第30話 人形②


「……」

「……」


 お互い無言だった。

 今までにない気まずさだった。

 俺達を見下ろす無機質なタワーマンションが影を落とす。


 それが余計に、この場の空気を重くしていた。


「ここじゃなんだし、家に来て」

「……わかった」


 そう言って南條凛は制服のスカートを翻し、幽鬼の様な足取りで入口へと向かっていく。


 まるでそれはショーケースに自ら戻る自動人形じみており、その背中に何て言葉を掛けていいかわからなかった。


「入って」

「……お邪魔します」


 南條凛の家に来るのは3回目だった。

 だというのに、前回とは違った違和感を感じてしまった。

 なんとなくだけど温かみを感じる様な……しかし目の前の南條凛とは真逆の雰囲気で、どういうことかと困惑してしまう。


 前と同じようにリビングに通された時、その原因らしきものが目に飛び込んできた。


 大皿に飾りのように盛りつけられたパウンドケーキにクッキー、それになみなみと注がれた手つかずの紅茶。

 ……どういうことか大体予想が付いてしまった。


「今日ね、両親が来てたの……って、さっき見られちゃってたわね」

「あぁ」


 チラリとキッチンの方を見てみれば、まだ片付けられていないケーキナイフとパウンドケーキの型があった。おそらくクッキーも手作りなんだろう。

 紅茶ですら一口も付けられていない所を見るに、南條さんの親子関係が一目瞭然と言えた。


「さ! んじゃ色々と始めましょっか」


 さっきと打って変わって明るい声を上げる南條さんが、見ていて痛々しかった。


 まるでいつもの事だと言いたげな表情だ。

 だけどさっきの顔を見るに、ショックを受けていないハズがない。

 目の前の冷めた紅茶を見ていると、何とももどかしい気持ちになってくる。


「なぁ、実は昼まだなんだ。これ、食っていいか?」

「え?」


 返事を待たず、パウンドケーキに手を伸ばして頬張った。


 しっとりふんわりした食感に、角切りにされたりんごとレーズンの甘みが口の中に広がる。

 ほんのりと温かいそれは、満腹にもかかわらずいくらでも食べられるほど美味しかった。

 クッキーも砕かれたチョコが入っており、手が込んでいるのがよくわかる。


「紅茶も貰うぞ」

「もぅ、勝手に……あたしもお昼まだだったし、まずは腹ごしらえにするわ」


 いきなり無遠慮に食べ始めた俺を、呆れた顔でため息を吐く。

 これは今、南條凛の目の前に置いてはいけないものだ。


 ――明日、平折と暗い顔で会うっていうのもな。


「……ありがと」

「何のことだ?」

「うぅん、なんでも」

「…………そっか」


 目の前のお茶が減ると共に、少しだけいつもの調子に戻ったような気がした。




◇◇◇




 お茶菓子を片付けた後、俺は南條さんと至近距離で向かい合っているらしかった。

 らしかったというのは、目を瞑っていたので、彼女の気配を察する事しか出来なかったからだ。


「痛ててててっ」

「動いちゃダメだからね!」


 手始めにということで、俺は南條凛に眉を整えられていた。

 ピンセットの様な毛抜きで、チクチクと何度も抜かれて意外と痛い。


「はい、おしまい! しばらくしたらまた生えてくるから、その時は自分でしなさいよ。細くするんじゃなくて、余分な場所を抜いて形を整える感じね。ほら、どう?」

「……なんとなく、すっきりした感じだな」


 鏡を覗けば、そんな感じになった自分が居た。

 多少整った違う印象がするが、そこまで変わったような気はしない。


 ……こんなものなのか?


「はい、後はこれ。洗顔したら化粧水で潤して、乳液で保湿ね。清潔感を大切に。後は髪だけど……あたしの美容院を紹介するわ」

「あぁ、ありがとう……いくらだ? 払うよ」

「試供品でタダだから別にいいわよ。……なんとなく、これで良いのかって顔ね」

「……わかるか?」


 弱気な顔になっていたのでつっこまれたのだろう。


 どうしたって元の素材というものがある。

 少し手を入れただけで劇的に変わるのかと言われると、少し現実味がなかった。


 平折は確かに変わったが……


 そんな俺を、「しょうがないわね」と呟いた南條凛が、こつんと胸に拳を当てた。


「見た目を変えるのはタダの切っ掛け。本当に変えるのはここでしょ?」

「っ! その通りだな」


 そうだ、こんなのあくまで切っ掛けでしかない。

 自分を変えるには自分の努力が不可欠だ。


 平折は、そうやって勇気を出して一歩踏み出して行ったじゃないか。


 俺が変わりたい理由は平折だ。

 今では右頬の件もあるし、学校でもなるべく近くに居て守りたい。


 そして南條凛も色々な面を知ってしまった今、何かの力になりたいとは思う。


 今まで散々平折の事で世話になっているし、今だって色々と教えてもらっている。

 せめてその恩は返したい。


 ――その為にも、弱気になってる場合じゃないな。


「ありがとう。学校で南條達と話せられるように努力するよ」

「……っ! えぇ、楽しみにしているわ」

「…………ふっ」

「…………くすっ」


 どちらからともなく、笑いが零れた。


 なんだかお互いに励ましあったような感覚だ。


 ――あぁ、そうだ。やはり平折と知らない頃のフィーリアさんとのやり取りに似ているんだ。


 南條凛の事が気に掛ってしまうのは、そう言う事なのだろう。


 時計を見れば、もう3時を回ろうとしていた。

 下心が無いとはいえ、あまり女子の一人暮らしの家に長居するのも体裁がわるい。

 そう思ってソファーから立ちあがった。


「今日は助かった。邪魔したな、南じょ――」

「待って!」

「…………南條?」

「……え? あれ? あたし……」


 だというのに、ひどく強い声で呼び止められた。

 腕もしっかりと握られている。


 突然の事に驚いたが、南條凛本人も自分に驚いている様子だった。

 目を大きく見開いて、口も開けっ放しだ。


「……」

「……」


 何故南條凛がそんな事をしたのかわからない。

 本人でさえわかっていないのに、聞いたところで答えなんて返ってこないだろう。


 俺はいつも平折にそうしているように、南條凛の言葉が見つかるのを待った。

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