第27話 隣の距離
北側にある校舎裏は、最近めっきり沈むのが早くなった太陽のお陰ですっかり暗くなっていた。
――随分小さいな。
平折の手を包みながら、そんな事を思う。
勇気があって、努力をし、己を変えようとする女の子。
眩しいとさえ感じたその子はしかし、今は迷子のように震えていた。
平折の状態は尋常ではなかった。
昨日頬を腫れさせていても、何でもないと言って振舞ってさえいたのに、一体どうしたというのだろうか?
「……ごめんなさい」
「……平折?」
何故か、平折に謝られた。
それと同時に、俺から離れていく。
一体それは何に対して――
「……」
「っ!!」
振り返ると、平折が薄っすらとした笑みを浮かべていた。
どこか物悲しく感じる――いつかの自分に我慢を強いる、俺の気に入らない愛想笑いと同じだった。
そしてこの沈黙……ここに来て何も言ってくれないことに、どうしようもなく腹が立ってしまった。
自分ひとりで抱えようとしてしまう平折と、頼られない不甲斐ない己に。
きっと。
このままだと平折は、誰かに弱みをこれ以上見せることなく、我慢し続けるのだろう。
今しがたの事は、一時の気の迷いだったと過去へと葬り去られてしまうに違いない。
もし、このまま俺と南條凛でこの件を解決したとしても――平折はこのままだ。
それがどうしようもなく許せなかった。
「平折、教えてくれ。何があったんだ?」
「……え?」
だから俺は一歩踏み出し、平折の目に訴えるかのように言った。
しかし平折の目は驚きと戸惑い、そしてほんの少しの拒絶に似た色に彩られていた。
……それがほんの少しショックだった。
俺の勝手な思い込みかもしれない。
嫌な事を思い出させて傷付けるかもしれない。
それでも――今が平折の内側へと踏み込むべきだと思ってしまった。
「平折……」
「……っ!」
右頬の件や、さっきの坂口との事だけじゃない。
俺はまだ平折の知らない事だらけだ。
「俺はもっと平折の事が知りたいんだ」
「~~~~っ!!」
何もかも、とは言わない。
せめて大事な事は、大変な事は、一緒に背負って共に悩みたかった。
ジッと、潤み揺れる平折の瞳を見つめる。
いきなりこんなことを言われて困っているのかもしれない。
事実、平折は顔を赤くしながらあわあわと取り乱しているのが分かる。
「あぅ……その……えっと、わたし結構ドジなとこあるし……迷惑かけちゃう……」
「平折」
「こ、この間もから揚げ食べ過ぎてお腹壊しちゃったし……」
「平折?」
なんだか平折も混乱している様だった。
本人も自分で可笑しなことを口走っている自覚があるのか、どんどん顔を真っ赤にしていく。
大事な話をしているはずなのに、なんだか締まらなかった。
だけれども、それが
何だかそれが可笑しくって――だからこそ強く思った。
「平折をもっと教えてくれ」
「ぁ……」
辛いことは溜め込まないようにと、ちゃんと話して――俺を頼ってくれと、その右頬に手を添えた。
俺の思い込みなのか、昨日打たれたその頬を、熱いと感じてしまう。
「……」
「……」
今までにない沈黙だった。
いつもと違う互いの思惑が交差し、緊張感に溢れる沈黙だった。
平折は俺の目を覗くかのように見つめ、目を閉じた。
きっと平折の中で迷いがあるのだろう。
それを逡巡しているのだろう。
俺を巻き込んでいいかどうか、考えているのだろう。
気遣いは嬉しいが、俺はとっくに覚悟を決めていた。
「平折……」
「……はぃ」
平折が両手を目の前で祈るかのように合わせる。
「誰が頬を叩いたか教えてくれ」
「…………………………ふぇ?!」
突如、平折がビックリしたような、素っ頓狂な声を上げた。
あれ? 何か反応が……
「え、あ、はい! その、うちのクラスじゃなくて、他の……坂口君のクラスの女子の人達に呼び出されて……わ、わたしはその坂口君とは関係ないし、相手の言ってる事も良くわかんなかったので、はいはい、と頷いておけば解決するかなと思って黙っていただけでっ……っ!」
「さっき坂口と一緒だったのは……」
「え、えっと、なんかわたしがその子達に坂口君絡みでイジメられたという噂を聞いて、本当かどうかって……あ、坂口君とは同じ図書委員で前から面識があって、それでさっき終わったついでにというかなんていうか……あぅぅ……」
「そ、そうか」
早口だった。
こんなに慌てて話す平折を見るのは初めてだった。
それだけでなく、両の拳を握りしめ、ぐいぐいと力説するかのように迫ってくる。
その普段の姿らしからぬ行動に圧倒されてしまい、虚を衝かれてたじろいでしまう。
――ああ、でもそうか。
何となく、平折が叩かれた背景が見えてきたような気がした。
平折の言葉と、先ほどの坂口の態度……予想とそう遠くはないはずだ。
……
だけど、何かが引っかかった。
おそらく平折は全てを話していないと感じる。
今はこれだけでいい。ほんの少しだけど……話してくれたことに意味があったんだ。
「平折」
「は、はぃ!」
「話してくれてありがとう」
「~~~~ぁぅ……」
そうだ、これから少しずつ、何でも話してくれるようになればいい。
◇◇◇
その後、落ち着いた平折と家路に着いた。
歩きながら右頬の件の詳細を聞いたが……それは後で南條凛と一緒に考えるとしよう。
初瀬谷の駅に着くまでは特に会話が無かった。
「……」
「……」
いつもの沈黙がそこにはあった。
だけど俺の中はいつも通りではなかった。
『平折を教えてくれ』
そう言って頬に添えて見つめる……さすがに頭が冷えてくると、その行為がどれだけ際どい事をしていたのか気付いてしまう。
最悪だった。
心が弱っている女の子に対し迫る――卑劣な事をしてしまった自覚も出てくる。
もしあの時、劣情のままに事を及んでしまったら……自分で自分を許せないだろう。
「……」
「……」
気恥ずかしさと悔恨の念が同居していた。
――
隣を見れば、平折がチラチラとこちらを伺っている。
その顔は未だ真っ赤にしつつ、何かのタイミングを見計らう視線を送っている。
お互い、何だか気まずい感じだった。
何か言わないと――そんな思いが支配する沈黙だ。
……
「あのっ!」
「えっと!」
二人の声が重なる。
お互い顔を見合わせる。
考えるのも一緒なのか、タイミングも重なった。
なんだか可笑しくなって笑いが零れた。
ああ、そうだ。
今まで色々あった。
こういう時どうするか、今まで自然としてきたことがあった。
「「ゲーム、しよう」」
互いの笑い声が、暗くなった住宅街に響く。
いつもと違い、平折は背後でなく右隣にいた。
距離がそれだけ近くなったと感じて……悪い気はしなかった。
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