第22話 お誘い


「ほらほらすぅくん、こっちこっち」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、くそっ!」


 有瀬陽乃に強引に手を取られたかと思えば、そのまま駅まで引っ張られる形で駆け出した。

 休む暇なく走り続け、こちらは息も上がっているというのに、有瀬陽乃は汗一つかかず涼しい顔だ。


 ――モデルって、こんなに体力必要とするのか……?


 肩でも息をしながら、朦朧とした頭でそんな事を思う。 

 一体、その細身の体にどこにそれだけの体力を内包しているのかが不思議で仕方が無かった。

 文句の一つも言ってやりたいが、生憎とそんな余裕が無い。


「あ、乗りまーす」

「……へ?」

「梅谷のアカツキデパートまで」

「タクシー?」


 そして駅に着くなり、慣れた手つきでタクシーを停めて中へと押し込められる。

 普通に生活を送る高校生にとって、タクシーとは縁があまりない乗り物だ。困惑する俺をよそ目に、簡潔に行先を告げられたタクシーは、すぐさま動き出した。


 俺はこの期に及んで、どういう状況か理解できずにいた。


 乱れる息と思考を整えながら隣に目をやれば、楽しそうな顔をする有瀬陽乃と目が合う。


「……約束は明日じゃなかったか?」

「そうだね」

「……この状況は何だ?」

「んー、デートのお誘い?」

「デッ……!?」


 直接的な物言いに、思わず動揺して間抜けな顔を晒してしまった。

 有瀬陽乃はそんな俺をみて、くすくすとおかしそうに笑う。


 俺だって年頃の男子だ、そう言った事に興味はある。だが残念なことに、そういった事に縁は無かった。


 ――平折や凛とのアレは、どちらかと言えば付き添い……だよな?


 辛うじて女子との交流はあるが、俺としてはそういう認識である。


「あれあれ、顔が赤いぞ?」

「うるさいな。こういう手合いの事は慣れてないって、先日にも言っただろう?」

「もしかしてデートとかって初めて?」

「……どうでも良いだろう?」

「ふぅん……うっしっし、すぅくんの初めてデート、貰っちゃおう」

「……言ってろ」


 ことさら機嫌の良くなった有瀬陽乃は、ふふんと鼻を鳴らして見惚れるような笑顔を見せてくる。

 不覚にもドキリとしてしまった俺は、まだ繋がれたままの手に気付いて、強引に振りほどいた。


 有瀬陽乃といえば、今になって手を繋ぎっぱなしだった事に気付いたのか、みるみる顔を赤くして慌てて目を逸らした。


「……」

「……」


 妙な沈黙だった。

 お互いが窓の外へと視線を移している。

 照れるなら最初からやるなと、ため息が出てしまう。


 それも含めて、強引に学校に押しかけてからこちら、完全に有瀬陽乃のペースになっていた。


 周囲を巻き込み、強引に引っ張り回す。思えば有瀬陽乃――ひぃちゃんはそんな女の子だった。


 そして、別段引っ張り回されるのが嫌とも思えない――そんなやっかいな魅力を持つ女の子でもあった。


「ひぃちゃんは変わってないな……」




◇◇◇




 そして目的地について早々、俺は人生最大の窮地に陥っていた。


「ねね、すぅくん! こっちとこっち、どっちがいいかな?」

「……わかんねぇよ」

「んー、じゃあ他に好きな色とかは?」

「……聞かれても困る」


 有瀬陽乃が俺の目の前で掲げているのは、女性用下着の上下のセットだ。

 白くてリボンとフリルがあしらわれたものと、レースと少し透けた感じのする紫のもの。

 そんなものを見せられてどちらが良いと問われても、正直困る以外に、何と答えて良いかわからない。


 はっきり言って、目の毒以外の何物でもなかった。かといって横に目を逸らしたとしても、いっそ華やかとしか言いようのない景色が広がっているだけだ。


 ――勘弁してくれ。


 有瀬陽乃に連れてこられたのは、女性用下着売り場だった。


 この場違いな場所に普段目にすることのないものを見せられて、自分の頬がかつてないほど熱くなっているのがわかる。


 平折や弥詠子さんは同じ屋根の下で暮らす家族だ。しかし、血が繋がっていない他人でもある。

 ゆえに尚更、洗濯物でもこうした物は極力目に入れない様、最大限注意を払ってきた。

 そういう事もあり、俺にはこれらに対しての耐性が無かった。


 有瀬陽乃はさっきからニヤニヤしながら、ドギマギしている俺の反応を見て楽しんでいる。


 完全に確信犯だった。

 自分のフィールドに引っ張り込んだせいか、調子づいているのもわかる。


 俺はがりがりと頭を掻きながら、有瀬陽乃に向かい合う。


「よりにもよって、どうしてここなんだ?」

「こないださ、今のすぅくんを知りたいし、今の私も知って欲しいって言ったじゃない?」

「言ってたな」

「だからほら、こうして互いの好みを……ね?」

「ね、じゃねーだろう……」

「にししっ」


 揶揄うのが目的だろう、とツッコミたい気持ちを抑え込む。

 言ったところで流されるだけだろう。


 それよりも気になることがあった。


「変装しなくて大丈夫なのか?」

「それが案外大丈夫。まずは制服に目が行くからね、有瀬陽乃でなく女子高生ってフィルターがかかるのさ」


 有瀬陽乃は、タクシーの中で変装を解いていた。変装と言ってもカツラで髪型が変わっただけなのだが、それだけでも印象が随分と変わる。

 一応今も、普段メディアに出ている有瀬陽乃の髪型とは違うモノにはしていた。

 それは一目で平折とは違うとわかる格好になっていた。


 彼女の言う通り、それで制服姿ならあまり目立たないというのもわかる。

 この時期他の学校もテストなのか、周りに目をやればちらほら学生の姿もある。

 しかしそれでも、有瀬陽乃は周囲の注目を集めかねない美少女だ。


「しかしだな――」

「せ、せっかくのデートだもん、おねえちゃんじゃなくて、私として見て欲しいっていうか……」

「――……」

「……」


 そんな事をもじもじと顔を赤くされながら言われると、返す言葉が見つからなかった。


 平折と有瀬陽乃は異母姉妹だ。顔立ちもよく似ているところがある。だけど彼女達は別人だ。

 きっと、この格好で付き合う事に大きな意味があるのだろう。


「……わかった、だからあまり目立つような事は勘弁してくれよ」

「えへっ、そうこなくっちゃね」


 降参の意味を込めて軽く両手を上げれば、有瀬陽乃は嬉しさを滲ませはにかんだ。


 それは――平折に良く似ていると思ってしまった。


 俺はどうしてかそれを認めたくなくて、顔を逸らす。

 何だか胸が変にざわついてしまう。


「で、すぅくん的にどれが好み?」

「……勘弁してくれ」


 こうして有瀬陽乃――ひぃちゃんに引っ張り回される形でデートが始まった。

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