第37話 巧い一手


 ガタンゴトン――早朝の電車が独特の音を立て、俺達は揺られていた。


「……」

「……」


 俺と平折は無言だった。

 いつもと違い、緊張感を孕んだ沈黙だった。


 平折は身をガチガチに硬くなっていた。

 おそらく俺も同じように硬くなっているのだろう。握り締めた拳が痛い。


『――――学園前、――――学園前』


 車内のアナウンスが降車駅であることを告げる。

 扉が開き、いつもならここで別れるところだ。


「平折、行こう」

「……ぇ」


 だけど今日に限っては、一緒に行かないという選択肢は無かった。


 驚く平折を促して、隣に並んで歩く。

 周囲の反応が気になるのか、平折は少し顔を赤らめながら俯いていた。


「来たわね……って、倉井も一緒だったんだ?」


 改札を抜けると、不敵な笑みで腕を組んでる美少女がいた。

 その瞳は据わっており、まるで狩りを行う獰猛な肉食獣を連想させ、頼もしさすら感じさせる。


「そりゃ、昨夜あんなものを見せられたら気になってな。ダメだったか?」

「ふふっ、全然。いい心がけだわ」


 お互いニッと笑い合う。きっと思いは一緒だろう。

 平折も胸の前で拳を握り「んっ」と気合を入れている。


 南條凛と平折を先頭に、学校に向かって歩き始めた。


 思えば3人での登校は初めてだ。

 何だか不思議な感覚だった。

 俺も注目されているのがわかる。


 いつもは良く目立つこの2人の背中を、少し離れたところから眺めていた。

 どれだけの視線を集めていたか、客観的に見てきたはずだ。


 先週までと違い、拡散された悪意あるSNSのせいで、そういった悪意のある視線をぶつけられると思っていた。


「はぁ、南條さんに吉田さん、今日も可愛いなぁ」

「で、あの男子誰だ? あんなやつうちに居たっけ?」

「くぅ、オレもお近付きになりてー!」


 しかし、俺に対する好奇や疑問がぶつけられる程度で、平折と南條凛に対する悪意というものは感じられない。


「あら、意外そうな顔ね?」

「正直、もっと酷いことになると身構えていたから拍子抜けだ」

「ま、普段のあたしの行いのお陰ね。むしろここは堂々とするべきよ。コソコソして勘繰られるような態度を取るより、よっぽどいいわ」

「そ、そうか」


 平折も同じく拍子抜けだったのか、胸元で握り締めた拳をどうしたものかあわあわしていた。

 時折目が合い、困った顔で可愛らしく首を傾げる。

 俺は曖昧に笑って頷き返すだけだった。


 よくよく考えれば、最近平折にべったりだったとはいえ、南條凛は男女わけ隔てなく接する娘だ。

 俺だって散々その姿を見てきていた。

 だから俺と一緒だろうと、違和感を感じる人はあまりいないのだろう。


「もっとも、SNSの件に関してはいくつか根回ししたり手は打ったってのもあるけどね」

「随分手が早いな」

「……向こうの思い通りになんてさせて堪るかってーの」

「ははっ」


 もしかしたら、昨夜あの後相当に手を回したのかもしれない。

 くつくつと低い笑い声を出す南條凛を見て、この少女の底知れなさを実感してしまった。




◇◇◇




 登校中もそうだったが、教室でも俺は注目を集めていた。

 そこに悪意といったものは無く、どちらかといえば急にイメージを変化させた俺への興味の視線ばかりだ。


 平折ほどでは無いとは言え、衆目に晒されるのは何だか落ち着かない。


「うぉおぉおぉっ、ホントだ?! 昴が色気づきやがった?! ど、どどどどどうしたんだ、一体?! もしかして彼女が出来たのか?! くぅっ、それは断じて許せん!!」

「違うし、近いし、キモい! 興奮しすぎだ、康寅!」


 話を聞き付けたのか、隣のクラスから康寅が駆けつけて来て騒ぎ始めた。


「いやでも実際どうしたんだ? ていうか本当に昴か? 何この爽やかイケメン風になってんの?! きぃ~、悔しいっ!」

「ていうか本当に何やったんだ、倉井? 雰囲気全然違いすぎて信じられねぇ」

「私も気になるなぁ、なんかすごくいい感じに爽やかっていうか……それ、髪だけじゃないよね?」

「顔全体がすっきりしてるというか、その肌ツヤとかちょー気になるんですけど!」


 その康寅に便乗する形で、何事かと興味をもった奴らが俺の周りに集まってきた。

 男子だけじゃなく、女子にも髪はどうしただと、手入れがどうしてるのだと質問攻めにされる。


 ――平折の時も、こんな風に色々聞かれていたな。


 ふと、そんな事を思い出した。

