第14話 望まれぬ者


 平折に悟られない様に部屋に戻った俺は、スマホを眼の前に呆然としていた。その心境は複雑だ。


「おねえちゃん、か……」


 有瀬陽乃にはまだ返事はしていない。

 あまりに予想外過ぎた出来事が重なって、どう返事をしていいかわからなかった。


 とりあえず返事を後回しにして教材を広げて試験勉強をしようとするが、全く頭に入ってこない。


 やはり俺は、平折と有瀬陽乃の事が自分で思っている以上に気になっていた。

 だが2人について知っていることは余りに少ない。


 ――俺は無関係じゃない。


 平折は俺の義妹だ。家族だ。それを抜きにしても、色々何かを抱えているなら、知りたいと思った。



『すまない、中間テストが近いんだ。俺も話がしたいが、それが終わってからでもいいか?』



 有瀬陽乃にはそんなメッセージを返した。

 自分で返しながら、問題の先送りの様だな、と独り言ちる。

 だけど、彼女とまた顔を合わせる前に、色々と知らないといけないと思ってしまったんだ。


 そして、有瀬陽乃の返事は早かった。


『そっか、一般の高校だとそんな時期ね。ごめん、終わるのはいつ?』

『来週の半ばだな』

『てことは平日でも採点日で休みの日とかあるのかな……それでもいい?』

『あぁ、構わない』

『じゃあその日の午前中で。その方が目立たないしね』

『あぁ、わかった』


 このやり取りで、何か引っかかることがあった。

 有瀬陽乃は学年で言えば俺達の一つ下になる。

 だというのに、まるで学校に縛られていないかのようだった。


『そっちの学校の都合はいいのか?』

『うちの学校、芸能活動が認められてる単位制の高校だから』

『単位制?』

『大学のシステムに似てるのかな? 授業を自分で選択してテストで点数さえ取れれば大体オッケー。他も、夏休みみたいな長期休暇に補講でたりすれば何とかなるのよ』


 他にも色々説明してくれたのだが、俺の知っている高校とはずいぶん違う仕組みで、半分も理解できなかった。

 そのせいか、改めて有瀬陽乃が普通の高校生とは違う生活を送っているという事を実感してしまう。

 正しい表現かはわからないが、年下だというのに随分大人だと感じてしまった。


『とにかく来週だな。詳細はまた連絡する』

『うん、待ってる……あ、おねえちゃんの事を抜きにしても、連絡してもいいかな?』

『勉強の邪魔にならない程度ならな』

『やった! ありがと!』


 だというのにこんな子供っぽい返事をされると、そのギャップに戸惑ってしまった。




◇◇◇




 弥詠子さんはまだ父の所に行っており、家には居ない。

 なんとなく有瀬陽乃の事を聞いてしまった今は、顔を合わせ辛くて助かったという思いもあった。

 必然的に、今日の夕飯も自分達で何とかしなければいけなかった。



 名目としては、夕飯の事を相談しなければと、平折の部屋の扉を叩いた。


「平折、今いいか?」

「……っ! ひゃ、ひゃいっ!」


 部屋からは慌ただしい音が聞こえてきた。

 だというのに、部屋から顔を出した平折の髪は、戻ってきた時より手入れがされていた。

 着替えはまだしておらず、ジャケットを脱いで腕の肌面積が広くなったその姿は、昼間よりかは幾分か幼げに見える。


 なんだかそれだけ自分を飾らず、俺にだけ見せる信頼した姿にも見えた。思わず目尻が下がるのがわかる。


 ふと部屋へ目をやれば、ノートPCでゲームを立ち上げているのが見えた。

 画面にはサンク南條凛の姿も見える。


 もしかしたら、昼間の事で何か話していたのかもしれない。

 タイミング、悪かっただろうか?


