作って南條凛を睨みつけ――そして平折の方へと視線を誘導した。


「……っ」

「……あ」


 そこで初めて南條凛は気付いた様だった。

 実の父を目の前にした平折はすっかり縮こまっており、そして小刻みに肩を震わせている。見ている方が痛ましくなるほど、怯えてしまっていた。


 平折の今の置かれている状況を考えると、有瀬直樹と何かあったというのは明白だ。それこそ、実父を前に怯え震えるほどの何かがあったというのは、想像に難くない。


 確かに今ここで、南條凛の立場を利用して、有瀬直樹を牽制するというのも重要な事だろう。

 だけど俺は、これ以上苦しそうな顔をしている平折を見たくなかった。


 それに――


「もうやめろ、凛。お前凄い顔しているぞ」

「――っ!」


 俺は彼女にだけ聞こえるように、低く小さな声で囁く。

 今の南條凛の顔は、かつて彼女の両親が自分の娘に向けていた、他者を道具の様に扱おうとする顔と同じものだった。


 俺はそれが、どうしてか許せなかった。

 本当は寂しがり屋で構って欲しがりの、この友達思いの少女に、そんな顔をさせたくなかった。


 俺の思いが通じたのか、南條凛の顔がいつもの人懐っこいそれに変わっていく。


「っと、失礼、有瀬本部長。私たちはこれで。――誰か、私の友人の為に部屋を用意してくれないかしら?」

「っ! は、はい、ただいまっ!」


 南條凛の言葉と共に、近くに控えていた男性が慌ただしく駆け寄ってくる。

 身なりからしてここの支配人の様だ。

 彼はスタッフと共に具合が悪そうな平折を、奥の方へと先導していく。


「あたし達も行きましょう、陽乃さん」

「え、えぇ!」

「……っ!」


 そして有瀬陽乃も一緒にと促し、頭を下げたままの有瀬直樹の横を通り過ぎる。

 同じく頭を下げた従業員の群れを横目に、平折の後を追いかけていく。


 ……


 ――これがアカツキグループ直系の娘の権力か。


 その凄さをまざまざと見せつけられた。

 まるで中央集権体制の王国の姫さながらだ。

 住んでいる世界が違うと思い知らされる。


「……あんがと」

「別に俺は……余計な口を出したかもしれん、すまん」

「そんなことっ! あのままだったらあたし……」

「……そうか」


 だというのに、南條凛にそんな殊勝な態度を取られると、そのギャップに戸惑ってしまう。


「ね、昴。あんた成績良かったわよね」

「いきなりどうした、急に?」

「大学で経営学を学んでさ、そんでもってうちに入って今みたいにあたしを助けなさいよ」

「そりゃ将来安泰だな」

「ふふっ、でしょ?」


 そう言って悪戯っぽく笑う南條凛は、これが冗談だと笑い飛ばすにはあまりにも真剣な顔を向けるのだった。

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