第10話 問い掛け


「平折……?」

「……ぁ」


 どうしたわけか、平折が俺の制服の裾を引っ張っていた。思わず平折の顔を見てみるも、本人も自分の手をびっくりした表情で見ていた。無意識でやったことなのだろうか?

 最近平折は俺の部屋までよくやって来たりと、甘えてくることが多い。スキンシップも増えてきている気がする。

 しかしそれは、全て2人っきりの時だけだ。むしろ学校や他に誰かがいる時は、俺を避ける傾向があった。


 だから、この平折の行動は意外だった。幸いにしてか、皆はそんな平折の行動に気付いていなかった。


「ま、吉田はこの通りだし気のせいだろ。行こうぜ」

「そうだね……変な事いってごめん」


 そして、先程までの話なんてなかったかのように、学校に向かって歩き出す。

 確かに平折に似た女の子というのは気になる。誰かの空似だとは思うが……そう思い南條凛に目を向けてみるも、肩すくめて顔を小さく横に振られるだけ。


 ならばと平折に目を向けてみると――


「そういや昴、昨日聞きそびれたけど陽乃ちゃんの写真集でどれが一番良かった?」

「……ぇ?」

「……ふぅん?」

「や、康寅?!」


 ――そんな康寅の質問に、平折だけでなく南條凛の歩みも一瞬止まってしまった。ピシリと、この場の空気が軋むような音が聞こえてくる。


「俺はやっぱ表紙が一番かなー! あの透明感っていうの? それだけじゃなくサインも入ってるし、やっぱ特別って感じだわ!」

「へぇ……? 倉井って祖堅君の予備を買うのに付き合ったんじゃなかったっけ?」

「買った……のですね……?」

「あーいや、その、俺は……」


 何故かスゥっと南條凛の目が、まるで獲物を狙う肉食獣の様に細められる。そして平折の瞳からは光彩が消え、その表情はどういったものか読み取れない。

 俺はそんな様子の2人に見つめられてしまい、たじろいでしまう。


 なんだか居た堪れない空気だった。

 背筋には冷たい嫌なものが伝う。

 だがそんな俺の様子など知った事かと康寅は言葉を重ねていく。


「おぅ、言ってなかったっけ? サイン会でいざオレに渡そうって時になってさ、昴の奴ってば急に渋りだしたのよ。これはピンと来たね! これは陽乃ちゃんの可愛さにメロメロになっちゃったって……まぁ昴も所詮は男だったってことよ。な、同志よ? ふひひ」

「……そう、なんですね」

「ふぅん……へぇ……倉井ってああいう娘が好みなんだ? だからあたしに手を――」

「――ちょっ、おい、凛!」


 思わず妙な事を口走ろうとした、南條凛の手を取った。こちらを振り向いた南條凛は、「何さ」と言ってジト目で不満げに頬を膨らませている。

 以前、彼女には誘惑じみたような事をされた事があったが……もしかして何かプライドを傷つけたというのだろうか?