「邪魔したか?」

「い、いえ。今、話も済みましたし」

「そうか。夕飯どうしようかと思って。外食にするか、自分たちで作るのか」

「……カレー」

「カレー?」

「一緒に、作りたいです」


 カレーは初めて俺が作って平折と食べた料理だ。思い入れのあるものと言える。

 あんなことがあった時にこのリクエストは、何だか思う所があった。

 どことなく俺たちの空気が和らぎ頬が緩む。


「そうか、野菜とルーはともかく肉が無いな。買いに行かないと」

「あっ……私も一緒に行きます」


 そう言って平折は部屋の壁に掛けてあったジャケットを羽織り、とてとてと俺の元にやって来てはにかむ。

 何だかそれが嬉しかった。


 だけどスーパーまでの道中、隣の平折との距離は微妙に離れていた。


 ――それも当然か。


 俺達の間には今、言いようのない問題が横たわっている。

 何となく察しはついているが、平折や有瀬陽乃から直接はっきりと聞いたわけではない。


 それと……先程有瀬陽乃とのメッセージで感じたことと、平折が南條凛に相談していたことを思い出し、急に平折がどこか離れていくかのように感じてしまった。


「平折、手を繋ごう」

「ふぇっ?」


 返事を待たず、強引に平折の手を取って絡めた。いわゆる恋人繋ぎとも言われる形だ。

 家族の……兄弟の範疇を超えた繋ぎ方かもしれない。だけどどうしても、平折を繋ぎ止めていたかった。

 実際平折は完全に面食らって、一瞬身を固くしてしまった。だけど、俺にはそれに細かく気を掛けるほど余裕がなかった。


「肉、どうしよう?」

「……あいびき」

「辛さは?」

「……中辛」


 買い物に行き家に帰るまで、これ以上の会話は無かった。家に戻り、キッチンでカレーを一緒に作っている間もそうだった。


 だけど不思議な事に空気は和らぎ、出来上がってカレーを食卓を囲んだ時、平折に話しかけるのに絶好の機会となっていた。


「凜に相談したのか?」

「ぅん……」

「そうか」

「ぅん……」

「……」

「……あ、あのっ」

「言いにくかったら、何も言わなくていいから」

「……っ!」


 色々聞きたいことはあった。

 だけど話しているうちに、そんな事を口走っていた。


 これはデリケートな事だ。強引に聞き出すという事は、平折の繊細な部分を無理矢理暴いてしまう事になる。

 あの時の――出会った時の怯えた様な平折の顔を思い出すと、どうしてもそれが出来なかった。


 ――いきなり聞き出すような事ではないだろう。


 それに何か平折にあれば、俺が全力で守ればいい


「ごちそうさま」

「あ、あのっ!」

「……平折?」


 席を立とうとした俺を、平折が引き留めた。

 その顔は、幾度と見てきた覚悟を決めた目をしている。


「ひぃちゃんと私は、父親が同じなんです」

「そうか」


 そこまでは想像できていた。だが続く言葉は予想外過ぎた。



「だけど、ひぃちゃんと違って、私は父に望まれて産まれたわけじゃない……」



「なっ……?!」


 言葉の意味が理解できなかった。想像を絶する言葉だった。

 平折を、目の前にいるこの女の子を、産まれて欲しくなかったというその言葉に、本当に日本語で話しかけられているのかと、疑問に思ってしまう。


 自嘲気味に笑う平折が、出会った頃の怯えた表情を浮かべる平折に重なる。


「……これ以上は、もう少し時間をください」

「あ、あぁ……」


 時間を欲しいのはこちらの方だった。


 部屋に戻り、平折の発言の意味を飲み込んでいくうちにつれ、どんどんと胸に怒りに似た思いが生まれていく。


 ――平折を望んでいなかったって?


 引っ込み思案で大人しくて自己主張が下手、だけど自分を変えたくて頑張る勇気のある女の子。

 小さくて、ちょっと体温が低くて、それでいてちょっぴり甘え癖のある――その存在を要らぬと言った父親に、怒りという言葉では表現できない感情が沸々とわいてくる。


『~~~~♪』


 そんな状態の俺に届いた南條凛のメッセージは、俺に冷静さを蒸発させるのに十分な言葉だった。


『あたし、平折ちゃんの父親を知っているかもしれない』

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