第15話 隠し事をしたくない
すぐさま南條凛に、どういう事かと問い質したい気持ちでいっぱいだった。
「……くそっ!」
通話をしようとスマホを弄るが、指先が震えて上手く出来ないでいた。
そのうちガタン、と床に落としてしまい、その時初めて自分が頭に血が上っていることに気付いたのだった。
――感情に先走って行動したらダメだよな。
ふとその音を切っ掛けに、かつて出会った頃、気恥ずかしさから平折を怖がらせたことを思い出す。
まずは落ち着かないと……そう思い、キッチンに降りて作り置きの麦茶を呷る。
「……ぁ」
「……平折」
冷蔵庫に麦茶を仕舞おうとしたその時、階下に降りてきた平折と顔を合わせた。
その視線の先を追うに、どうやら目的は同じお茶らしい。
奇しくも初めてフィーリアさんとして平折と出会う前と、同じ構図になっていた。
「……平折も飲むか?」
「……ぅん」
だがその時とは返事は違っていた。
その変化に、何か感慨深いものを感じてしまう。
麦茶を注いだコップを渡しながら、随分と関係が変わってきたなと思う。
そして俺は、随分と平折の事を知らなかったんだと思い知らされた。
おずおずと喉を潤す平折を見て、どうしても伝えたい思いを告げる。
「俺は平折がここに居てくれて嬉しい。これからも居て欲しい」
「ふぇっ……けほっ、けほっ! 」
突然の俺の言葉に、平折は呑みかけだった麦茶を盛大に咽てしまった。目には涙を浮かべ、顔は真っ赤だ。
俺の言葉をどう受け取っていいか分からないといった様子だ。その瞳はひどく動揺していた。
そんな平折を見ているうちに、自分が物凄く大胆な意味にもとれる事を言ったことに気付いてしまう。
己の顔がどんどん熱を帯びていくのがわかる。
「あ、いや、その、違……うんじゃなくて、なんていうかその、アレだ!」
「あ、はい、わかってます! アレですね、アレ!」
「そうそう、アレ!」
「アレです!」
2人して混乱していた。互いに勢いで、意味のない会話を交わして誤魔化している自覚はある。
だけどそんな事をしているうちに、どんどん可笑しくなっていって、気付けば笑いあっていた。
「ははっ、じゃあ俺は戻るわっ」
「あっ、はぃっ」
とはいえ、未だに恥ずかしい気持ちがあったので、そのまま逃げるように自分の部屋に戻った。
スマホを手に取れば、既に手の震えはとっくに止まっていた。
南條凛の電話番号を呼び出し、深呼吸をして目を瞑る。目蓋に映るは平折の姿。
――自分の中で何かの覚悟が決まった。
「凛か?」
『倉井? あんた今日はログインしないの?』
「それより、平折の父親について知っていることを教えてくれ」
『……わかった、けど時間を頂戴。裏を取るわ』
◇◇◇
「おはよー」
「うーす、昴、吉田」
「やぁおはよう、2人とも」
翌朝のいつもの待ち合わせの駅前では、既に3人は来ていた。だけどその顔はなんだかぎこちなかった。
昨日この場所であったことを考えると当然か。
「ん、おはよ」
「ぉ、ぉはよう」
挨拶を交わし、誰からともなく学校に向かって歩き出す。
平折は気まずさから身体を小さく縮こませていた。
この空気の原因が、平折と有瀬陽乃が異母姉妹ということだからだ。
平折が悪いわけじゃない。
そう言いたいが、何と言って良いか分からないのも事実だった。
「こんな事言っていいかわかんねーんだけどさ」
「どうした、康寅」
「昨日は驚いただけだけど、1つ重要な事に気付いてしまったんだ……なんていうかその、吉田ってさ……」
「何を……」
そんな中、康寅が深刻そうな声で話しかけてきた。
普段おちゃらけてヘラヘラ笑っている事が多いだけに、その声色に皆の注目が集まってしまう。
康寅本人も、今から述べる言葉がこの場の空気を変えてしまうと理解しているのか、必死に言うべきことを吟味している様子が伝わってくる。
「モデル並みに可愛いって事だよな」
「……ふぇっ?!」
しかしその発言は、どこまでいつもの康寅だった。
