第10話 俺も……っ!
――PiPiPiPiPi……
「――っ!!」
「ぴゃうっ!」
目覚ましのアラームの音で飛び起きた。
普段は鳴る前に目を覚ますのだが、どうやら昨夜は寝付くのが思ったよりも遅かったらしい。
無意識に
そういえばさっき変な声が聞こえたような……?
――コンコン
何か聞きなれない音が聞こえてきた。
寝起きの頭は上手く働かず、それが何かわからなかった。
さっきの声と何か――
――コンコン
再度、控えめに音が鳴った。
ようやくそれがノックだとわかった。
今まで叩かれたことがなかったので、認識するまで時間がかかってしまった。
「ふぁい」
自分でも、あぁ寝ぼけているなとわかる間抜けな声で返事をし、のそのそと危うい足取りで扉に向かう。
「あ、あのっ」
「――……えっ?」
またも間抜けな声が出てしまった。
「平……折……?」
「~~っ!」
長く艶のある黒髪は下ろされ、その細い肩から後ろに流れている。
イヤらしくならない程度に短くされたスカートからは、素足の白さが紺色のハイソックスによって目立っている。
きっちり襟を締められて付けられたリボンとニットのサマーベストが、平折の清楚なイメージを際立たせていた。
眠気なんて一瞬で吹っ飛んでいってしまった。
それと同時に、顔に熱を帯びていくのがわかる。
昨日の事や寝る前の鬱々とした気持ちなんて、どんどん溶かされていく。
どういうことだろう?
急にどうして?
そんな思いが浮かび上がるものの、目の前で恥ずかしそうに身を捩る平折に意識を移せば、もっと見たいという欲求に上書きされていく。
目が離せなかった。
お尻の方をしきりに気にしているのは、スカートの丈が不安なのか、それとも先ほどどこかで尻餅でもついたのだろうか?
可愛い、と思ってしまった。
無意識に手が動いて――
「お、遅れちゃう!」
そう言って、平折はリビングへと降りていった。
手を前に出し固まった、寝癖のついた間抜けな俺だけが、その場に残された。
◇◇◇
リビングにはコーヒーとトーストが準備されていた。
弥詠子さんの仕事は朝早いので、基本的に朝食は各自になっている。
だから必然的にこれは平折が用意してくれたことになる。
当の本人はと言えばカチャカチャとキッチンで洗い物をしていた。
色々聞きたいこともあったが、時間的な問題もあって甘えることにした。
小さくいただきますと呟いて、トーストをコーヒーで流し込む。
……心なしか、やたらと甘い気がした。
一体、今朝になって平折は急にどうしたのだろうか?
朝食を咀嚼しながらこの状況を飲み込もうと考えるが――まつ毛長かったな、唇はぷっくらしてて柔らかそうだ、肩とか凄い細かったといった、そんな平折の姿ばかりが思い浮かぶ。
何をそればかりを考えてるんだ、とばかりに頭をガリガリと掻いた。
「ね、寝癖!」
「へ?」
いつの間にか洗い物が終わったのか、平折は手にヘアブラシと霧吹きのようなものを持っていた。
先ほど頭を掻いた時に、随分と跳ねている自覚はあった。
平折が指摘するほど酷いのだろうか?
「あぁ、ありが――」
「す、座ってて!」
「――ひ、平折っ?!」
「ま、前向いてて!」
そう言って、平折は素早く俺の後ろに回りこんだ。
シュッシュという音と共に、ブラシが髪を撫でていく。
頭を押さえる平折の手が、妙にくすぐったくてしょうがなかった。
つたない単語だけの会話と、やたらと馴れた手つきのブラシが何かを連想させ――
「ちゃ、ちゃんとしたほうがいいからっ」
「お――」
まるで言い訳めいた早口だった。
思わず『お前もな』と軽口を叩こうとして――出来なかった。
これが
――まぁ、余計な事を言ったりするのは野暮だな。
不思議な感覚だった。
やたらと積極的な平折に翻弄されっぱなしだった。
だけど、この瞬間が心地よいのも確かだった。
このこそばゆい時間を共有したい――この気持ちが一緒だといいな……
……………………
……
などと、暢気に時間を過ごしていたら遅刻しそうになっていた。
「急げ……っ!」
「はぁ、はぁ……」
駅までの道を小走りで急ぐ。
あぁもう、朝から何やってるんだ。
胸の内を色んな感情がない交ぜとなるが、それらを振り払うかのように足を動かす。
チラリと後ろを見やれば、必死に後を着いて来ている平折の姿が見えた。
……せっかく整えた髪が乱れちゃっているな。
そんなおせっかいなことを思ってしまう。
俺1人なら、全力で駆ければ余裕で間に合うだろう。
だけど、平折を置いて行くなんていう選択肢なんてものはない。
「……がんばれ」
「はぁ、はぁ……うんっ」
俺に出来るのは、精々声をかけることだけだった。
それが、なんだかもどかしかった。
「あっ!」
「平折っ?!」
急ぎすぎたのか、平折りが足をもつれさせて転びかける。
とっさに平折の手を取り、支えた。
大丈夫か? 怪我はないか?
