第8話 覚悟


 南條凛のタワーマンションを後にした。

 駅に向かう道中、考えるのはただただ平折の事だった。


 平折にサンクと南條凛の事は言っていない。

 しかし自然と平折は南條凛の事を悪く思わないという、確信めいたものがあった。

 だけど平折に黙っていたのは事実だ。さて、どうやって伝えたものかと頭を悩ませる。


「おぅ、昴ー! ……って、この昴は今の昴だな?」

「ん、康寅? 何言ってんだ?」


 駅前で、ゲームセンターのある方から歩いてくる康寅に遭遇した。

 何やら要領の得ない事を言っており、狐に化かされたような不思議な顔をしている。


「いやさ、皆で帰って確かに駅前で吉田とも別れたはずなんだ。だというのに、吉田と出会ってさ」

「は? 何か用があって戻ることもあるんじゃないのか?」

「それが私服だったし、髪型とかも以前のイモダサいのに戻してたんだ」

「見間違いなんじゃないの?」


 しかし康寅の顔はどこか釈然としていなかった。

 それよりもこいつ、以前の平折をイモダサいって……いや、否定はできない、な……


「うーん、そうかな……? あ、それより南條さんとはどうなったよ?」

「多分明日からは元通りだと思うよ」

「そっかぁ~、くぅ~っ、南條さんと2人でお喋り、いいなぁ!」

「はいはい」


 そう言って茶化す康寅と別れ、電車に乗った。

 こういう時、細かい事を聞いてこない康寅の心配りはありがたい。

 あれでいて色々気が付くやつなのだ。そこが彼の良い所だと思う。


 ――さて、平折にサンクと凛の事を何て言ったものか。


 電車の中で考えるのはその事だった。

 言うならばなるべく早い方がいいだろう。出来ればゲームにログインする前がいい。

 だが、説明するにしても良い言葉が中々浮かんでこなかった。


 どうしたものかと頭を悩ませながら、電車を降りて改札をぬける。


「……ぁ」

「平折」


 待ち人を見つけたという安堵の声が耳に入った。

 そこでは平折が待ち構えていた。

 ちなみに先程康寅が昔のどうこうと言っていたが、学校に居た時と同じ身だしなみに気を使った可愛らしい姿だ。


 ――一体どうして?


