第42話 突き付ける証拠


 自分でも何をバカな事をやってんだ、と思う。


 掴みかかろうとした坂口健太を制止したくせに、自分は顔面殴打だ。


 だけど俺は、平折の頑張りを知っている。恥ずかしがり屋であがり症のくせに、色々考えて頑張って、そして勇気を振り絞って自分を変えようと踏み出したのを知っている。

 そして俺は、南條凛の苦悩を知っている。複雑な家庭事情で理想の娘を演じることを強要され、それをこなしつつも懸命に前を向こうとするする姿を知っている。


 そんな彼女達の姿を知った。

 自分と違い前を向き、歩もうとする姿を知ってしまった。

 だから尚更、2人への侮辱が許せなかった。


 脳は未だに熱を持ち沸騰している。しかし鈍い痛みを伝える右手が、少しだけ冷静さを取り戻させた。


 ――だからと言って、暴力に訴えるのは最低だよな。


 俺へ手を伸ばす坂口健太、驚きの声や悲鳴を上げる周囲の声、そして眼前に迫った振り上げられた拳を見て、そう思った。


「何すんだ、テメェ!」

「イキがってんじゃねぇぞ!」


「あが……っ!」


「倉井君……っ!」


 元よりロクに喧嘩をした事のない俺の拳が入ったのは、相手の油断があったからだ。ただの不意打ちだっただけだ。

 だから俺は、調子を取り戻した彼らにあっさりと反撃を許し、廊下に倒れて囲まれることになった。


 状況は最悪だった。いや、そもそも俺から手を出したのだから、因果応報か。

 だけど不思議と後悔はなかった。自分の意志を示せたかと思うと、笑みさえ浮かんでくる。


「……っ! 笑ってんじゃねぇぞ!!」

「ぐは……っ!」

「倉っ……止めるんだ、君たち……っ!」


 そんなに俺の態度が気に入らなかったのか、追加で倒れる俺の腹に、ドギツイ蹴りを食らってしまう。一瞬息が詰まり目の前が真っ暗になる。

 大きく嘔吐えづきながらのたうち回る姿は随分情けないに違いない。彼らの嗜虐心を助長するその姿を想像すると、あまりに自分の滑稽な姿に笑いすら零れてしまう。


「てめ、まだ笑っ――」

「余裕こいてんじゃっ――」


「はい、どーん!」


「――なっ?!」


 この緊迫した空気にはそぐわない間抜けな声と共に、俺に蹴りを入れようとした男が吹っ飛んだ。


「おぃおぃ、何楽しそうな事をしてるんだ、昴?」

「康寅……っ?!」

「何だてめぇ!」

「あ、こいつは!」


 そこには妙なポーズを取る康寅の姿があった。どうやら俺を蹴ろうとしていた奴に飛び蹴りを喰らわせたようだ。

 突然の事に俺だけじゃなく周囲も驚いている。坂口健太なんてあんぐりと口を開けっぱなしだ。


 いち早く我を取り戻したのは、康寅に蹴飛ばされた奴だった。湯気が出るほど顔を真っ赤にして、康寅に掴み掛かろうとする。


「はっ! 確かテメェもいまあのビッチに垂らし込まれた――」

「誰がビッチですって?」

「――え? ……がっ!」


 しかしそいつは目の前でくるりと回転し、廊下に顔面から激突した。それは見ている方が痛々しい。

 攻撃が来るものと構えていた康寅は、急な展開に口をパクパクとして間抜けな顔を晒していた。


「ったく、あんた何やってんの? バカじゃない?!」

「……その通りすぎて何も言えないな」


 男を投げ飛ばしたのは、南條凛だった。

 康寅に掴み掛かろうとした奴の手をとり、鮮やかに投げ飛ばしていた。合気道の小手返しという技だろうか?

 つかつかと俺の前にまでやってくると、呆れた様な、しかしどこか見直すかのような感心した顔で、俺の手を取り立ち上がらせる。


「ぁ、ぁの、その……」

「平折……」


 そのすぐ隣では、ハラハラと心配そうな顔をして、どこか怒ったような顔をした涙目の平折がいた。


 他の平折と南條凛を悪しざまに言ってた奴らは動けないでいた。

 当の本人が現れると思っていなかったのか、それとも南條凛に鮮やかに投げ飛ばされてショックなのかはわからない。


「で、これはどういう事かしら?」


 ――何か文句があるなら聞くわよ?


 と、南條凛はまるでゴミの様にくだらないものを見る目で彼らを睥睨し、この場の支配者のごとく君臨していた。

 色んな意味で格の違いを感じさせられてしまい、助けられたというのに圧倒されてしまう。

 この場の趨勢は結した。そんな空気だった。


「何さ、顔の良い男にばかり媚びを売るヤリマンが」

「……へぇ?」


 だから、その発言は意外だった。蛮勇とも言えた。

 その発言者――平折の右頬を叩いた女子、織田真理は、言わずには居られないという様相だった。

 周囲の騒めきや空気も読まず、言いたい事を連ねていく。


「いいわよね、アンタは何もしないで男が寄って来て。わたしがどんだけ頑張っても、アンタはすました顔で好きになった人を奪っていく……はんっ、今だって必死になって男に対して点数稼ぎしてさ、あーあ、これでまたバカみたいに騙される男がいるんだろうなぁ!」


