第29話 人形
数日が経った。
土曜日になり、平折と南條さんの買い物の日は明日へと迫っていた。
あれから特に平折に対しての動きはなく、平穏に見える。
「はぁ、もうすぐ中間テストか……」
「実力テストみたいに補習は回避しないと……」
「そろそろ進路にも響いてくるし、本腰いれないとやばくね?」
教室では、あちらこちらから中間テストに対する話題が上るようになっていた。
それは隣のクラスでも同じだった。
「凛ちゃん、中間の勉強始めてる?」
「わたし英語ちょっとヤバいんだけど……」
「今度勉強会でも開かない?」
「あはは、近付いたらどこかのファミレスでも行く?」
先日までと違い南條凛は平折とべったりというわけでもなく、以前までの様にグループで行動することが多くなっていた。
もちろん平折も一緒だ。おかげで、平折に対する防御壁にもなっていると言える。
「吉田さんはどう? 進めてる?」
「暗記物を少しだけ……」
そして平折は、今までのように聞き役に徹する事は許されていなかった。
積極的に話しかけてくる女子が多い。
――それもそうか。
平折は今や南條凛に比肩しうる程の美少女だ。
彼女達の世界では、平折と仲良くしていると有利に働くのだろう。
……何だか釈然とはしないが。
とにかく、傍目には平折が話しかけられる機会が増えた位で、以前と元通りになった様にも見える。
だが事情を知っていれば、以前とは違う部分が確認できた。
「……チッ」
それは明らかに平折に対する好意的でない視線だった。
――確か織田真理、だったか。
かつて非常階段で南條凛に告白した男子を好きだったという子だ。
以前は南條さんのグループに居た子で――そして、平折に平手打ちをした実行犯。
南條凛がそれらを突き止めた今、明らかに冷遇されていた。
周囲もそれを感じ取っているのか、彼女に近づく人は居ない。
孤立しているのは自業自得だ。同情はしない。
忌々しそうに平折を睨みつけると、教室を飛び出していった。
南條凛と目が合う。
どうやら泳がせておけという事らしい。
「はぁ……大輪の花を彩るにはカスミソウの様な地味な花があってこそ映える……そう思わないか、昴?」
「康寅、お前凄い事言ってるぞ。女子を敵に回す気か?」
ちょっとした変化があったものの、康寅の態度は相変わらずだった。
かなり際どい事を言っているが、そのいつもとブレない態度に、ちょっとだけ安心感を覚えてしまったのは秘密だ。
――これ以上大きなことが起きなければいいんだけどな。
康寅と一緒に平折達を眺めながら、そんな事を思った。
「それより坂口の噂、聞いたか? あいつマジっぽいよなぁ」
「あぁ……」
懸念事項は織田真理の動向だけじゃなかった。
どうやら坂口健太はこの数日、積極的に平折の話を聞いて回っているらしい。
噂に上ってくる内容を聞くに、どうやら正義感故の行動の様だ。
おそらく平折の右頬の件について、情報を集めていると思われるのだが……
なんだか嫌な予感が拭えなかった。
◇◇◇
まだ太陽が中天にあるが、俺と平折は帰宅の途に着いていた。
俺達の学校は、一応私立の進学校だ。
土曜日は休みでないが、午前の授業で終わる。
当然ながらお昼がまだなので、帰りにコンビニに寄った。
ちなみに買ったのはから揚げだ。コラボアバターの為に、俺もちょくちょく食べ進めている。
「あ、あの。手伝い……ます?」
「いや、急いで欲しいわけじゃないし、いいよ。」
平折は驚きつつも、から揚げにした意図を読み取った。
以前の事があったので手伝いを申し出てきたが、丁重に断る。期間までに間に合えばいいしな。
明らかにホッとした顔をしたので、かつてお腹を壊したことを思い出し、クツクツと笑いが零れる。
平折は拗ねた顔をして、そっぽ向かれた。
…………
……
「ごちそうさま」
「……ごちそうさま」