「いやだってさ、あれだけ昔の吉田に似てたんだぜ? てことは素材としては同等……なぁ、今のうちにサイン貰うべきかな?」
康寅の声色はひどく真剣で、その内容はバカバカしかった。
そのギャップにまた1人、また1人と笑いを零していく。
「はは、そうだね。確かにそれは祖堅君の言う通りだ」
「あら、てことはあたしもかしら? ねぇ平折ちゃん、いっそ2人でコンビ組んで芸能界目指す?」
「くくっ、平折なら慌てふためく仕事が得意かもしれないな」
「ぁぅ……」
そんな俺達の話を聞いて、平折は顔を赤くして身体を小さく縮こませた。さっきと同じ格好だが、周囲の空気はいつもの感じを取り戻していた。
狙ってか天然かはわからないが、康寅のこういうところはいつも有難いと思う。得難い友人だ。
笑いを取り戻した中、南條凛が傍にやって来て、周囲に気取られぬよう耳打ちをする。
「平折ちゃんのお父さんの件、色々調べて資料もそろえたわ。どうする?」
「それは……」
南條凛の視線は平折を捉えていた。
つまり、平折にはこの件を言っていないという事か。
それをどうするかは俺に任せるつもりのようだ。
確かにこれは平折に関係する事だ。
陰でこそこそとやられて、気分の良いものじゃないだろう。
「わかった、平折には俺から話を通しておく」
「そう……お願いね」
今までなら、平折に何も伝えずに勝手に話を聞きに行っただろう。
だけど、今回に関しては完全に話が別だ。
自分の知らないところでデリケートな部分を勝手に土足で侵入されれば、いい気分ではないだろう。
それにきっと俺のエゴかもしれないが――平折に隠し事をするのは、なんだか嫌だった。
◇◇◇
昼休み、購買に昼を買いに行こうと強引に平折を連れ出した。
一緒に行こうとした康寅を無視し、連れてきたのは非常階段だ。
相も変わらず薄暗く人気がなかった。
急にこんな所に連れられて来た平折は、どうした事かと戸惑っている。
だけど俺も緊張していて、平折にまであまり気が回って無かった。
「聞いて欲しい事がある」
「は、はぃ」
とは言ったものの、咄嗟に言葉は出てこなかった。
俺の緊張が平折に伝わっているのか、何事かと身を強張らせており、目も潤ませている。
――あまり引き延ばすと、言えなくなるな。
上手く言えないかもしれない、だけど思った事を伝えよう。
「平折、俺はもっとお前の事が知りたい」
「は……ぃ……」
ビクリと身を震わせ、だけど意志を込めた瞳で俺を見上げて見つめてくる。
――俺の好きな瞳だ。
「平折の父親の事を調べるつもりだ。いいだろうか?」
「はぃ……ぇ? ……ぁ」
何度か瞳をぱちくりさせ、その後どこか落胆したような色に彩られていく。
……当然か。
自分の触れて欲しくない部分について、面と向かって宣言されたのだ。嫌われてもおかしくはない。ぎゅっと握りしめた拳が痛い。
だけど、一度左右に頭を振った平折は、しょうがないなといった表情で質問してくる。
「わざわざその事を言いに?」
「もう平折に隠し事をしたくないから」
「そぅ、ですか……」
「……すまない」
そう言った平折は優しく微笑み、どこか俺を見透かすような瞳を向けてくる。
試されている――そう思った。
だから、やましい事はないのだと、目に力を込めて見つめ返す。
「誰と、調べるんですか?」
「それは凛と」
「へぇ……ふぅん……凜さん、可愛いですもんね」
「あ、あの、平折?」
ずいっと平折が詰め寄ってきた。
その目はなんだか犯罪者を詰問するかのような瞳だった。
「凜さんもひぃちゃんも、胸……大きいですよね」
「あの、何を……」
あれ、何だか雲行きが……
「いい、ですよ」
「……平折?」
「すぅくんなら、信頼しています」
「そうか」
かと思えば、表情を変えて微笑んだ。だけど込められた表情は複雑で、読み切れない。
その目は懇願にも似た色を宿していた。
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