第38話 負けたくない


「これを見てしまって、その……あぁ、上手く言えないけれど、吉田さんが酷い目に会ってるんじゃないかって……」

「ふぇっ?!」


 坂口健太は焦燥感に駆られた表情で、平折の前まで一気に距離を詰めた。

 スマホを握りしめる手は、ミシリという音が聞こえてくるんじゃないかと思える程強く握りしめられ、赤くなっていた。


 それだけ、平折の身を案じていたという事がわかる。

 しかし、周囲の視線や反応までどうなってるかまでは、頭が回っていないようだった。


「あれ、なんで坂口がここに……?」

「どうして……まさかあの噂、マジだったのかよ?!」

「え、うそ?! 付き合ってるの?!」

「昴ぅ……月は死んだ……儚い夢だった……」


 件のSNSの事も、元を辿れば坂口健太が平折に好意を持っているという噂からだ。

 実際のところがどうであれ、彼の行動は周囲の噂の火種を燃え上がらせるのに十分といえた。


 恐らくこれは、坂口健太の正義感からくる暴走なのだろう。


 彼は真剣な眼差しで見つめ、平折はあわあわと目を泳がせている。

 南條凛は予想外の出来事に目を白黒させており、周囲の目はこれから告白でも起こるんじゃないかという期待に彩られていた。


 もはや事態は、その噂が真実になるんじゃないかという空気を作り出していた。


 ――これはマズいな。


「吉田さん、僕はっ――」

「坂口、ちょっと来い」

「――何をし……き、君は……?」

「……話がある」


 考えるよりも先に身体が動いていた。


 坂口健太は強引に腕を掴んで外へと誘う俺に、一瞬怪訝な表情を見せる。

 しかし俺の顔を認めると、スゥっと目を細めた。それは俺を見定めるかのような目だった。


 俺の方こそお前を見定めるのだと見つめ返すと、フッと口元を緩める。

 そして、何かを確認するかのように周囲を見渡した。


「……場所を変えたほうがいいかい?」

「話が早くて助かる」


 さっきの行動は頭に血が上っていただけで、どうやら状況を冷静に把握する能力には優れているらしい。

 それもそうか、サッカーというチーム競技をしているならば、それも当然か。


「あ、あの……っ!」


 平折はハラハラした様子で、俺と坂口健太を交互に見やる。

 目尻には薄っすら涙も見えて、心配そうな視線を送ってくる。

 気持ちはわからなくもなかったが、今は彼をここから引き離すのが先決だと思えた。


「ちょ、ちょちょちょっと待ちなさい、倉井! アンタその、ええっと――」

「凛、ここは俺に任せてくれ。悪いようにはしないつもりだ」

「……っ! う、そんな顔で……ま、まぁいいわ、信じるからね」

「あぁ、ありがとう」

「ふ、ふんっ!」


 我に返った南條凛は、大丈夫かと俺に迫ってきたが、俺の覚悟が伝わったのか信用してくれたのかそれ以上何も言わなかった。


 だけど依然として平折は心配そうな目で俺を見ていた。

 もう少し信頼して欲しいと、なるべく笑顔を務めて言葉を告げる。


「平折、良いから待っとけ」

「あぅぅ……」


 それでも心配そうな声を上げる平折に、もっと信用してもらうように頑張らないとな、と思った。


 坂口健太と一緒に教室を出て扉を閉める。

 それと同時に、女子の騒ぎだす声が聞こえた様な気がした。




◇◇◇




 坂口健太に先導されてたどり着いたのは、いつぞや平折と話をしていた校舎裏だった。

 ここなら人気も無いし、誰かに話を聞かれる心配もない。


「すまない、僕が軽率だった」

「お、おぃ、頭を上げてくれ。それを俺にされても困る」


 着いて早々頭を下げられ、面食らってしまう。

 恥ずかしそうに苦笑いを零し、先程の行動がどういうものだったか理解している様だった。


「えぇっと、君は……」

「倉井だ」

「倉井君、君はどこまで知ってるんだい?」

「一応、本人の口から全てを聞いている。頬を叩かれた事もな」

「……そうかい」


 その事を聞き、罰の悪そうな顔を見せた。

 きっと彼の中でも平折が叩かれた件は、負い目になっているのだろう。


 しかし、気になる事もあった。


 噂では坂口健太という人物は、部活に注力しており女子に関する事や色恋沙汰には興味が無いという。