そんな思いより先に、小さい、柔らかいというのを感じてしまった。
掴んだ手首はすっぽりと握り締められるほど細く、そして少しひんやりとしていた。
掌に伝わる感覚が、平折という華奢な少女だということを、これでもかと感じさせる。
胸の中も頭の中も、鐘の音が忙しいことになっている。
「大丈夫か?」
「あ、ありがと……」
「行くぞ」
「あっ」
ぶっきらぼうになっている自覚はあった。完全に照れ隠しの自覚もあった。
だけど、その手を離すのが惜しかった。
俺が引っ張ったほうが早いからと自分に言い訳して――駅まで急いでいった。
◇◇◇
なんとか電車には間に合った。
これにさえ乗れれば、後はゆっくり歩こうが遅刻することはない。
だけど、問題もあった。
「大丈夫か?」
「……うん」
いつもより数本遅い列車は、通勤ラッシュの時間と被ってしまっていた。
俺はともかく、どちらかと言えば小柄な部類に入る平折は埋もれてしまいそうになる。
運よく扉側を確保できたので、平折を守るように位置どっていた。
「ふぅ……ふぅ……」
先ほどまで駆けていたせいか、平折の息は上がっていた。
密着とまではいかないが、平折との距離は近い。
息を整えようとするたびに、熱い吐息が胸にかかってこそばゆい。
視線を落とせば、平折のつむじが見えた。
ほんのりと汗まじりシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。
どこか甘酸っぱいような匂い、そして腕の中にすっぽりと収まってしまう体格差が、平折を女の子だと意識させられてしまう。
思わず、手を握り締めてしまった。
駅で離した手が、寂しいだなんて思ってしまう。
朝からずっとドキドキしっぱなしだ。
昨夜からウジウジ考えていた悩みなんて、全て平折に吹っ飛ばされてしまった。
今だって、心臓の音が平折に聞こえやしないか心配だ。
この状況は拷問ではないかと錯覚してしまう。
……
最近の平折は努力していた。自らを変えようとしていた。
そうだ、俺はそんな平折の姿を見てきたじゃないか。
――すごいな、平折は。
なんだか、自分が恥ずかしくなってきた。
平折は、勇気をだして自分を変えようとしているのに、俺は――
「……………る、…ら」
「……え?」
『――――駅、――――駅』
その呟きは、アナウンスによってかき消されてしまった。俺達の降りる駅についてしまったようだ。
「~~っ!」
「あっ……」
扉が開くなり、平折は外に飛び出してしまった。
その顔は真っ赤だった。
……これは、いつもの事だ。
「平折っ!」
「ふぇっ?!」
思わずその手を掴んでしまった。
予想外の行動に平折の目はびっくりしているし、俺だって自分でびっくりしている。
逃げられると――どこか遠くに行ってしまうんじゃないかと、そんな事を思ってしまった。
理屈なんてない。
――ここで手を伸ばさないと、きっと後悔する。
そんな気持ちだけが先走っての行動だ。
「俺、頑張るから」
「えっ、あっ……」
具体的に何を頑張るかなんてわからない。
こんなの自分勝手な意思表明だ。
じぃっと平折の瞳を見つめる。
びっくりしているけど――その奥には芯の強さめいたものが見えた。
そうだ。よくよく考えば、きっかけはいつも平折だった。
きっと、これからは平折は変わっていく。良い方向に変わっていく。
その時俺は、胸を張って平折の近くにいられるのだろうか?
だけど、いやだからこそ、平折に聞いて欲しかっ――
「よぉ、昴。珍しいな、寝坊か?」
「……っ?!」
「や、康寅?!」
遠くから、康寅が俺を呼ぶ声がした。
反射的に手を放し、平折から離れてしまう。
素早く駆けだした平折は、同じ制服の人の波に飲み込まれていった。
……なんだか少し物寂しいきもちになる。
能天気にヘラヘラ笑う康寅が、ちょっと恨めしく感じた。
「あれ……? ん~? 何か雰囲気変わった?」
「……変わってねーよ」
――ちょっと、頑張ろうと心に決めただけだ。
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