 しかし、大勢に囲まれることに慣れていない俺は、どうやって答えたものかとしどろもどろな状態になってしまっており、傍から見ればきっと情けない姿になっていたと思う。


「あたしが倉井プロデュースしたのよ。どう、凄くない?」

「――っ! り……南條、凛」


「え、うそマジで?」

「あ~、でもそれなら納得だわ」

「倉井君を男前にしたのも南條さんなの?!」


 そんな俺に助け舟を出したのは俺のクラスにやってきた、ドヤ顔の南條凛だった。

 後ろには平折も着いて来ており、どうしたわけか口を尖らせジト目になっている。

 どちらにせよ、やたらぐいぐい来ていたクラスの女子から解放されたのは幸いだった。


 つい名前で呼びかけてしまったが、さすがのこの状況で言うのは余計な混乱を招きそうだと思いフルネームで言い直す。

 それがあまりお気に召さなかったのか、一瞬不満そうな顔になるも、すぐさま悪戯っぽい顔に変わった。


「あそこの美容院、腕がいいでしょ? お勧めの美容液もいい感じみたいね」

「あ、おい!」


 そう言って、俺の髪を取りぐりぐりと弄くってきた。

 背後から「きゃーっ」とか「うおぉぉっ!」とか言う声と、「昴、後で髪触らせろ!」という康寅の声が上がった。あと、平折の視線が痛い。


 ――コイツ、わざとだな!


 ジト目で睨みつけるも、可愛らしく舌を出されるだけだ。


 そんなやり取りはしかし、耳聡い女子達の興味はすぐさま、発せられた単語に移った。


「えっ?! 倉井君の美容液気になるんだけど! このツヤと明るさだよ?!」

「その話詳しく! ていうか教えて?!」

「あはは、いいわよー。と言っても贔屓にしてるところの試供品を上げただけで、普段使ってるのは――」


 その話題は女子にとって看過できないことなのだろう。「今まで陰気そうだった倉井君が一変した!」「あの倉井君でも爽やかになる魔法の液体!」などと興奮気味の言葉が聞こえてくる。


 ――俺、今までそんな風に思われていたのか。


 その事にちょっとどんよりとした気持ちになってしまう。平折が慰めるかのような視線を送ってきて、余計にへこんでしまった。


「てか倉井、あそこの美容院ってどこだ?! 俺が行っても変われるか?!」

「南條さんが言ってたけど、髪以外にも何かやってるのか? 教えてくれよ!」

「あ、あぁ。まゆ毛や肌の手入れも……先に言っておくけど、案外面倒くさいぞ。それにカットは6500円もかかった」

「うげー! でもそうだよな、それくらい手を掛けてこそだよなー」


 男子にとっても気になる話題だったのだろう。

 康寅以外にも色々と詳細を聞いてくるが、掛かった費用や手間を教えると、その顔色に面倒臭さを隠そうともしなかった。

 女みたいだな、なんて揶揄うやつも居たが、平折や南條凛はそれ以上に手間もお金もかかってるぞと言えば納得した。


 今朝身構えていたのが馬鹿らしくなるくらい、周囲の空気はいい感じのモノだった。

 俺たちの会話に混じる人は増えていき、男子も女子も概ね好意的なものを寄越してくれている。


 南條凛はと言えば、平折に引き続き俺を変身させたという事で、より一層評価を高めていた。


 ――だから、その中で舌打ちしたり明らかに敵意を向ける視線は良く目立った。


 何人かの女子と、それと男子。明らかに苦々しい顔は、自分で犯人ですと言っているかのよう。

 しきりにそちらの方に視線を送る南條凛のおかげで、彼らが抱いている感情というのが、俺たちの周囲にも周知させられていく。


 巧い手だな、と思った。


 何度も昨日俺をプロデュースしたと周囲に徹底して伝えている。

 それ以上でもそれ以下でもない、と。

 これならたとえ昨夜のSNSの写真が拡散されたとしても、拡散した側が嫉妬からやった事としか思われない。

 南條凛の口元には、獰猛とも言える笑みが浮かんでいた。


 ――こいつを怒らせることだけはするまい。


 硬く心にそう誓った。

 今周囲に居る中には、既に拡散されたものを見たやつも居るのだろう。

 何となく察したような表情をしていた。


 だがその拡散されたSNSの悪意に気付きつつ、居ても立っても居られなくなる人種というのもいる。


「吉田さん、大丈夫かい?!」


 和気藹々とした教室の空気を、切羽詰った大声が切り裂いた。

 一瞬にして静まり返り、声の主に注目が集まる。


 サッカー部のイケメンエース、坂口健太。


 その手にはスマホを持ち、焦燥した顔で飛び込んできた。

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