 事実、南條凛の調べでもそういった浮いた話の1つも拾えなかった。


 だからこそ疑問に思う。


 今までの調子ならば、平折の頬の件も余程アンテナを伸ばしていないと知らなかった出来事だろう。

 偶然俺は頬の様子に気付いたが、南條凛でさえ非常階段であの陰口を聞くまで気付かなかった。


「どうして、吉田平折を気に掛けているんだ?」

「え……? どうして、とは……」

「今までの事を考えると、いささか吉田平折にやたら目を掛けているように見える」

「それは……うん、そうだね。そうかもしれない」


 坂口健太は、まるで自分に問いかけるかのように、確認するかのように呟いた。

 そして何かすっきりしたかのような顔に変わり、今までより、一層険しい表情に変わって俺を見つめる。


「でもそれは倉井君も同じに思える……君はどうしてなんだい? 君は一体、彼女の何なんだい?」

「俺、は……」


 ズキリと胸に突き刺さる言葉だった。


 平折は義妹だ。同じ屋根の下で暮らす家族だ。

 それだけに、俺にとって特別な女の子と言える。


 だが、その事を坂口健太に言えない。

 それに、ただ義妹だからという理由で、彼が納得するとは思えなかった。


 ……自分でも、何故かそれが薄っぺらいような理由に思えた。


 目の前の坂口健太は真っ直ぐな瞳で、何かを探る様な、ともすれば挑発するかのような瞳を俺に向けて来ていた。

 虚偽は許さない、心の奥底を見てやると――そんな事を物語っているかのような瞳だ。


 だから……いや、だというのに――


「平折はその……昔から気に入らないところがある奴だったんだ」

「……え?」

「口下手で言いたいこともちゃんと言えず、変に意固地で我慢ばかりしていて、見ている方がイライラする。そのくせ頑張り屋だったり勇気をだして変わろうとする凄い奴で……だというのにポンコツだしよくヘマはするし……あぁもう、とにかく見てらんねーんだよ、アイツは!」


 出てきた言葉は支離滅裂だった。自分で言っていて、これは無いと思う。こんなのただの悪口だ。


 しかしこれが、義妹というフィルターを取っ払った平折に対する思いだった。

 自分でも呆れてしまって、変な笑いが零れてしまう。

 こんなのじゃ到底、誰が聞いても納得なんてしないだろう。


 だというのに、坂口健太は凄く穏やかで、嬉しそうとも言える表情をしていた。


「僕はね、最初リフティングが3回も出来ないほどサッカーが下手だったんだ」

「何を……?」

「実際僕に才能というものはなかった。何度も周囲に『辞めてしまえ』『時間の無駄だ』と随分と罵られたよ」

「……え?」


 急な話題に、どういうことか困惑する。

 だが坂口健太の独白は、何故か無関係ではないのだと訴えかけるものがあり、ついつい耳を傾けてしまう。


「吉田さんはね、その時の自分と重なったんだ。僕は必死に努力したさ。そしてその努力の結果で周囲を認めさせ、その評価を変えた。だというのに……吉田さんはどうだ?! あれほどの努力、勇気を振り絞ったというのに、あいつらは一体何をした?! これが許せるか?!」


 人の努力を嘲笑うなと――己のそんな過去があったからこそ、俺の胸を撃つ咆哮だった。


 確かに、先程の行動は坂口健太の独善的な理由からのモノだったと思う。

 だがその根底にあるのは、過去の己への自己投影にも似たシンパシーから来るものだった。


 何だかそれが、自分の中の平折に対する曖昧な気持ちと違って真っ直ぐて――羨ましいと共に嫉妬じみた感情が沸き起こって来てしまった。

 自分でも身勝手だとは思う。


 だというのに、自分と対等と認めるかのような坂口健太の瞳を逸らすことは出来なかった。


 ――お前には負けない。


 そんな子供じみた感情と共に睨みつけるかのように見つめ返す。


「君も、吉田さんを守ろうとしているのだろう?」

「そんなところだ」

「僕も手伝いたい、仲間に入れてくれ」

「……余計なことをしないならな」


 互いに不敵な笑みを浮かべ、俺達は互いの手を取り合った。

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