 彼女の口は止まらなかった。

 確かに織田真理の目から見た南條凛の姿はそう見えるのだろう。だけどそれは、ただの嫉妬や妬みとしか思えないような内容だった。

 事実周囲の目も、彼女をどこか痛々しいものを見る目で見ている。


 だけど、織田真理に賛同する女子も何人かはいるようだった。

 まるで親の仇を睨みつけるかのような目で、南條凛を睨みつけている。


「それで?」

「……っ! どうせそいつも今まで磨いてきた身体を使ってたらし込んだんでしょ? 確かにアンタはモテるけどさ、裏を返せばそれだけ経験豊富なビッチってことじゃん。ほら、皆の前で言いなさいよ! あたしは色んな男に股を開いてきた女だっ――」


 パァンッ! と、彼女の言葉を遮るように、突如乾いた音が鳴り響いた、




「私の友達をバカにしないで――このブスッ!!」




 その音は、涙目で彼女の右頬を平手打ちした平折だった。


 誰もが思いもよらない人物の行動に、言葉を失ってしまっていた。

 それは当の本人である平折にも同じのようで、自分のしでかした言動に「あぅ」とか「その」とか、慌てふためいている。

 しかしそれも数瞬、「よし!」と腹を決めたのか胸で拳を作ると、その瞳には迷いは無かった。


「ぶ、ブスっていうのは、顔が変とかじゃなくて、その、凛さんへの妬みとか嫉妬とか、自分がそんなに努力も何もしてないのに誰かを悪く言って、自分がそんなに悪くないよっていう心根が、その、ブスって意味です……っ!」


 そしてどこかこの空気にそぐわない、ピントのズレた事を言いだした。

 あまりに真面目でそんな事を解説しだすものだから、そのギャップでクスクスと周囲から笑いが零れ始めてしまった。


「え……ふぇ……っ?!」


 平折はまさかこの事で笑われるとは思っていなかったのか、慌てふためきつつも意志の込められているという、どこか器用な瞳をしていた。


 ――俺の好きな瞳だった。


 しかし、言われた者にとってはたまったものじゃない。


 織田真理は自分の言われたこと、置かれた状況、そして周囲に蔑まされるという事実を理解すると共に、ますますその顔を醜く歪ませていく。

 そして激情に駆られた彼女は手を振り上げ――平折は身体を固くして身構えた。


「このっ! 吉田こそ元は根暗のブ――」


『あーったく、やってらんねー。吉田のやつマジむかつくんですけどー』


「なっ?!」


『てかもう坂口君に股開いたんじゃね? ああいう奴に限って結構遊んでそうじゃん』


 だがその手は、別の場所から聞こえてきた彼女自身の声によって遮られた。


『どうせ吉田なんて引っ叩いて脅せばいいなりになるっしょ』

『南條もぜってーヤリまくってるって! わたしがあの子の立場ならそこいらのイケメン喰いまくってるってーの!』

『あーあ、最近欲求不満だし、まじ吉田と南條うらやましー!』


 声の出所を探ってみれば、南條凛が掲げるスマホだった。

 録音された者が垂れ流されているそれは、いつぞや非常階段で聞いた台詞のモノも含まれていた。


「おい、この声って……て、吉田さんって陰でリンチとか受けてたの?!」

「マジかよサイテー……吉田さんかわいそう……」

「吉田ァ、もっと叩いていいぞ! オレが許す!」


「な、これっ! ちょっ、止めろ!!」


 南條凛の目は据わっていた。そして弱った獲物を前に、どう料理しようかという姿を連想させられた。


「で、誰がビッチですって?」


 周囲の囁き声は、録音された女子と同じ声の主を責める、非難一色のものに染め上げられていた。

 そんな声や視線に晒された彼女達の顔色は、今にも卒倒するんじゃないかという程、真っ青だ。


「一応、自分の名誉のために言っておきますけどね」


『なぁ南條、オレと付き合えよ。アッチの方はちったぁ自信があるぜ? 何なら一発試してみてか――あがっ!!』

『フンッ! あたしはそんな安い女じゃない、こっちから願い下げだってーの!』


 それは南條凛に振られたという、廊下に投げ飛ばされた奴の録音だった。

 先ほどと同じく地面に打ち付けられる音も収録されており、何があったかは想像に難くない。


「あいつ、振られた腹いせに……」

「器ちっちゃぇ……」

「同じ男としてああはなりたくないよな」


 今喚いていた彼女達だけでなく、平折や南條凛を罵ったやつらも、これらは彼女達に対する腹いせだという事が、周囲に伝わっていく。


 そして南條凛は周囲を見渡し、まるで高らかに歌い上げるかのように、周囲に告げた。


「他にもいろんな録音があるわ。せっかくだし皆にも聞いてもらおうかしら?」


 にこやかな笑顔はしかし、凄絶な凄みを感じさせられるものだった。

 そしてそれに反対意見をのべられるものなど、この場には居なかった。


「~~っ」


 そんな中、叩かれると思って身を固くしたままの平折があわあわしているのが目に映る。

 平折のその姿がなんだかやたらと可笑しくって――南條凛と目が合った俺は笑いを零した。


 そんな俺達に対して不満げな顔をする平折に、更に笑いが零れるのだった。

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