 俺が南條凛の家に行っていた時間を考えると、30分程は待っていた計算になる。


 その顔は複雑な表情をしていた。様々な感情が入り混じっていた。

 どこか怒っている様であり、心配しているようであり、泣きそうでもある。


 平折と南條凛は友人だ。親友と言ってもいいかもしれない。

 恐らく、今日の彼女の態度から色々思う所があったのだろう。

 それを俺の口から説明するのは、義務だと思った。


「平折、話がある」

「凛さん……の事、ですよね」

「あぁ」

「……」


 俺達はすぐさま話をすることが出来なかった。

 お互い色々気持ちを整理しているといった様子だ。


 改札は帰宅ラッシュで人通りが多く、この場で立っていては邪魔だと、どちらともなく歩き出した。

 すっかり陽が落ちるのが早くなった夕日が、俺達の影を長く伸ばす。


「……」

「……」


 俺達は無言だった。いつもと違い、気まずい空気だった。

 何かを話さねばと思うが、どう切り出していいかわからない。


 平折の様子を伺ってみれば、唇を固く噛みしめ、手も強く握りしめられている。

 きっと俺も、似たような顔をしているのだろう。


 俺達は互いに緊張していた。この空気が、より言い出しにくい空気を醸成していた。


 だけどこのまま黙っているわけにもいかない。

 俺は意を決して深呼吸をした。


「あのな、実は――」

「待って!」

「――平折?」

「ここじゃ、ダメ、です……家で……その準備を……」


 普段の平折からは考えられないほど大きな声で遮られる。この場での明確な拒絶の意志が込められていた。

 その悲痛とも言える声色に、俺は「わかった」としか呟くことしかできない。


 日暮れの住宅街に、2つの足音だけが無機質に響き渡っていた。




◇◇◇



「準備が出来たらいきます」

「あぁ」


 そう言って玄関口で別れた平折は、トタトタと自分の部屋へと戻っていった。

 俺もその背を追いかけるようにして自分の部屋へと戻る。


 ノロノロと制服からの着替えを澄まし、程なくして部屋の扉が叩かれた。


「……平折?」

「私の部屋、来てください」

「あ、あぁ……」


 ハイウェストで絞られた桜色のワンピースに白のカーディガン、いつぞやのフィーリアさんの恰好戦闘服だった。心なしかメイクもばっちり決まっている。

 気合の入った平折に、気圧されるかのように部屋へと招かれる。


 ――そう言えば平折の部屋には初めて入るな。


 モノトーンを基調とした、シックで落ち着いた雰囲気の部屋だった。

 なんとなくだけど、以前のもっさりしていた頃の平折を連想させる気がして、どこか懐かしい感じもする。


 だが――一歩足を踏み入れると、他の部屋や自分の部屋では感じない、少し甘い平折の香りを感じさせられた。

 そのせいか急に平折のプライベート空間に踏み入れたという事を強く意識させられてしまい、何だか気恥ずかしくなってくる。


 部屋の中央には小さなローテーブルがあり、俺達はそれを挟んで向き合うように腰を下ろす。


 目の前に映る平折の目は真剣だった。

 何かの覚悟さえきめた気迫を纏っていた。


「平折、凛の事だが――」

「わ、私は! 私はその……ある程度、気付いて……いました」

「そうか……」

「だって凜さん、他の人とは明らかに態度が違うし……それにあなたと話す時だけ、すごく優しい顔をしているんです。他の人と違って気を許しているというか、本当の自分で接しているというか……だから……」


 きっとそれは、俺が南條凛の猫を脱ぎ捨てた姿を知ってしまったからだろう。どうせ本性を知られているのだから、取り繕う必要もない。

 そう言った彼女の思いから態度に現れ、平折はそれを敏感に感じ取ってしまったのだろう。


 そしてあのタイミングでのサンクの紹介だ。

 南條凛の身近に居た平折なら、どういうことか気が付いてもおかしくはないか。


「騙すつもりはなかったんだ。だが、黙っていて悪かった。ごめん……」

「あ、謝らないで! わ、私は……っ! 私はその……お似合いだと思います……」


 平折の語尾は消え入りそうな程小さかった。目には涙を浮かべており、その顔はショックを隠しきれていない。

 それでも気丈に振舞い、瞳には受け入れようとする意志の強い光があった。

 俺の好きな瞳だった。


「そうか、凛にもその事を伝えてやってくれ」

「はい……すぐには無理だけど、凛さんにもいつかきっと……」

「え? いや、今夜ゲームにログインした時にでも……」

「……ふぇ?!」


 何かが噛み合っていなかった。

 平折を見てみればポカンとした表情で、キョロキョロと目を泳がせている。

 正座している膝をもじもじと擦り合わせ、何かを誤魔化そうとそわそわしているかのように見えた。


 そして時と共に、顔がどんどん赤くなっていった。


「あのですね、平折さん」

「あ、はい」

「なんていいますか、ゲームのサンクがですね、実は南條凛さんということはご存知でしたか?」

「い、いいえ、今存じ上げました」

「それがですね、実は昨日フィーリアさんが平折さんだということが南條凛さんにバレてしまいまして、あんな態度になりまして、はい」

「は、はぁ……なるほど、そういう訳……だったんですね」

「……」

「……」


 俺は何故か敬語になってしまっていた。

 お互いバツの悪そうな顔で見合わせる。

 先程の会話内容への理解が追い付いたのか、みるみる表情が変わっていく。


「え、あの、その、サンク君が凛さん……?」

「ああそうだ、黙っていて悪か――」


「ふぇえぇえええぇぇえぇっ!!?」


「――平折?」


 部屋に、どこから出しているんだと言わんばかりの驚愕の声が響き渡った。

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