第24話 噂


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 早朝の住宅街に息の上がる声が広がっていき、随分と涼しくなった風が頬を撫でる。

 夜明け間もないそこは、独特の静謐さに包まれていた。

 ザッザッという自分の足音も良く聞こえる。


 自分を変えるために何かしたかった。


 それでランニングというのは、自分でも安直だと思う。

 何かしなければという想いに突き動かされ、こうして走っていると言う訳だった。

 我ながら単純だ。


 ――まぁ健康にも良いしな。


 と呟き、自分の中に在った気恥ずかしい気持ちを塗りつぶしていく。


「ただいま」


 隣の駅にある公園までの往復は、およそ30分ほどの距離だった。

 へとへとになってしまう程ではないが、たっぷりと汗をかくには十分の距離だ。

 玄関を見れば、既に弥詠子さんは出勤したようだ。


 ――とりあえず汗を流さないとな。


 流石に汗臭さを漂わせて登校する勇気は、俺には無い。


「……っ!」

「っと、使ってたのか」


 シャワーを浴びようと洗面所の扉を開ければ、平折と顔を合わせた。

 既に手入れの終わった艶のある髪を束ねて掴み、どこか思案顔だった。


 どうかしたのだろうかと思って見てみれば、所々アクセントにラインが入ったブレザーに、春先見た時よりも丈が短くなった青のチェックのスカート。夏の制服から衣替えをした姿だった。


 ――冬服に変わったから、髪型も変えようと思ったのか?


 しかしその割には表情に影があるように感じてしまった。


 ……


「平折」

「っ?!」


 気付けば、そっと右頬に手を添えていた。

 突然の事に驚いたのか、平折はビクリと身体を固くさせ、その拍子にハラリと掴んでいた長い髪が背中に広がった。


 昨日何があったのかなんて知らない。


 だけど、これだけは言いたかった。


「その制服姿も、前の髪型より似合っているぞ」


 だから胸を張ってればいいと、頬を撫でた。


「……」

「平折?」

「~~~~っ!!」

「あっ」


 いつになく顔を真っ赤にしたかと思うと、トタトタトタと大きな音を立てて自分の部屋へと戻っていった。


 ……


「久しぶりに逃げられたな……」


 懐かしいような寂しいような、複雑な気分だった。




◇◇◇




「はぁ……夏服も良かったけど、こっちもこっちで趣があるよな……」

「……そうだな」


 最近の俺はと言えば、康寅のクラスに顔を出すのがすっかり習慣になっていた。

 うっとりした康寅の視線の先を追いかければ、衣替えをした平折と、ニットのサマーベストからカーディガン姿になった南條凛が居た。


 相変わらず目立つ2人だった。

 どうやら週末出掛ける買い物についての話をしている様だった。どこそこの店がとか、一度覗いてみたい店がどうとかという話が聞こえてくる。


 ……


 さっきから何度か南條凛と視線が合うような気がする。

 気のせいだよな……?


 ともかく、康寅のようにそんな2人を遠巻きに見ている人も多い。

 一見すれば平和な教室の光景だ。


 だけど、昨日の平折の件がある。その事を頭に浮かべ、周囲の様子を伺っていく。


 そして一つの女子グループが気になってしまった。

 以前よく南條凛の周囲にいた女子のグループだ。


 ……


 こうして見てみれば、平折と南條凛で1つのグループじみたものを結成していた。

 以前一緒にいた子達は、そこからあぶれた様になった形だ。


 平折と南條凛は、美少女だ。

 自分達から話しかけていけばと思うが、その2人が仲睦まじくしている間に割って入るには、相当な勇気がいると思う。


 ……情けない事を言うが、今の俺にはまだそんな勇気や自信はない。


 だが――なるほど、これが原因の一つか。


 当の本人である南條凛は、平折との会話に夢中でこの状況に気付いていない。

 これはよくないな……


 スマホを取り出し、南條凛にメッセージを打つ。


「あたしは白いほうが好『~~♪』っと、ちょっとごめん」

「ぅぅん」


 スマホの画面を確認した南條凛は、一瞬眉をひそめた後俺と視線が合う。

 それを確認して、俺は例の女子グループへと視線を移した。

 視線をそこに移した南條凛は、どこか納得したような顔になった。


『前によく一緒に居た奴ら』


 メッセージで送ったのはそれだけだったが……どうやら俺の言いたいことが伝わったようだ。


 南條凛が再び視線を元に戻せば、僅かに平折の眉が困った様に動いた。

 ……何かを察するには十分な表情だった。


 それを承知で、南條凛は彼女達のグループへ平折を伴って入っていく。

 大胆な行動に驚いてしまうが……南條凛が考え無しにするとは思えない。


「ね、真理ちゃんは赤系のコーデに詳しかったよね? 一杯似合ってるのもってたもの!」

「っ! り、凜ちゃん……えぇ、うん、そ、そうね……」

「恵ちゃんは確かレースのやつとか女の子らしいのが好きで色々もってたよね!」

「……っ! う、うん……」


 不意打ちのように彼女達に話しかけ、先ほどまでの自分の会話へと巻き込んでいく。

 1人1人の好みを完全に把握しているのか、基本的に持ち上げるように話すので、話しかけられた方も嫌な気分ではない様だった。むしろ、得意分野を語って賞賛され、得意げになっている。


 その場の主導権は完全に南條凛だった。


 まさにアイドルのショーのような鮮やかな手際だった。

 その凄さをありありと見せつけられてしまった。


 あれでいて腹の中でどんなことを考えているのやら。


 ――懐に入れたほうが、色々と監視し易いとか思ってそうだな……


 楽し気に談笑する南條凛の目はしかし、どこか猛獣めいているなんて思ってしまった。


「そういや昴、知っているか?」

「何をだ?」

「坂口のこと」

「あのサッカー部エースの……? やたらモテる癖に女嫌いじゃないかとか言われる」

「なんでも吉田に告ろうとしてるんだってさ」

「……へぇ」


 ……


 自分でもなんとか返事が出来たと思う。

 胸の中では台風の海のように感情が荒れ狂っていた。


 サッカー部の坂口も有名人だ。


 ストイックにただひたすら部活に打ち込む姿に、爽やかで甘いマスク。

 女子が騒がない訳がないが……今までそう言った浮いた話が出たことがない。

 それだけサッカーに打ち込む姿がより一層女子の人気を博していたのだが……


「あいつ相手じゃ勝ち目ねーなー、くそっ!」

「……」


 どちらかと言えばこういう話に疎い康寅でも知っているという事は、女子の間にも広く知られているという事だろう。


 昨日の平折の右頬とは無関係だと、どうしても思う事が出来なかった。

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