 平折は平折でくいっと袖を引っ張って、目が笑っていないニコニコ顔を向けてくる。


 ――勘弁してくれ。


 俺はこの状況をどうして良いかわからなかった。

 つい先ほどまでどこかギクシャクしていた2人の女子は、完璧な連携を持って俺を威圧してくる。


「う、うん。有瀬陽乃は人気があるからね。そんな子を間近で見たら、思わずファンになってしまったというのも、わからなくはない……かな?」

「おい、坂口!」

「だよなー、わかってんじゃん!」

「……ふんっ」

「……ぷぃ」


 見かねた坂口健太が助け船のつもりでフォローを投げるが、それは平折と南條凛の機嫌をとり損ね、康寅を調子づかせるだけだった。




◇◇◇




 以前の平折の姿は、一言で言えば地味で目立たない女の子だ。

 人波に紛れれば、どこにいるのか分からなくなるような子だ。


 だからというか、学校では平折に似た子の話題なんて皆無と言ってよかった。


 康寅や坂口、そして何人か平折のクラスの人は見かけたというが、それは普段からよく平折を見ていたからだろう。

 もし本当に似た子がいるとしても、それまで接点のなかった人にとって、見つける事は難しいに違いない。


 代わりに学校での話題と言えば、来週に迫った中間テストについての事ばかりだった。

 そんな空気に引っ張られてか、昼休みにもなれば、俺達の話題もテストについての話題へと完全にシフトしていた。


「テスト勉強しているとさ、妙に部屋が片付くんだよな……」

「康寅、お前……」

「他にもさ、頭をすっきりさせてから勉強しようとすると。気づいたら朝だとか……」

「祖堅君、それは……」


 どこか達観したような顔で、康寅がそんな事を言いだした。

 坂口健太は乾いた笑みを浮かべ、平折や南條凛は呆れて白い目で見ている。


 なんとなくその気持ちは分からなくない……だが俺は、今朝2人に弄られた事に対して、悪戯心が湧いてきていた。


「テスト勉強しようとおもって、いつの間にかゲームのキャラのレベルが上がってる……そういうのもないか?」

「昴、さすがの俺もテスト期間中にゲームにかまけたりはしねーよ、机には向かうって!」

「はは、さすがにゲームに電源を入れるのは一線を超える気がするよね」

「……うっ」

「……」


 平折は完全にそっぽを向き、南條凛の目は泳ぎ始めていた。


 ――こいつら……


 ちなみに思い返せば、テスト期間が明けるごとにフィーリアさんのレベルが不自然に上がっていたり、レアドロップを入手していたなんてことが多々あった。つまりはそういうことなのだろう。


 ……今回はちゃんと監視をした方が良いか?


「てわけでさ、今度の休みの日は皆で集まって勉強会しようぜ。家だと誘惑多くてさ、頼むよ」

「そうだな……皆と一緒の方が、サボり防止になるもんな」

「僕も賛成だ。一人でやるより効率いいだろうしね」

「い、いいわね! 学校近くの図書館とかどうかしら?!」

「い、異議なし、です……」


 そんなわけで、あれよあれよという間に勉強会が開催される流れになった。

 発起人である康寅は「おっしゃー! 美少女2人と一緒に勉強会デートじゃー!」と雄たけびを上げ、その不純な動機を隠そうとしない。

 平折と南條凛はやれやれとジト目で康寅を見ているが、話題が逸れてホッとしたような顔をしたのを見逃しはしなかった。……そして暫く俺と顔を合わせようとしなかった。


 その後、放課後までに勉強会に関する詳細が決まっていった。

 部活でこういう事に慣れているのか、坂口健太が色々手際よく取りまとめていく。


 俺はと言えば、少しわくわくしていた。

 思えばこういう風に誰かと集まって試験勉強なんてことはしたことがない。

 皆も同じ気持ちなのか、張り切る康寅だけでなく、平折に南條凛もどこか落ち着かない様子に見えた。


 ――サンクとフィーリアさんの事がバレる前より良い感じだな。


 そんな事を実感しながら、皆と駅で別れた。


「……」

「……」


 電車の中、そして家までの帰り道の途中、俺達はいつものように無言だった。

 だけど俺はいつもと違い、どこか高揚した気分だった。

 平折と南條凛の問題が解決したというのも大きいと思う。


 足元もどこか浮ついており、どこか浮かれた気分だった。


 だからその言葉は、俺を現実に引き戻すのに十分な威力があった。


「ひぃちゃん」

「……え?」


 夕日に照らされた住宅街の真ん中で、どこか寂し気に影を落とした平折が呟いた。


 ――ひぃちゃん……有瀬陽乃?


 俺は固まってしまっていた。

 平折から目を離せないでいた。


 力なく笑ったかと思うと、無遠慮に俺の背中を撫でまわしてくる。


「おい、平折……っ?!」

「すぅくんは――」


 そしていきなりギュッと抱き付いてきた。

 訳が分からなかった。

 平折にしては随分大胆な行動だな、なんて思う。


 こんな事をされる意味を考えるよりも、平折の女の子特有の柔らかさや仄かな香り、そして熱を感じてしまい、疑問よりも恥ずかしさと戸惑いが頭の中を占領していく。


「――どこまで、覚えていますか?」

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