第4話 ――ひぃちゃん
「有瀬陽乃……あぁ僕のクラスにも好きな女子がいるよ。モデルさんだっけ?」
「それだけじゃなく、最近では企業のCMや広告にもよく出ているわね。彼女を起用した商品は売り上げが良いそうよ。女子中高生に人気で歳はあたし達の1つ下の高校1年生、学業優先しているって話だからこういうイベントは珍しいわね」
康寅がご執心な有瀬陽乃の事を、俺と同じくあまり興味が無さそうな坂口健太に、南條凛が事細かに説明してくれた。
女子中高生に人気だってことは、平折や南條凛もそうなのだろうか?
しかし詳細を説明してくれた南條凛の顔は、ファンだと思わせる熱は帯びておらず、どこか冷めた空気を纏っていた。
……
周囲で知る者はあまり居ないと思うが、南條凛はどこぞのお金持ちのお嬢様だ。もしかしたら家の事業で何かしら関係があるのかもしれない。
「へ~、南條さん色々詳しいのな。ま、そういうレアなイベントだから行くしかないっしょ、なぁ昴?」
「あぁ……って、ちょっと待て。どうして俺を名指しなんだ?」
「だって昴って、あまりこういうの興味ないっしょ?」
「まぁそうだけど」
「だから俺が買う観賞用の他に、昴には保存用の分を買って欲しいんだよ! お金は出すからいいだろ?」
「は、はぁ」
康寅はそれ以外何があるんだ? と言いたそうな顔を俺に向けた。
いつもならバカらしくて放っておくところだが、康寅には先日の一件で借りがあった。あの時乱入して蹴りを止めてくれなければ、もしかしたら洒落にならない怪我を負っていたかもしれない。
「ん……これで借りはチャラだからな」
「借り……? ま、昴が来てくれるならなんでもいいや。あ、他にも一緒に来たい人居る? それなら一緒に行こうぜ!」
「僕は試験勉強があるから遠慮しておくよ。あと長時間歩いて足の治りが遅くなるのも嫌だしね」
「……あたしも遠慮しとくわ。もしかし……んんっ、あたしもやる事あるからね」
同じ断るにしても、坂口健太と違って南條凛はどこか歯切れが悪かった。
その表情は複雑で何かあると言っているようなものだが……ここで聞くのは野暮というものだろう。
それと――
「……あーその」
「…………ん」
康寅と一緒に行くのはやぶさかでないのだが、どうしても平折の事が気に掛かっていた。
もう一度お伺いを立てるかのように平折を見れば、少し眉毛を八の字にしつつも、大丈夫ですという笑顔を返された。
◇◇◇
「おーし、行こうぜ昴」
「あぁ」
「じゃ、僕はここで失礼するよ」
「あたしもここで。また明日ね」
「さ、さよなら……」
放課後、駅で俺達は別れた。ちなみに梅谷があるのは家の方向と一緒なのだが、急行は停まらないので平折とはここでお別れだ。
何とも言えない表情の平折に『なるべく早く帰る』と伝えたら、『ぅん』という返事だけが返ってきた。その顔を見ていると、罪悪感にも似た感情が胸を襲う。
どこか不安にも似た表情をする平折を1人にしたくはなかったが、有瀬陽乃と会えば何か引っかかっていることが分かるかもしれないという、期待感にも似た思いがあるのも事実だった。
「カーッ! 早く生の有瀬陽乃を見てみてぇ! オレ、芸能人とか見るの初めてなんだよな~、くぅぅ~っ!!」
康寅はと言えば、どこまでもテンションが高かった。
会場に向かうまでの道中も、ミステリアスで少し幼げなところが堪らないとか、あんな年下彼女が欲しいだとか、妹だったら思いっきり甘やかすのになどと悶えていた。
その会場は、梅谷にある大きなビルの本屋だった。
学校の体育館ほどもある広さのフロアの6階建て。その普段は使われていない最上階が会場だという。
近場の本屋が次々と姿を消している昨今、図書館でもないのにこれほどの本に囲まれるのは圧巻だった。
入り口付近にある案内板を見てみれば、今日の有瀬陽乃だけでなく、他にも様々な著名人を集めてイベントを行っている様だ。
きっとこうしたイベントを開催することによって、人を呼び込んでいるのだろうか?