食べ終えたダイニングテーブルの上には、空のから揚げとカップ麺の容器。
ちなみに平折は、激辛で有名な店と共同開発したタンメンのやつを食べていた。
想像以上に辛かったのか、さっきからずぅっと水の入ったコップを手放せていない。
……それにしても、テーブルの上はあまり健康的とは言えない惨状だった。
両親の都合上、夕飯を各自で用意することは結構な頻度である。
前回、一緒にカレーを食べたのは記憶に新しい。
――今後の食生活を考えると、レパートリーを増やしてもいいかもしれないな。
「ちょっと本屋に料理本でも見に行ってくる」
「ふ、ふぇ……は、はひっ」
平折は未だに涙目で、当分水は手放せない様子だった。
唇が少し赤くなっているのが、なんだか平折らしくて可笑しかった。
そうして、手早く着替えて家を出た。
……
自然な感じで出られたと思う。
本屋に行こうと思ったのも本当だ。
だが本日土曜日は、南條凛に色々教えてもらうために指定された日でもあった。
別にやましい事は何も無いんだが……何となく、悪い事をしている気がした。
『今家を出た。4~50分程で着くと思う』
簡潔にメッセージを送り、南條凛の家を目指す。
帰ってきたばかりなのに、学校方面の電車に乗る事が何だか不思議な感じだった。
電車の接続が良かったので、思ったよりも早く着いた。
南條凛からの返事は未だ無かったが、もし何かの用事で居なかったら本屋に寄ればいい。
駅前では部活帰りと思われる制服姿チラホラと見え、なるべく彼らに見られない様にと心がけて南條凛の家を目指す。
杞憂かもしれないがお世話になる以上、それくらい心がけたい。
家の場所も隠しているようだったし。
――まるで秘密の逢瀬だな。
そんな事がふと脳裏を過ぎるが……事実、秘密の逢瀬以外の何物でもなかった。
だからだろうか。
「凛、私としてはお前の成績さえよければ多少のことは目を瞑る。精々、私を失望させないでくれ」
「凛、あなたの私生活がどうなろうとも構わないけれど、あまり南條の家に迷惑をかけないで頂戴ね」
「はい……お父様、お母様」
タワーマンションの前には、一組の親子が居た。
俺から見ても分かる仕立ての良さそうなスーツに身を包んだ壮年の男女と、南條凛だ。
親子の会話であるにもかかわらず、明らかに剣呑さを感じる冷たい空気を孕んでいた。そう、感じ取ってしまった。
何より南條凛が――普段の明るさや華やかさなど微塵も感じ取れない、虚ろで生気の無い目で薄く微笑んでいる。
――人形。
そこに居たのは、南條凛に似た人形めいたからっぽな何かだった。
まるで後頭部を殴られたような衝撃があった。
それにあの目、俺は昔どこかで……
「ではな、凛」
「迷惑はかけないようにね、凛」
「はい」
南條凛の両親は、学業やスポーツの成績の維持、学校内での教師への高評価を心掛けるようにと告げ去っていった。
それはまるで南條凛という
素人目にも高級車とわかるそれを見送った南條凛は、魂が抜けた様な表情で立ち尽くしていた。
それは、見てはいけないものを見てしまった気がした。
なんて声を掛けて良いかわからなかった。
……
あの時、俺は――
「……倉井?」
「……悪ぃ」
身を隠すようにと言っても、所詮は住宅街だ。かくれんぼにもなっていない。
だから南條凛が俺を見つけるのはさほど難しい事じゃない。
故意ではなかったとは言え、覗き見する形になってしまったのは事実だ。素直に謝ることにした。
いつもなら『デリカシーが無いわね!』と憎まれ口を叩くところだ。
「つまんないもの、見せちゃったわね……」
「……南條っ!」
だというのに南條凛は申し訳なさそうに、何かを我慢するかのように力なく笑った。
それがどこまでも気に入らない顔を連想させ――そして、初めて出会った時の
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