本屋に入る前からすでに、若い男女に加えてスーツ姿の年かさの人達によってごった返していた。全体の4割から半分ほどは俺達と同じく制服姿の学生で、いかに同世代に人気があるのかという事もわかる。
その中には、チラホラとうちと同じ学校の制服姿も見られた。
『写真集を購入した方から、こちらに並んでくださいーっ!』
イベント会場ではここの本屋のロゴが入った法被はっぴを着たスタッフが、人員整理を行っていた。
どうやら先にここで写真集を買わないといけないらしい。
「げ、軍資金が……すまん昴、お前に買ってもらう分は立て替えといてくれないか? 明日返すからさ」
「康寅……ったく、お前な……」
そんなこともあったが、自費で2000円を払い写真集を購入する。別に欲しかったわけでもないが、クリアファイルと団扇を貰って困惑してしまう。そして一緒に渡された整理券と共に、意気揚々とサインの列に並ぶ康寅を追いかけた。
サインの列は結構な人数が並んでいた。100人は超えるだろうか? 遠目に、有瀬陽乃のゆるふわな髪が忙しなく動いているのが見える。
だが、彼女もスタッフも優秀だった。これらの手合いに慣れているのか、列が捌けていく速度は存外に早い。それでも20分はかかりそうではあった。
康寅はと言えば、完全に意識が有瀬陽乃の方向に向いてしまっていた。そわそわと落ち着きがないばかりか、話しかけても反応がない。
手持無沙汰になった俺は、やれやれといった感じで、手に持つ写真集へと視線を落とした。
……
それは表紙からして目を惹くものだった。
白いセーラー服で小川に戯れる有瀬陽乃は、鮮烈な存在感を放っていた。だというのに何故かそのまま水に攫われるような、自然に溶けていくかのような、そんな不安にも似た感情を抱かされてしまう不思議な空気を纏っていた。
パラパラと他のページを捲ってみると、私服姿で街や自然の中でデートをしているような構図だった。
にも拘らずどうしたことか、目を離すとそのまま居なくなってしまうかのような透明感を持っている。
――まるで今にも神隠しに会いそうだな……っ?!
その時どうしたわけか、あの子供の頃遊んだ神社の事を、強烈に脳裏にフラッシュバックしてしまった。
まるでかつてそんな事が実際にあったかのような――
「いつも応援しています! サインはここへ、『康寅君』『陽乃ちゃん』と、相合傘でおねしゃーっす!!」
「あはは、いつもありがと……ん、これでいいのかな?」
「うぉおおぉおぉっ! あざーっす!!」
いつの間にやら列は進み、気付けば目の前の康寅と、そのようなやり取りがなされていた。
康寅は思わず他人の振りをしたくなるようなハイテンションだったが、こう言う事は珍しくないのか、有瀬陽乃もスタッフも慣れたものだった。
「はい、次の……方……」
「あーその、俺は……」
そのすぐ後、俺の順番が回ってきた。
そして前回同様、有瀬陽乃は俺の顔を見て、目を見開き固まってしまっている。
「すぅ――」
「昴ー、そっちは普通な感じのサインを貰ってくれよー!」
「康寅っ!」
「――ッ?!」
昴と呼ばれたのを聞いた有瀬陽乃は、様々な感情をその顔に浮かべた。その中でも驚愕の色が鮮明で、目尻には涙さえ浮かべている。
南條凛が猫を脱ぎ捨てた時の様に、不意打ちを受けて、彼女の素の部分を曝け出したかのようだった。
しかし、それでも有瀬陽乃はプロだった。
そのような動揺を見せたのも数瞬、すぐさま今までと同じ調子を取り戻し、従来通りの応対を再開する。
「はい、サインはこちらの方に書いておきますね――
「……え?」
今度は俺が驚愕で目を見開く番だった。
『見つけてくれたすぅくんへ ひぃちゃんより』
写真集には鳥居を模したイラストと共に、そんな
何かを堪えるようにして微笑むその顔は――どうしてか平折を連想させられてしまった。
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